[ことば日本史]藤原氏の台頭から。勧学院の雀

ことば日本史、まだまだ平安時代

藤原氏
平安時代と言えばやっぱり藤原氏

藤原良房は貞観8年(866)、臣家で初の摂政となった。
摂関家としての藤原北家の栄華の発端が開かれたのである。

藤原氏の覚え方は
不良をもっと正さねば道は通れぬ
藤原冬嗣(不)・良房(良)・基経(もっ)・時平(と)・忠平(ただ)・実頼(さね ば)・道長(道 は)・頼通(通 れぬ)

藤原氏私設の学寮、勧学院(かんがくいん)が、大学寮の付属機関として公認された。

藤原氏・勧学院(かんがくいん)
在原氏(ありわらし)・奨学院(しょうがくいん))
和気(わけ)氏・弘文院(こうぶんいん)
橘氏(たちばなし)・学館院(がっかんいん)
空海・綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)
って色々あるのよね

今、門前の小僧習わぬ経を読む、ってことわざがあるけど
これは江戸時代にできたもの

同じ意味は、それまでは
勧学院の雀は蒙求(もうきゅう)をさえずる
って言っていたんです。

貞観13年(871)に大学寮の付属機関として公認されると、
維持管理は藤原氏の長者の権限とされました
蒙求(もうきゅう)は、唐中期の児童用教科書で、
上古から南北朝までの人物伝記や説話を歌いやすく覚えやすい詩にしたもの

勧学院には元服前の年少学生もおり、先輩が「蒙求」を丸暗記させていた
おそらくリズムにのって覚えやすいのかな
ジンム・スイゼイ・アンネイ・イトクみたいな感じでしょうか

その声をいつも聞いていた雀が、「蒙求」をさえずる。
なんとも高尚なすずめ

そういえば御岳山の山の上の茶屋で食事しているとき
ホー ホケキョ
と、とっても良い声で鳴き声が聞こえたのを思い出した。

そのあと、店の奥さんが
すみませーん、今の、この子なんですよ

飼っている大きなインコ

そう言われれば、鶯の鳴く季節ではない
このインコちゃんなら、蒙求だって楽々?

勧学院の出身者は、官学界に進むことによって、藤原氏の栄華をささえ、
またその結果、勧学院の権威をもいっそう高めることにもなった。
このような教育上の特権も、藤原氏の栄華を導いていたのである

[言葉]シリーズはこちら(少し下げてね)

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