[三十六歌仙]35 壬生忠見。拒食症で

三十六歌仙シリーズ、ラスト2、麻雀でいうとリーチでございます。
そうか、最後の二人はこの因縁の壬生忠見と平兼盛でいくわけね

壬生忠見(みぶのただみ)

こひすてふ わが名はまだき 立ちにけり 人しれずこそ 思ひそめしか

恋をしているという私の噂が、早くも世間に知れてしまった
誰にも知られないように密かに思い始めたばかりだというのに

出ましたっ。こいすちょう
百人一首もこの歌
こひすてふわが名はまだき立ちにけり人しれずこそ思ひそめしか
第41首
そして、お隣の第40首が平兼盛
しのぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで

この二つの歌は何処までもセット

「天暦の御時の歌合」
村上天皇の天徳4年(960)3月30日に内裏で催された歌合せ

それまでも、歌合せというテーマを決めて歌を競い合うというものはあったが
村上天皇が主催したこの時の歌合せは特に盛大で
その後の歌合わせは全てこのやり方を真似るようになったほど

左右に分かれ、お題に沿った歌が詠われ、勝負が決せられる
審判は左大臣の藤原実頼

「左歌の心ばへ、いとをかし」とか、「右歌、させることはなけれど、難は見えず」
引き分けは「持」(じ)と言う
「歌の品の同じほどなれば、持にぞ定め申す」

平兼盛は歌の世界ではベテランのエリート
この最高の祭典に選ばれて当然

他にもそうそうたるメンバーが並ぶなか
異例の人物が選ばれた。
壬生忠見
三十六歌仙の壬生忠岑(みぶのただみね)の息子
はるたつと いふばかりにや み吉野の 山もかすみて けさは見ゆらん
百人一首でいうと
有明の つれなく見えし 別れより 暁(あかつき)ばかり 憂(う)きものはなし

お父さんは優れた歌人ではありつつも、位はかなり低い
壬生忠見も歌の才能は引き継ぐものの、ずっと田舎で貧乏暮らし

大抜擢
こんな最高の舞台に呼んでもらえるなんて

とはいえ、立派な服は持ち合わせておらず
田舎者の格好で参上する

勝って、名をあげる。相手は実力者であればあるほど良い
平兼盛。申し分なし

いよいよ最後のお題。「恋」

双方の歌が読み上げられ、一堂どよめく
どちらも忍ぶ恋

忍ぶれど、は何処までもしらべが流麗
さすがに王者の風格

比して、こひすてふ
少し破格のしらべ
そこが、逆に想いの乱れを感じさせる

決めがたい
「持」か
「左右ノ歌、伴ニ以ツテ優ナリ。勝劣ヲ定メ申スコト能ハズ」
と天皇に申し上げようとすると
天皇からは
「各々歎美スベシ。タダシ、猶、之ヲ定メ申スベシ」

えっ、決めなきゃいけないの?
ムリムリ
大納言の源高明の意見を求める
源高明もお任せします、と下を向くばかり

こうなったら、天皇に決めていただくしか方法がない

「天気」はいかに

忍ぶれど・・

おそらく天皇は、両方口に出して感じてみようと思ったのだろうが
先に口にしたのはたまたま忍ぶれど

右の勝ち
右方はどっとわいて勝ちどきの音楽

別の部屋で控えていた、平兼盛
喜びいさんで、他の人の歌がまだ続くのに帰っちゃった

一方の壬生忠見
「あわと思ひて」 大きいショックを受け、
「胸ふたがりて」たべものものどに通らず、
ついに「不食の病」になって死んでしまった。

この歌で、三十六歌仙にも百人一首にも選ばれ、後世に名を残すが
この歌で命を落としたことになる

常に二つの歌はセットで語り継がれ
いつも、どっちの歌が良いかの論争になる
千年の時を経ていまだに

明暗が余りにも大きく分かれたからですが

ここだけの話
ほんとは、壬生忠見
拒食症で死んだりしていません。

ドラマティックに明暗を表現しようという、
『沙石集』での作り話

[短歌]シリーズはこちら(少し下げてね)

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