人に好かれる文章を体調の良いときに

中谷彰宏さんの書かれた「好かれる人が無意識にしている文章の書き方」という本を読みました。

私はいわゆるハウツー本は一切読みません。
若い頃は色々読んでいた気もするのですが
いつ頃からか全く読まなくなりました。

結局役には立たないということが分かったからなのか
反省することが嫌いな性格だというのが大きいからか。

その私がどうしたことか
本屋でこの本を手にしちゃいました。
よっぽど体調が良かったんだと思います。

帯に書かれていた
「ありがとうございました」より、「ありがとうございます」と書く人が好かれる。

えっ、何で
どういうこと?

あまりに売れている人で
物理的にそんな量書けるはずないよね
というくらい本を書いている人なので
どうなの?とは思っておりました。

意外や意外
あっ、良いじゃないですか、良いじゃないですか
人を傷つけないという基本的考え方にはとても共感できます。
やっぱり、売れている人には理由があるのか

でも、共感の10倍くらい
ですよね
すみません
やっぱりそうなんですか

心の中で謝ってばかり。

はい
体調の良いときに直そうと思います。

そもそも、人に好かれる文章を書こうと思っていないし
と、開き直ろうとして
いかんいかん、この態度が良くないのね

反省なんてした分には、楽しく生きられません

ただ、体調の良いときというのはあるもので
その時ぐらいは、
人に嫌われる文章を書いていないかチェックした方が良いでしょう。

ということで
その時に覚えておいて読み返せるように
覚え書きを、何回かで書いていこうと思います。

あくまでも自分へ向けての覚え書きです。

ありがとうございます
「ありがとうございました」より、「ありがとうございます」と書く人が好かれる。

これ、気にしなかったなあ

確かに一瞬迷うことは多々ありました。
でも選択はその時の気分。

「ありがとうございました」は冷たい言い方です。
ここでいったん、関係が終わるような感じを与えてしまいます。

なるほど、言われてみればそういう印象を持ちます。

こういうところです
言われてみればそうだけど、自分では全く意識していない
そういうのが、文章の中にポロポロあって
結果として、何だか嫌な感じの文章になるんでしょう。

お詫びをするときも、「申し訳ございませんでした」ではなく「申し訳ございません」
これ重要です。
「申し訳ございませんでした」は
もう分かりましたよ
謝っているんだから、これ以上は言わないでね
って感じ

「面白かったです」も「面白いです」
これなんて意識しないと絶対使っちゃいます。

文章は長いのはだめだということなので
今回は一テーマだけにします。

今後も紹介していきますね

総じて、とても良い本

なぜなら、一気に読めて
反省を促されるのに
嫌な感じが全くしない。
タイトルそのままです。

信用できます。

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花かんざし

花カレンダー始めました

[名僧] 空也。口から変なものが!

名僧シリーズ

空也(くうや)
903~972年

平安時代って、最澄と空海の印象があまりに強いので
鎌倉時代までは何かあったっけ的感覚があるけれど
どっこい、鎌倉仏教全盛期の種は、平安時代に始まっています。

空也
なんか聞いたことあるなあ、何宗だっけ、と思いますが
この人が宗派を開いてはいませんし
どこかの宗派に所属している訳でもない。

一応天台宗ということにはなりますが
超宗派という要素の方が強いでしょう。

念仏というものの印象を大きく変えた人なので
後の鎌倉仏教の浄土系宗派(浄土宗、浄土真宗、時宗等)のベースを作ったと言えるでしょう。

庶民にとって、それまでは、念仏(南無阿弥陀仏)って縁起が悪いというイメージがあり
嫌われていたんだけど
空也以降は、積極的に念仏が唱えられるようになります。

飛鳥時代から、平安時代、鎌倉時代という大きな流れの中で
大きなイメージでいうと、飛鳥時代は国家のための仏教
平安時代は貴族のための仏教
鎌倉時代で初めて、庶民のための仏教になったと言える

もちろん、最澄も空海もそれで良いと思っていたわけではないけれど
現実的には、そこまでしか広がらなかったという意味

やるからには出来るだけ広めたいのは人情でもあるので
色んな人が庶民にも広まるよう様々な工夫を重ねます。

空也は念仏に着目しました。
長いお経を唱えるより
「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」(阿弥陀仏を信じます、の意味)

たった6文字
お手軽です。

彫像
空也と言えば、この彫像ですね

子供の時、教科書で見てとても奇妙に感じた

口から何か出ているぞ
気持ち悪っ
げっぷかなあ
病気なのかなあ

なななんと、阿弥陀仏だったんですね
ちっちゃな阿弥陀仏が6つ
病気より怖い気もしますが
6つというのは、南・無・阿・弥・陀・仏
の6文字を表しています。

六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)にある「木造空也上人立像」
他にも荘厳寺、月輪寺、浄土寺にあって、全部、国の重要文化財

