浅草をぶらぶら

♪屋形船でまいろう
の続きです

浅草寺
霧雨みたいなのが少し降っているのに、すごいにぎわい

仲見世での目的は
浮世絵と



和手拭い
壁に飾っている和手拭いが、秋と冬がまだないんです
すみません、秋と冬の柄を探しているんですが

はい、もみじがございます

あとで調べると
真間の紅葉手古那の社継はし
ウォーキングで連れていってもらった、市川だ。やったあ

冬がなかったので別のお店
あれ。このもみじも良いなあ。買うか

この冬、すごく良いなあ


本堂で孫の無事出産をお願い



娘と来る場合は、あれこれいっぱい解説しようと思っておりましたが
今日は行ったことのあるところはパス
となると、あんまり行くところがありません

まるごとにっぽんに行こう

ビルごと全部、地方物産展みたいな感じかと思っておりましたが
そんなふうではありませんでした

4階が浅草横丁
うわあ、派手ーっ
年中お祭りというコンセプトのようです


風鈴

行ってみたいマークが残っているのが日輪寺
向かっておりますと、地図案内板のところに
天獄院、細井平洲の墓とあります
日輪寺の隣

細井平洲、細井平洲、、誰だっけ
絶対知っているはず
あっ、思い出した。
上杉鷹山の先生だ
嬉しいーっ
こういう事があるから、ウォーキングってやめられないのよね
事前の調べて全く分からなかった事に突然出くわす

天獄院

細井平洲のお墓
上杉鷹山は、全く予想していなかったのに藩主になっちゃった
米沢藩は破綻寸前
途方にくれて、細井平洲の元を訪ねる

先生、藩主って何をすればいいんでしょう

領民を全て自分の子供だと思いなさい
おのずと、なすべき事が分かるはず
自分は食べなくても、子供には美味しいものを食べさせてあげたいはず

何をやったかはこちらを見てもらうとして
上杉鷹山。上にたつ人はこうでなきゃ
見事に藩の財政を立て直し、領民たちは、心も豊かになり、鷹山の事を親のように慕う

細井平洲先生を米沢にお招きすることになり
米沢の入口までお出迎え
一刻も早く先生にお会いしたかったから

すると、それを聞きつけて領民たちが集まってくる

上杉鷹山が先生に一番見てほしかったもの
それは、領民たち、すなわち子供たちの笑顔だったのです

日輪寺

平将門が殺されたあと、今の大手町の地に首塚が作られた
時が流れ、嘉元3年(1305年)
時宗の真教上人が首塚の地を訪れた時には、塚は荒れ果て、
周辺には将門の祟りが原因と言われる疫病が流行っていた。
そこで上人は“蓮阿弥陀仏”の法号を与え、塚を修復して供養した。
すると疫病は止み、上人もそばにあった寺に留まることとなった。
さらに上人は近くの神社を修復し、そこに将門の霊を合祀した

首塚のそばにあった神社というのが、神田明神であり
真教上人が留まった寺というのがここ、神田山日輪寺

後に、神田明神と日輪寺は移転し
首塚と神田明神と日輪寺は離れ離れになる

浅草寺の方向にまた戻りましょう

とんぼ玉専門店みはる
とんぼ玉というのがあるんですね
アクセサリーにとんと疎いもので。
穴の開いた色付きガラス玉


体験教室もあって、ちょうどその説明を受けておられました

ネットから体験の様子を検索するとこんな具合でした

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

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