ひとりでお出掛けと、みんなでお出掛け

テレビの、あめとーーーく、で ひとり旅大好き芸人というのをやっていた。

ひとり旅が大好きな芸人が10人ほど集まって
ひとり旅の楽しさをみんなで言い合う。

いつもの、あめとーーーく のパターンですが
面白いことに、この回は、いやあみんなでの旅でしょう
という側に2人揃えていた。
いつもはその席はひとりと、番宣を兼ねた可愛い女の子がひとりなんだけど
フットボールアワーの後藤と、ジュニアさん
強力なの揃えたねえ。

ということで、いやいやそうじゃないでしょ側が、前半押し気味
後半は、盛り返していくんですけどね。

みなさんどうですか
テレビ番組の話なんて取り上げたのは
思いっきり共感できたから。

みなさんどうでしょう。

私の場合は、お金がないというとても大きな理由により
東京近辺のウォーキング。

ひとり旅と、みんなでワイワイ旅を
ひとりでお出掛けと、みんなでお出掛け、に置き換えて聞いていました。

私として、結論で言うと両方。
どっちかじゃなくて、どっちも

ひとりでお出掛けは、
みんなでお出掛けというウォーキングイベントのための下見という形になる。
完全にセット。

ジュニアさんや、後藤さんが言っていたように
どっちが楽しいかと聞かれれば
みんなと出掛ける方が楽しいに決まってます。

感動を共有したい。
よぉぉぉく分かります。

もっと言うと、みんなと会えるだけでどれだけ楽しいか。

良い景色を見たとき、おおおっ、すげえなあ
って、声あげるのはみんなでいるときでしょうって。
終始黙ってお出掛けして、ほんまにおもろいんかいな
かっこつけてるだけちゃうのん、って

分かるわ、その意見

ひとりお出掛け
じゃあ、ひとりお出掛けは何ですかって

みんなでお出掛けの方が楽しいに決まってます、って言うんだったら
それだけでよろしいやん

まあ、でーこんの場合はイベントの下見が必要だということなら
仕方なくって意味かい?

いえいえ、とんでもない。

ひとりお出掛け、の反論が始まります。

結論から言ってしまえば
1で生きるか10で生きるかの問題。

ひとりお出掛け派のほとんどの人が言っていたメリット。

ちょっとでも時間が空いたらすぐにでも出掛けられるんです。

テレビ見ていて拍手しちゃいました。

特に私の場合、土日はカミさんが仕事の事が多いので
カミさんが仕事に出たぞと。
早い話が目を盗んでお出掛けする必要があります。

良く言っている隙あらばお出掛け、です。

この前の、休日出勤の前の午前中だけとか
仙台出張のときの、仕事前の早朝とか
東栄のカミさんの実家に行った翌日の早朝とか。

そういうときにお出掛けするのに、みんなでなんて行ける訳ありません。
全くスケジュール調整とかのない世界

さっきの、おおおっ、すげえなあ
の話で言うと
確かに声をあげることはない。
でも、心の中で、思いっきりでかい声で
おおおっ、すげえぇぇ
って叫んでおります。

毎回、隙あらばお出掛けのあと思うことがあります。
ああ、来て良かった。
得したぁ

みんなで行った方が面白いって言ったって
そんな機会がどれだけ訪れるの?

お勧め
折角ブログをやっているので
自分が面白いと思うものはお勧めしたいなと。

こんな事言ってますけど
たった2年半前の18kgダイエットまでは
ひとりお出掛け?
みんなでお出掛け?
どっちもしたことないなぁ

家族以外では全くの未経験でした。
ひょっとしてそういう人結構いるんじゃないかなぁ
まあ、家族では出掛けるんだから、良いじゃないの
と言われれば、まあそうですけど。

ダイエット後、急にインドア派がアウトドア派に180度変わっちゃった。
やってみて分かったのは、
楽しむと楽しい、ってこと

何それ、言葉を言い換えただけじゃない、って思うかもしれないけど
やってみて初めて分かった。

楽しいと思うためには
楽しむという積極的な行為が必要で
無理矢理にでも、楽しむ、ということをすれば
間違いなく100%、楽しい、がやってくる。

楽しむ、と、楽しい、は相乗効果を発揮しつつ
どんどん高度になっていく。

私の場合、お出掛けというウォーキング
せっかくウォーキングするんだったら
より楽しめるよう、行き先の見処の歴史的背景も分かっていた方がいい
ってことで、歴史に興味を持つようになった。
ウォーキングコースの中には、神社仏閣ってどうしても入ってくる
今だから、言うけど、神社仏閣って、何が楽しいのかねぇ
と思っていた。
でもせっかく行くんだったら、ちょっとでも楽しめるように
信心なんてないくせに、仏教の勉強をしてみたり
仏像の見分け方なんて分かり出したら
神社仏閣って、どんだけ楽しいねんって

おおっ。ほんまにお釈迦様の両脇に
普賢菩薩と文殊菩薩がいて、白い象と、青い獅子に乗っとるがな

松平信綱の勉強をしたりすると
この前、平林寺で松平信綱のお墓、さっと過ぎちゃったなあ
勿体ない事した。もう一回行きたい

昔は「暇つぶし」などという言葉を使っていた。
今じゃ、ああ考えられない、あり得ない。
暇なんて時間は全く存在しない。

人生1で生きるか、10で生きるか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です