[首相]28 小磯国昭。誰がやってもどうにもならないが

小磯国昭
1944~1945年

太平洋戦争で、絶対的防衛圏のサイパンが陥落し
責任を取って東条英機が辞任

そのあとを任されたのが小磯国昭

ここからの巻き返しは到底考え難いので、
小磯に課せられた課題は、どう終わらせるか。

経緯
小磯は、明治13年、栃木県宇都宮市に生まれる

陸軍に入隊

大正10(1921)年、航空本部部員になる

これからは、飛行機の時代だと実感し
レポート提出。

そのレポートが宇垣一茂の目に止まった。

それ以降、宇垣一茂に何かと目をかけてもらえる様になり
出世もスピードアップ

昭和6(1931)年3月、3月事件という事件が起きる

宇垣一茂を首班としてのクーデター計画
結局は宇垣自身が御輿に乗ろうとしなかったので未遂に終わる
5.15事件の1年前です。

小磯も計画に関与していたのではないかと取り沙汰される
結局はうやむやになったものの
ここでちょっとつまづいた。

宇垣は穏健派だったため
どんどん陸軍が過激になっていき
広田弘毅内閣が陸軍に辞任させられたあと
天皇から組閣の大命を受ける

でも陸軍がすんなり宇垣首相を認めるくらいなら
広田弘毅を辞めさせてはいない
陸軍大臣を出さない、という形で抵抗される

小磯に連絡が来た。

ここで受けると、陸軍全体を敵に回すことになる
現役ではいられなくなるだろう
やむ無く断った。

結局、陸軍大臣を出すことが出来ずに、宇垣内閣は幻に終わる

良かった、首が繋がった
そう思ったのに、なぜか、小磯まで陸軍の現役を辞めさせられてしまった。

仕方ないね
まあゆっくりやるさ、と思ったけど
朝鮮総督とかそれなりに色んな仕事が舞い込んだ

組閣の大命
さあ話を冒頭に戻しましょう。
東条英機辞任のあと、組閣の大命

なんで私に?

まあ、この時期、他に引き受ける人はいないか

とはいえ、天皇としても小磯で良いの?と不安げ
首相経験者にして海軍の大物、米内光政との連立内閣にしましょう

米内光政が副総理として入閣

小磯としては、どこかでひとつでも勝利をおさめ
そのタイミングで米国と和平交渉

でも、そんな事夢のまた夢でした。

次に考えたのが
繆斌(みょうひん)という人物とのパイプをもとに蒋介石と繋がり
米国との間に入ってもらう作戦

頑張っている最中

肝心の米内光政が
私が副総理だとやりにくいでしょう、と
どうぞご勝手に、宣言

それだけじゃなく
繆斌との交渉を、公然と批判しはじめた。

ずるずると時間が過ぎる

レイテ沖海戦敗北・東京大空襲・硫黄島陥落・沖縄侵攻・日ソ中立条約廃棄通告
あっという間に、最悪の状態に追い込まれてギブアップ

戦後、東京裁判で裁かれる
死刑にこそならなかったけど、終身刑
5年後、獄中で病死

単に能力がなく、誰も協力してくれなかっただけなんだけど

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)

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