[ことば日本史] 奥さん。女房。御曹司

「ことば日本史」平安時代から

建物の話です。
平安時代の建築様式、寝殿造
平安貴族の生活を想像するとき、きまって思い浮かべるの左右対称の優雅な建築

基本構造は南北の中心軸上に母である寝殿をおき、
その東西に対(たい)という副屋があって
寝殿と対との間を一部吹き放しになった渡り廊下がつないでいる。

南庭には池があって、 中島橋、釣殿、殿などがある。
まるで邸宅の敷地内に、ユートピアめいた小宇宙が完結しているかのようだ。

そんな寝殿造から生まれた言葉を3つ紹介しましょう。

奥さん
寝殿造の部屋の名前が、今も人を呼ぶ言葉に生きています

奥さん

貴族の正妻は寝殿の裏にある北方の御殿で生活している場合が多かった。
それで身分の高い人の妻を「北の方」や「奥方」と呼ぶようになった。
やがて、くだけて、奥さんとなる。

女房
貴族のもとや宮廷に出仕した女性は女房と呼ばれたが、
それは与えられた個室が女房と呼ばれたことに由来する。
宮廷に仕えた他の女官が雑用係であるのに対して、女房は后(きさき)らの教育をつとめた。

清少納言や紫式部がその代表である。

中世には、この言葉が一般化し、
中世末期になると自分の妻をさして使われるようにもなった。

うちは、本人に向かってとか、家族内での呼び方は「お母さん」
他の人に対しての話題の中ではカミさん
「かみ」と打つと「カミさん」と変換されるようにユーザー辞書登録してあります。
奥さんや女房なんてな奥ゆかしい存在ではございません
ただただ耐えて従うのみ

そうそう、そういうと昨日バレンタインのチョコレートもらいましたよ
200円のね
娘の旦那さんや、職場に持っていくのは何千円かするやつでしたけど。

御曹司(おんぞうし)
貴族の住んだ贅沢な部屋を曹司といったことから、
部屋住みの貴族の子弟を御曹司と呼ぶようになった。

のちに武家は源氏では子弟を御曹司と呼び、平家では公達(きんだち)と呼んだ。

[言葉]シリーズはこちら(少し下げてね)

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