[歳時記]6/1 写真の日

写真の日
カメラが日本にはじめて伝えられたのは、天保12(1841)年のこと。
長崎の上野俊之丞が、オランダ船から買い取ったといわれている。
彼は翌年、そのカメラで薩摩藩主島津斉興に謁見し、斉彬を撮影した。
それが、6月1日
ということで、6月1日が写真の日

の筈だった

ところがのちに間違いが判明
写真機の乗った船は、その時日本には到着していない。
しかも、天保12(1841)年6月1日に、斉彬は江戸にいた。
斉彬が撮影されたのは、正しくは、安政4年(1857年)9月17日だった

まずいっ
写真の日、決めちゃったよ

堅い事いいっこなし
ということでそのまま6月1日でいきましょう
みなさんもこの事はくれぐれもご内密に。

ペリー来航
1852年にアメリカを出港したマシュー・ペリーの艦隊には、
写真家のエリファレット・ブラウン(Eliphalet M. Brown, Jr.)が加わっていた。
ブラウンはダゲレオタイプ(銀板写真)の技術によって人物や日本各地の風景を撮影した。

そのうちの2つ。共に1854年撮影です。
松前藩家老の松前勘解由

浦賀奉行所与力・田中光儀

足元の後ろに台らしきものが写っていますが、首抑え
30分もそのままにしていないといけませんので。

写真家
1860年の始め、もともと中国で写真館を経営していたオリン・フリーマンが
横浜で日本最初の写真館を開いた。

翌1861年、フリーマンの機材一式を購入した鵜飼玉川が
江戸薬研堀で日本人による最初の写真館を開く。

どんどん続きますよ

最初に名前の上がった上野俊之丞の息子の上野彦馬
湿式写真というのを学びます。
1862年には長崎に上野撮影局を開業するが、
ここで撮影されたのが坂本龍馬の例のあの写真

同じ年、下岡蓮杖も横浜で写真館を開業している

堀与兵衛、木津幸吉、富重利平、島霞谷(かこく)が続きます
島霞谷の奥さんの隆(りゅう)は、日本初の女性写真家となります。

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