[歳時記]8/6 同潤会アパート建設

8/6
関東大震災の復興のために、
義援金の1000万円を基金として発足した財団法人同潤会は、
大正15(1926)年8月6日、東京・向島の仲ノ郷に、
日本初の本格的な鉄筋コンクリートの公営アパートを建設した

これを皮切りに
青山、代官山、三田、江戸川などでも次々に建設が進み、昭和9(1934)年までに東京都内と横浜市内に建設されたアパートは計16カ所、総戸数は約2800戸にのぼった

そのほとんどに電気・都市ガス・水洗式トイレなど
当時としては先進的な設計や設備を備え、
明治以降、急速に進む西洋化と日本和の住まい観との融合を模索し、
集合住宅を通して都市での暮らし方を提案してきた

1941年に発足した住宅営団に業務を移して同潤会は解散し、
16のアパートは既に全てが取り壊されている。
取り壊す際には保存運動も起こり、「青山アパートメント」跡地である
表参道ヒルズには「同潤館」という記念館が建てられるなど、
今もなお多くの人を魅了している。

設計面でも、時代を一歩リード
初期の設計は、建築家の内田祥三氏の弟子達が努めましたが、
彼らは海外の雑誌なども参考にして当時まだ日本には無かったものを取り入れる。

画一的なイメージにならないよう
物件ごとに設計者の思いやこだわりが表れているのも同潤会アパートの特徴

コミュニティ
同潤会アパートが大事にしたのが
「住人みんなが家族のような」長屋的コミュニティ
敷地の形状やその地域での暮らし方に合わせて、多様な敷地設計も特長的だった。
16のアパートそれぞれが、ただ建物を並べるわけではなく、
ストーリー性が意識されている。

例えば東京都墨田区の「柳島アパートメント」では、
表通りに沿って店舗併用住宅棟が一列に配され、
その後ろにコの字型の住宅棟が配置されていた。
南面の採光を優先せず、景観への配慮がうかがえる設計。

こうした工夫をアパート毎に見ることができ、
採光など条件の平等感を優先するのではなく町並みを大切にする設計者の思い

その中でも、「中庭」がある物件を複数見つけることができる。
同潤会アパートの特徴の一つに、この中庭や共用施設を通しての
密接なコミュニティが挙げられる。

どのアパートにも共通して、
居住者が共同で使う炊事場や洗濯場などの共用施設が設けられていた。

例えば現在の代官山アドレスの場所にあった「代官山アパートメント」には、
全36棟が建つ広い敷地の中央に食堂商店、娯楽室、銭湯が設けられていた。
また、東京都江東区の「清砂通アパートメント」には児童遊園や食堂、娯楽室があり、
ここでは同じ棟の住人が協力して冠婚葬祭を行っていた。
居住者である女性の婚礼がこのアパートで行われている写真が残されており
それを囲む住人の姿などから、アパート全体が一つの家族のような、
あたたかいコミュニティが形成されていたことがうかがえる。

私が一番グッときたのがこの記念写真

清砂通りアパートメントが建て替えられることになり
住民全員が記念写真

集合住宅が壊されるからと言って、みんなで記念写真撮ろうよってなりますかね
よほど愛されていたんだなあ

[季節]シリーズはこちら(少し下げてね)

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