[岩宿]3 少年の孤独

[岩宿] 相沢忠洋というひと
[岩宿] 一家団らん
の続きです
考古学の歴史を抜本的に塗り替える大発見をした、相沢忠洋さんの自伝「岩宿の発見」から

転々と
両親が離婚
兄弟たちはそれぞれバラバラになり
忠洋少年は寺に預けられた

当初はお父さんが時々訪ねてきたが、だんだん来なくなってしまった
孤独な日々
何があっても嬉しく思うことがなくなり
ただただ家族で暮らした、一家団らんの日々が恋しくてたまらなかった
世の中の状況も戦争への空気が色濃くなっていく

1年が過ぎた頃、今度は、北鎌倉の叔母さんの家に移った
お父さんが叔母さんの家で住込みで手伝うようになったから。
叔母さんの家での生活はどうもうまくいかなかった

夏になると、お父さんが急に群馬県の桐生(きりゅう)に行くことになった
一緒に桐生へ

桐生の山の上で遊んでいると、ふと足元に土器の破片があることに気づいた
鎌倉で一家団らんの頃、土器を拾ったことが思い出される
ああ、ここでも遠い時代に祖先の一家団らんの場所があったのか、と
土器と一家団らんのイメージがさらに強く結び付くことになる

桐生での生活にやっと慣れた頃、お父さんに
「カツラ屋とはきもの屋と、どっちがいい」と聞かれる

少し考えて「はきもの屋がいい」と答える
お父さんは笛吹きの芸人
それが故に一家がバラバラになってしまったと考えていたので
芸人に関係の深いカツラ屋は嫌だった

奉公
浅草のはきもの屋で奉公することになる

学校へ行けるということだったが、それどころではなかった
働きづめの毎日は慣れてくるが
何から何まで差別されたのがどうにも辛かった

3月になり、ようやく夜学に行けることになる
朝晩で体はきつかったが、それでも学校は憩いの場だった

三社さまの夏祭り
初めて小遣いをもらって、遊びに出させてもらった
「つまらないものを買わずに貯金するんだよ」

露店でふとみると、石の斧とやじりが並んでいるのが目に入った
これいくら
50銭と30銭
懐には10銭しかない
何度も何度も手に取る

10銭しか持ってねえのか
じゃあ仕方ないなあ

ただひたすらに眺める
おじさんも、その様子をずっと見ている

その石斧、持ってきな

つまらないものを買っちゃダメって言ったじゃないか
と怒られたので、荷物の奥に隠す

翌日、学校に持っていくと、先生は誉めてくれて
土器が陳列してあるという上野の博物館のことも教えてくれた

行っては見たが、とても立派な建物だったので
自分のようなものには場違いじゃないかと
初回は中に入れなかった

年内最後の休日
意を決して上野に行った

本当なのか

自分が持っている石斧や土器の破片とほぼ同じようなものが
立派なガラスケースの中に並べられている

一巡りして、また戻って

「もう閉館ですよ」

声のをかけてくれた若い守衛さん
そんなに遺物が好きなら、一度遊びにいらっしゃい、と
手帳に、名前と道順を書いて渡してくれた

宝物の紙切れ
次の休みが待ち遠しかった

数野さんは暖かく迎えてくれて
石器や土器や昔の人の暮らしを色々教えてくれた

自分の家と思っていつでも遊びにいらっしゃい

遊びに行ける家ができた
その事がとてつもなく嬉しかった
借用した本をむさぼり読む
古代人への憧れが益々強くなっていった

実際に遺跡の出た場所に行ってみたい
数野さんからいただいた資料から
板橋区志村の小豆沢(あずさわ)から、土器が発見されたと知る

板橋ならなんとか行けないこともない
ずいぶんたったが、ようやく9月末になり出かける機会を得た

この辺の筈なんだけど・・
誰に聞いても知らないと言う
あきらめて帰ろう
喉がひどく渇いたので、水をもらえないかと一軒家に声をかけた

へえ、遺跡かい。おかしなものが好きなんだね
奥からおかみさんらしい人が出てきてくれた

そういうと、うちの裏の畑を掘ると
貝殻がたくさん出てきて、その中から焼き物のかけらも出てくるわよ

えっ。ど、どのような焼き物ですか

いくつか取ってあるなあ
あったあった

一目で縄文土器の破片だと分かった
何度も何度もなでまわし、ながめつづけた

欲しけりゃあげるよ。掘ればまた出てくるから
何度も礼を言い、土器が出た場所にも連れていってもらった

感無量だった
古代人の一家団らんの場所

続きはシリーズの次回

[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)

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