[東京ミステリー]武蔵国の一の宮、大宮氷川神社

東京をウォーキングしていて、何度も不思議に思うこと
氷川神社のなんと多いことか

そして香取神社がある地域になると、ピタっと氷川神社がなくなる

昔は、埼玉県と東京都と神奈川県の川崎と横浜を合わせて「武蔵国」だった
氷川神社はその武蔵国にのみほぼ分布している

徳川より、平将門より、もっともっと前に
武蔵国に何があったのか

大宮氷川神社
氷川神社の総本山は大宮氷川神社
武蔵国の国府は、府中に置かれるが
それより前は、大宮氷川神社が一の宮
すなわち、武蔵国の中心地だった

富士山と筑波山を結んだ線と、合わせて見るとこんな感じ

氷川神社の主祭神はスサノヲノミコト
スサノヲノミコトを祭るのは八坂神社とかもあるが
元々八坂神社(祇園社)は牛頭天王(ごずてんのう)を祀っており
明治の廃仏毀釈の時期に牛頭天王からスサノヲノミコトに変えさせられた訳で
言わば後付け

元からスサノヲノミコトを祭っていたのは氷川神社が中心となる

武蔵国にスサノヲノミコトが集中しているとも言える訳で
武蔵国にスサノヲノミコトを中心とした強大なる勢力が存在していたのかもしれない

スサノヲノミコトはとても不思議な神様
最初は暴れまくって迷惑千万
ところが途中からヤマタノオロチを退治するスーパーヒーロー
同一人物とは思えない不自然さ

その子孫がオオクニヌシノミコトで
スサノヲノミコトとオオクニヌシノミコトが出雲伝説となり最終的には国譲り

氷川とは
出雲国簸川(ひのかわ)の杵築神社(現:出雲大社)より御分霊を孝昭天皇3年(紀元前473年)に勧請したことに始まるとされる

武蔵国と出雲の関係は一体どういうことなんだろう
あまりにも遠い土地同士だが
ヤマトと出雲の戦いの中で
出雲族がこの地に移り住んで
一大大国を開いたのだろうか

正直すんなり国を譲るなんて違和感ありすぎ
武蔵国の大宮辺りまでは海岸線が入組んでおり
大宮の近くには、見沼という広大な湿地帯があり
かなり稲作には有利で、相当豊かであった事も想像できる

ひょっとすると、関東ローム層の下から
広大なる遺跡が発見されるかもしれない

[江戸東京]シリーズはこちら(少し下げてね)

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