一様に首から鉦(かね)を下げ、
鉦を叩くための撞木(しゅもく)と鹿の角のついた杖をもち、
草鞋履きで歩く姿を表す。
6体の阿弥陀仏もね

阿弥陀聖(あみだひじり)と呼ばれたり
市聖(いちのひじり)と呼ばれたり

彫像を見る限り、貧乏な格好をしているので
金には目もくれず、庶民のためだけに一生を捧げたイメージですね

でも、別の側面も持っています。
仏教を広めるためには、お寺も必要だし、仏像もいっぱい作りたい。
貴族に働きかけて、お金をいっぱい出してもらっています。

天暦4(950)年には大般若経600巻の書写を発願。
応和3(963)年には金ぴかで水晶が合計1200個という超デラックスなお経も作り
600人の僧を呼んで盛大な法会を行っています。

これらのお経と十一面観音像を納めたのが
今の六波羅蜜寺です。

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ローズマリー

花カレンダー始めました

植物は憶えている

植物の感覚シリーズとしては最終回になります。

記憶
植物は、例えば木であればとても長く生きるので
昔の色んな事を覚えているだろう
絵本では、老木は昔語りをしてくれます。

さあ、果たして、植物には記憶というものは存在するのだろうか

エンドウマメのまきひげ
最初に記憶らしきものを立証したのは、マーク・ジャッフェ

エンドウマメのつるがものに巻き付く仕組みに興味を持った。
ジャッフェと豆の木ですね

巻き付く対象を見つけるまでは真っ直ぐ伸びて
対象を見つけるとくるんと回る

十分に真っ直ぐ伸びたつるを用意
途中から切り取っても
巻きひげの部分にさわっただけでくるっと回ることを発見した。

この実験を明るいところと、真っ暗なところで行ってみる
すると
明るいところではくるっとなるのに
真っ暗なところではくるっとならないことが分かった。

巻き付く仕組みには光が関係している事が分かった。

おおお、そうなのか

問題はここから

実験で使った暗い場所に置いた豆のつる
もういいやと1~2時間後に明るいところに出したら
どこにも触っていないのにくるん

さっき触られた事を覚えているのね

記憶の立証
このあとも続々と、覚えていると思われる実験が
色んな実験に付随される形で発表される。

このシリーズで紹介した色んな実験にも含まれます。

例えば、ハエトリグサはひとつめのひげに触られた事を覚えていて
二つ目のひげに触られた時、間の距離で獲物の大きさを判断する

タバコの草は最後に見た光の色を知っている

どうも覚える事ができるのは間違い無さそうだ

そうなると、興味は、次の段階へ
どういうものをどういう方法でどれくらい覚えられるのか

短期記憶
ハエトリグサの記憶の仕組みが、時期の異なる数人の学者により解明された。

答えから言うと「電気」だった
ここでいう電気とは電荷、言い換えるとカルシウム濃度の差

ひとつめのひげに触られた段階で電気が起き、周りに伝わっていく
二つ目のちょうど良い場所でちょうど良い時間に触られると
二つが総合されて判断される

時間は20秒
それ以上になると拡散し「忘れて」しまうことになる

長期記憶
もう少し長期での記憶はないのだろうか

これは、桜が春に咲く仕組みに関わっている

ここで関連してくるのはDNA

DNAって良く見る絵だとねじれている配列ですね

配列自体が記憶だと言ってしまえばそうなんだけど
その配列は、記憶というよりは一生ものですね

この配列を記憶にも利用していることが近年分かってきた。
「エピジェネティクス」というらしい

配列はねじれていますが
普通にねじれているのと、「ものすごい」ねじれているのがあるんです。

「ものすごい」ねじれているとそのあたりの遺伝子情報は読み取ることが出来ない。
「どこどこでものすごくねじれているか」が記憶となる

春と秋は同じぐらいの気候だけど
冬を経過すると、花咲き遺伝子のねじれが解放される
逆に夏にはまたねじれる。
だから秋には花は咲かない。

桜が咲くメカニズムはそれだけではないんですが
この冬の記憶も関連している。

若いときにストレスを受けた植物は、このねじれる仕組みで記憶をとどめ
それ以降の自分の形を変えていく。

さらにこのねじれ具合は自分だけではなく、次の世代にも受け継がれていく。

実は短期記憶の仕組みも、長期記憶の仕組みも
人の記憶の仕組みに同じものがある
もちろん、植物には脳はないので、脳を中心とした感情を伴う複雑な記憶システムがあるわけではない。

