15代慶喜、天才過ぎて

さあ、徳川将軍シリーズラストです。

言わずと知れた慶喜(よしのぶ)になります。

慶喜
慶喜の話をすることは、幕末の話の何割かを占めるわけで
とても一回のコラムで終わるわけはありません。

完全に特別な人です。

最後の、というだけでも興味がわきますが
調べれば調べるほど、
何なんだろう、この人は。

奇っ怪な言動と行動。

ただ、よくよく考えていくと
実は一貫した考えに基づいている。

今日は、慶喜の一回目として
11歳から始めます。

水戸
慶喜は、水戸です。
徳川斉昭(なりあき)の息子
御三家のひとつとはいえ
尾張、紀州と比べるとひとつ格下。

慶喜11歳の時、
斉昭のもとに老中筆頭の阿部正弘が訪れます。

慶喜さん、一橋家に養子に行ってもらえんやろか

将軍になるには、御三家より、御三卿(田安家、一橋家、清水家)の方が優先。
御三卿とも跡継ぎがいない。

当時はまだ、12代家慶の時です。

阿部正弘の頭の中では
もうすでに、将軍継嗣問題が始まっています。

家慶にものすごく気に入られます

今度の鷹狩りに連れていきたいんだけど
さすがにそれは。

特別な鷹狩りで、世子が行くと決まっているもの。
後を慶喜に譲りたかった。

息子、家定はいるんですけどね。

3つのキーワード
慶喜の変さを読み解いてくキーワードは3つなんだと思っています。

1.頭が良すぎる
2.水戸学
3.権力欲のなさ

頭が良すぎる
出来ないことがない。
生まれながらの天才。
頭脳もそうだけど、例えば投網。
魚とる網をパッと広げる。

あれやってみたい

いえいえ、投網三年て言いましてね。
素人には全くできるもんじゃありません。

それから毎日練習。

名人も驚く広がりっぷりができるようになった。

一ヶ月で出来ちゃったよ。

大体何でも見てるだけでさっと出来るようになり
回りをビックリさせた。

頭の回転の早さは超一流。

良すぎたんですね。
回りの人たちが言っていることにイライラしちゃうのかも。

何度も、絶好のチャンス、ということが訪れるんですけどね。
結局、自分から壊しちゃう。

水戸学
水戸藩ってとても不思議な藩。

第二代の水戸光圀以来、独自路線を進む。

水戸学っていうんだけど
一言で言うと
幕府が嫌いで、朝廷大好き。
宗教も、徳川家の仏教の中で唯一、神道

秘密の言い伝えがある
もしもの時には、いさぎよく京につくべし。

水戸で教育を受け、
本人も実に水戸的。
だから、大奥には徹底的に嫌われるんですが。

これを頭においておくと、なんとも彼の行動は一貫していることが分かる。

権力欲がない
これ、とてもイメージと逆なので、ビックリしちゃうんだけど
そう言われると、ってことが何回もある。

頭が良すぎるので、
他の人の間違いに気付きすぎて
ほっとけなくてしゃしゃりでるんだけど

いざとなると
権力の座につくことに極端に抵抗する。

不思議
明治維新って
結局のところ、この3つのキーワードの慶喜だったから

色んな場面場面で
そこ、そんなにすんなり?
そこ、逆行くか
そこ、逃げるなーー

井伊直弼
では、序盤のハイライト。

ペリー来航後
井伊直弼が勅許(ちょっきょ)を得ずに
日米条約に調印しちゃいます。
ここは、いきさつも言い分もあるので、一旦省略ね。
勅許って、天皇の許可ってことです。

3つのキーワードからしてカーッときた慶喜
調印の5日後に、文句を言いに登城

井伊直弼は大老。
行政の実質的総責任者。
将軍でもない慶喜に何かを言われる筋合いではない。

井伊直弼をベタ誉めする前置きが終わり、本題へ
打って変わって、立て板に水を流すがごとく
責めまくる。
全て、具体的事実をいちいち示し、
一つ一つ、井伊直弼の返答を求める。

ただ、ここは老練、井伊直弼。

恐れ入り奉りまする。
なにぶんにも恐れ入り奉りまする。

それしか言わない。

さあ、こまった。

とうとう、話題を変えざるを得なくなった。

御養君のことであるが

口が滑った。
こんなことを言うつもりはなかった。

御養君、すなわち次期将軍

自分を推す一橋派と、
井伊直弼を中心に紀州の家茂を推す南紀派に別れて大騒動。

こともあろうに当事者本人が
相手方のボスに切り出す話ではない。

言いかけてしまったから、続けないといけない。

聞くところによると、紀州殿に

左様でござりまする。

めでたい。私どもも力をつくし、幾久しくご奉公いたしたい。
自然に喜びを表現した。

権力欲のない慶喜のなせるわざ。

とはいえ、一橋派からすると
何てことを言ってくれるのか。
苦労して苦労して画策を重ねたのに。

そして
ご存じ井伊直弼の、安政の大獄が始まる。
一橋派はことごとく弾圧をうける

慶喜は、まず登城停止の処分。
ひたすら詫びたあの日から半月もたっていない。
そして、その後、隠居慎(いんきょつつしみ)
屋敷全体を牢にするということに等しい。

ただですね。
この人にかかると、隠居慎も読書三昧
理論家に磨きがかかる。

そして、一年半後のひな祭りの三月三日。
旧暦なので、実質4月初旬
雪が降りしきる。
異常気象。

江戸城のウォーキングイベントで、みんなで寸劇やりましたよ。
桜田門外の変。

その後
一年がたった。
以前として、隠居慎。

誰が処分を解いたらいいもんか
ほったらかし。

今しばらくの辛抱ですよ

いや、それはおかしい。

慶喜の理屈としては、
井伊直弼が殺されたから処分が変わるというのは
国としておかしい。

それなりに、屋敷の中でも多忙。
読書をはじめとして
書画、馬の生理の研究、身辺の女性の体の研究
時にはカンナやノコギリを持ち出して、屋敷の修繕。

この続きは次回にね

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