[天皇]83 土御門天皇。すこしぬるくおはしまし

土御門(つちみかど)天皇
1198~1210

後鳥羽天皇には、三種の神器がないという大きな負い目に加え
もうひとつ気がかりなことがありました。
守貞親王の存在です。

順番的には、安徳天皇の次は、守貞親王
なぜそうならなかったかと言うと
後白河法皇が安徳天皇に変わる第二の天皇擁立を考えたとき
守貞親王も平家に連れ去られていたから

言わば補欠であり、つなぎ

京都に戻れた守貞親王に早く譲位せよ、との圧力がかかります。
特に、頼朝からすると、守貞親王とは親戚関係があるので
圧力がすごい

院政花盛りの時なので、天皇自体には魅力はないものの
自分の息子に譲ってこその院政

成人して3人の男の子が出来る
よっしゃあ

みんな3歳とか4歳なので
できれば、もう少し大きくなるまで待って
誰が性格的に適性を持っているか見極めたいところですが
時間的余裕がありません。

よしっ、こんな時は、最も信頼出来るあの方法だ

占いです。

はい、土御門

占いの数日後にはもう践祚の儀式

ああ安心した。
これで既成事実完了
院政開始

翌年に頼朝が落馬で死に
将軍は2代頼家
さらに4年後3代実朝の時代へ

土御門天皇がだんだん大きくなってきて、性格が分かってきました。
とても性格が良い

「増鏡」の表現によると
性格は「あてにおおどか(優雅でおっとり)」
父の後鳥羽に比べると「少しぬるくおはしまし」

2代将軍、頼家の時のゴタゴタに対しては
朝廷は介入せず、鎌倉の事は鎌倉でやってね

3代実朝とは、後鳥羽上皇は仲良し
対幕府で、後鳥羽上皇はかなり主導権を取れる

そうなると、後鳥羽上皇としても欲が出てくる

土御門天皇の弟、順徳は、後鳥羽上皇と同じイケイケの性格

ツッチーさあ
順ちゃんに譲ってやってくんない?

はーい

ここでゴネないのが、土御門の土御門たるゆえん

承久の乱後
後鳥羽と順徳が承久の乱を起こし、大敗北
そのあたりはその時ね

後鳥羽と順徳は配流となります

土御門は関係ありません。
でも、自分から申し出る
私も配流してください。

はい?
関係ないですよね

断られたんだけど諦めない

そんなに言うなら、と
土佐に配流になる

悪いことした訳じゃないので
そこそこの待遇を受けます

1年半後
京都にちょっと近い阿波の国に変更

阿波で9年を過ごし
37歳で、この世を去る

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

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