ただ、記憶はすなわち自らをより進化させようとする働きに他ならない。

今後の研究と共に、今後の植物の変化に要注目、となるかも知れない。

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カワラナデシコ

花カレンダー始めました

家康12 天下の愚策

[家康]11 秀吉との全面対決
の続きです。

家康も秀吉もお互いに向かい合って、柵を作って
先に出ていった方が負け、のにらみ合い

辛抱なら得意中の得意
派手な秀吉にできるまい
自分の一番自信のある土俵に引っ張り出した。

中入り
秀吉自身は次元の違う天才だが
秀吉陣営、ということになると話は別

家康なら、こうせい、と命令すれば済むところ
秀吉は、こうしてもらえまいか、とお願いする必要がある。
ほぼ信長の家来なので、言わば同列。

人数比較だと圧倒しているが
結束という意味では大きく劣る

池田勝入斎(しょうにゅうさい)が、秀吉に提案

中入りをやりましょう。

家康は、全力をあげてこの地にいる
本国の三河はがら空き
ここで夜間、隠密行動によって岡崎を突けば
家康は、慌てて戻ろうとするに違いない
そうすれば崩れたも同然
その役割私にやらせて下さい。

なるほど、と思いますよね
あり得る作戦だろうと

ところが、この作戦
過去のどこまで遡り、どんな兵法の本を見ても
一行も出てこない。

でも、信長の独自の発想で何度か実践し
全て成功した。
中入り
信長が初めてこの作戦に名前をつけた。

ところが、信長が行うと全て成功のこの作戦
それ以外の武将が使うとただの一度も成功していない。
天下の愚策
なぜ、信長だけ成功するのかがどうにも分からない。

現実につい最近、柴田勝家がこの中入りを使ってしまい。
秀吉にコテンパンにやられた。

もし、これが家康側でこの提案を受けたなら
「よせ」の一言で良かった筈

秀吉は、駄目な理由を説明し
説得しなければならなかった。

柴田勝家の時の例をあげても
信長の例を出されてしまう。

信長にのみ備わった特殊な能力が何であるか
言葉で説明できる筈もない。

結局押しきられる
総大将が、一武将に

ひとつしか方法がない。
信長以外で初めての成功例になること
とった方法が人数

池田勝入斎(6000)を先頭に
その娘婿の、森武蔵守長可(3000)
堀久太郎秀政(3000)
さらになんと自分の甥の秀次(8000)まで加えた。

いかに不安だったか

悟られないよう、夜中に音をさせずに山中を進む
山中をなので一列にならざるを得ない。
2万人がです。
可能だろうか

家康の元に報告が入る

おかしいあり得ない
そんな天下の愚策を秀吉が取ろう筈がない
偽情報を流してはめようとしているに違いない

ところが、別のルートからも情報が寄せられる。

本当だ。

思いきった行動に出る。
6500のみを小牧に残し、13500を
自分自身が率いて、そちらにシフトする。

ちなみに、小牧には秀吉の兵がまだ6万も残っている。

蛇のように伸びた秀吉別動隊
夜中のうちに家康隊が追い付く

驚くべきことに、しんがりの秀次軍は、現場の諜報活動を全くしていない
家康軍が近づいていることに全く気付いていない

油断している蛇の尻尾にカプっと食い付く。

ビックリした秀次軍の兵たちは
戦おうという発想に至らなかった。
どう逃げるか

蜘蛛の子を散らしたように逃げまどうのみ

秀次自体も命からがら逃げ出す。

残りの3部隊に関してはそこまで一方的ではなかったが
池田勝入斎、森武蔵守長可の首も取った。

とは言え、小牧は家康側で残った兵が6千500で秀吉が6万
家康自体もいないから
一気に攻めればいくら柵があっても破れていたやも知れん

驚くべきことに
家康側で動きがあることに
見事に全く気付いていない

相変わらず出たら敗けの根比べを継続していた。

そして家康が小牧に戻る

そのまま、また、根比べが始まった。

家康が挑発行動に出るも、秀吉は乗らなかった。

そして、秀吉は動いた。
織田信雄(信雄)領のいくつかの城や徳川領のいくつかの城を別に攻めさせ
ことごとく潰していった

自分は小牧で、工事に着手した柵をより強固なものにするべく
堀を掘り、土塁を積み上げる。
大工事が完成すると
なんと秀吉は、大阪に帰ってしまった。

さあ、どうなる

この続きはシリーズの次回ね

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カワヅザクラ

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