御三家と御三卿

将軍及び名参謀シリーズをやっていると
大きく関わってくるのが御三家、御三卿

この視点で調べ直してみるか

御三家はどこで何のため?
今さら何て質問するの?
尾張、紀州、水戸に決まってるじゃない。
徳川宗家の血が途絶えたときに、御三家から将軍を出して補完するため。
将軍のスペアって事ですね。

基本の基本のようだけど
本当にそうだろうか。

15代の将軍。
次は誰にしようという時に、最後まで完全に守り抜かれたルールがある。
「血が一番濃い人」
前将軍、の息子で生きているもののうち、一番年長者
当時、大人まで生きていることがかなり難しかったので
何男かは別にして生きているものだけで考えて
実質長男という言い方をさせてください。
そこに候補がいなければ、もうひとつ前にさかのぼって。

徳川宗家の血が途絶えた事が何度かありました。
その都度、後継者争いが活発化するんだけど
「血が一番濃い人」ルールは、
結局一度も破られたことが無かった。

とすると、御三家って、意味あるの?
ってことになる。

どういうことか。

将軍に何人か息子が産まれたとする。
実質長男だけ残して、実質次男以降はどこかの藩に養子に出さされ
そこの藩の藩主になる。

その時点で、御三家にちゃんと跡取りがいれば
御三家に出される訳ではない。
例えば、 館林藩だったり甲府藩だったり

とすると、血が濃いのは、御三家より
館林藩だったり甲府藩になる。

御三家は
家康の、子や孫くらいまでは意味を持っていても
代が重なっていく度に、血が薄くなっていく。

最初に徳川宗家の血が途絶えたのが4代家綱の後。
実質次男だったので館林藩に養子に出さされていた綱吉が
徳川宗家に養子に入って、5代将軍となる。
綱吉にも、息子ができず

甲府藩に養子に出されていた
先に死んじゃっていたお兄さんの息子
即ち、甥っ子が徳川家宣(いえのぶ)として徳川宗家に養子に入って6代将軍となる。

もし、将軍のスペアを御三家と呼ぶとするならば
御三家は、館林藩や甲府藩ということになる。

じゃあ、もう御三家、尾張、紀州、水戸は解散?

いえ、奇跡的に復活します。
甲府藩から来た6代家宣には息子はできたが
その息子7代家継には子供が出来ないうちに死んでしまう。
ああ、また途切れた。

もう、甲府藩からも、館林藩からも養子にもらいなおしてますから
血の濃い人は残っていません。

さかのぼってさかのぼって
随分さかのぼって、とうとう家康のところまでさかのぼりました。

ここまでさかのぼると、尾張、紀州、水戸が意味を持ってきます。
家康の実質次男が起こした尾張家
実質三男の紀州家、実質四男の水戸家

そこから今度下っていって、御三家の候補者のうち
現在生きているものの中で、誰が一番家康からの血が濃い?

それが吉宗だった。
吉宗は、紀州徳川家から徳川宗家に養子に入った。

ようやく御三家の出番。

御三卿
吉宗は当事者なので
このシステムの危うさが分かった。

さらに、御三家の尾張家が自分に反抗的なのも気になった。

さらに、気になったのが、実質長男、家重のこと
とても将軍がつとまる人物ではない。
この後すんなり行くイメージがわかない。

システム変えちゃおう。

実質次男以降は、他藩に養子に出す
このルール変えちゃおう。

実質長男が継ぐ
このルールを変えたら大混乱になる。
今までの日本の歴史の中で繰り広げられた
兄弟同士の殺し合いが再発するやもしれん。

実質次男以降は、分家はしよう。
でも、他藩に養子に出すのはやめて
キープしとこう。

御三家が、〇〇藩というのに対し、
御三卿は、〇〇家というのはそういう意味

田安家 宗武(むねたけ) 吉宗の実質次男
一橋家 宗尹(むねただ) 吉宗の実質三男

あれあれ?
御三卿なのに2つなの?

御三卿は、後の呼び方。
吉宗としてはこの二人に家を立ち上げさせた。

じゃあ、私もってことで
長男の9代家重が、真似する
清水家 重好(しげよし) 家重の実質次男

これで御三卿

何するの
藩の経営はせずに、使命としては将軍のスペアに徹する。

住んでるのも江戸城の中。
彼らの子孫も、ただ家を継いで、将軍のスペアとなることだけ。

最初は給料制だったんだけど
それもなんだし、ということで
幕府直轄領の中で、ここは〇〇家の分ね
藩、って扱いではない。

吉宗のやりたかったこと
要は、自分の子孫だけで、将軍を回していこうと。

藩って、合衆国みたいなもんだから
意識としては、徳川宗家とは別の国
何かと反発する尾張藩を見て、そう思ったんでしょうね。

とは言え、あんまり増えすぎてもね。
3つ以上に増えちゃうようであれば
藩に養子に出てます。

ひとつの例が松平定信。
白河藩に出されて、将軍になりそこなった。

もうひとりの例が、清水家から紀州藩へ養子に出た徳川斉順(なりゆき)
この孫が、あの14代将軍、家茂(いえもち)

結論から言うと、吉宗の思惑は成功し
最後まで、吉宗直系と御三卿だけで回ることになります。

このあと、シリーズで
御三家と御三卿をひとつづつ取り上げていきますね

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