護国寺に行ってきました。さすがは桂昌院

ずっと護国寺に行ってみたいと思っていたんですが
今日、行ってみました。

ウォーキング同好会のイベントにすることも考えてのことです。

地図

護国寺の前に
護国寺の前に
雑司が谷旧宣教師館にも行こうと思ったんですが
ちょっと道を間違いました。

おっと、もうすぐそこが雑司が谷霊園ではないか。
有名人の墓がいっぱい。
夏目漱石の墓だけでも、見ていくか。

初めての場所なので
ポケモンGOもやりながらです。

改めて、このポケモンGOって良いかも。
ちっちゃな名所にもかなりポケストップが配置されている。
その場所に行かないとクリクリ出来ないけど
えっここに、菊地寛のゆかりの何かが有るの?
みたいに。

子供が歴史や文化に興味を持つかもしれません。
小学生が、清士鬼子母神って小さな神社でクリクリしていた。

結局夏目漱石の墓は見つからなかった。
まあ、いっか。
次行こう。

護国寺に行く前に
目標のレベル5になりました。
当初の予定通り。
ポケモンは、ハイ終了!

護国寺
5代将軍、綱吉のお母さん桂昌院の作ったお寺です。
思ってたよりかなり大きかったですね。
池袋のすぐ近くにこんなでかいお寺があったとは。

大仏もあるし、
本堂にも入れました。
静寂の時を過ごすことが出来ました。

三条実美(さんじょうさねとも)と大隈重信(おおくましげのぶ)の
お墓も有った筈なんですが不覚にも見忘れました。

桂昌院の話は前にしましたが
若干の補足をしつつ、おさらいです。

桂昌院
もともと信心深かったお玉(後の桂昌院)は
ラッキーが重なって、ただの八百屋の娘だったのに
将軍の母にまでなり得ます。

玉の輿の言葉の由来ですね。
シンデレラストーリー。

たまたま将軍家光にお会いできた、お梅(のちのお万)にただついていったお玉
お梅が将軍の目に止まる。
帰らず、ここにおれ、ということで京都に帰れなくなる。
お玉もそのまま江戸の大奥暮らし。
さらに偶然が重なって、お玉自身も、家光のお目に止まる。

授かったのが男の子。
でも四男なので、お世継ぎとはならず、外に出る。
ところが、4代家綱がお世継ぎに恵まれないまま死去。
他の兄弟も、その時点で亡くなっていた。
養子として舞い戻ってくる。

全てのラッキーは信心深かったことへのご褒美。
恩返しせねば、と考えた桂昌院は、護国寺をたてたわけですね。

超マザコンだった綱吉も全面的に支持。

それだけではなく、日本各地の神社、仏閣の修復、復興に力を尽くします。
東大寺大仏殿、法隆寺、唐招提寺、新薬師寺等々。
また、全国の没落した小さな寺の復興にも尽力。
その数100余り。
生活に困っている人たちに米を支給、病気の旅人が無料で治療を受けられるようにした。

要した費用は、70万両(現在の価値で1400億円)これまで蓄えてきた幕府の資産の3分の1をつぎ込んだのです。

さらに、この親子は幕府の考え方を全面的に変えた。
人を殺してナンボ、の武士という世界。
そこに、仏教の慈悲という世界を持ってきた。

そしてすばらしい法律を作った。
人は殺してはいけません。

武士はどうすりゃいいんでしょう。
すごい方針転換ですね。

実際に、切り捨て御免はそれ以降の江戸時代で一切行われていない。
何らかの理由で、切っちゃった武士はちゃんと裁かれています。
手始めに、見せしめ的に行われたのが
浅野内匠頭の刃傷沙汰で、即日切腹

この法律、おまけに、
人は殺してはいけません
の後ろに
動物もね
とついていた。

長くなりましたので
生類哀れみの令が
元々はとても良い法律だったっていう話は
綱吉の時のコラムを見てくださいね。

占春園
次目指すのは、占春園(せいしゅんえん)という庭園
教育の森公園とかの一帯の中心にあります。

行くと、閉まっている。
木が倒壊して危ないので、当分の間ここは閉鎖します、とのこと。
仕方ない、逆側から入るか。

ぐるっと回って
この辺かなあ。
あれっ、おんなじ看板。
ということは入り口の問題ではなく
占春園全体が閉鎖なのか。
期待していたばかりに、がっかり。

まあ、いっか。

相変わらず、立ち直るのが早いのは自慢です。

占春園は閉鎖でしたが、
横の窪町東公園はとても良い公園でした。

東京大学総合研究博物館小石川分館
ビックリしました。
この長い名前のところ。

小石川植物園の敷地内にありながら、
別に仕切られていて、
小石川植物園は400円なんだけど
ここは無料。

分館という名前といい、ここだけ無料ということといい
なめてました。

はっきりいって、今回のお出掛けの中で
一番衝撃的でした。

芸術でした。
私の中で、イビキをかきながら眠りこけていた芸術心
揺り起こされました。

ガーンってきた。
絵画でいうと一番好きなのはミロでした。
抽象的な方がわしづかみにされる。

一角に訳の分からないオブジェが有って

立ち尽くした。
えっ?えっ?ってぐるぐる回って、ぼわーんとなって

ごめんなさいね。
なんせ、説明できる代物ではないんで。

良かった。
良い発見。
私はまだ、この手のものに感動できるんだ。

小石川植物園
ここも江戸時代に重要な意味を持っている場所。
綱吉の屋敷でしたが
吉宗の目安箱で採用された改善案。
投書したのは、小石川伝通院前で 町医者を開業していた小川笙船(しょうせん)。

小石川養生所が作られ、
多くの貧しい人が助けられた。

別世界でしたね。
今日は、それほど暑くはなかったけど
この中は完全に森で
涼しかった。
あの木も、この木もどでかかった。

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江戸より江戸。深川に行ってきた。

昨日は3連休最終日。

ウォーキング同好会のイベントの下見として
深川に行ってきました。
駅で言うと、半蔵門線や大江戸線の清澄白河。

江戸や徳川将軍を調べていくなかで、田沼意次が好きになり
そのライバルでありながらも、魅力的な松平定信が好きになった。
地図
清澄白河
清澄白河に行ってみたい。
清澄白河ってなんで白河ってついているかというと
松平定信が白河藩(福島県)だから、というくらい
松平定信のゆかりの地。

まずは霊厳寺。
松平定信の墓があります。

そして、そのすぐ横に深川江戸資料館。

深川江戸資料館
両国の江戸東京博物館があまりに良くて、
ウォーキングのイベントでもたっぷり4時間は使った。

こっちもどうしても行ってみたかった。

深川恐るべし。

予想通りたっぷり2時間でした。

よう出来てる。
各家のバランスもものすごい良くて
一通り、大体の江戸庶民の暮らしが網羅されている。

江戸東京博物館の、あのどでかい展示スペースに比べると
5分の1くらいだろうか。
でも、天保年間(11代家斉の一番最後)の深川佐賀町の町並みに限定し
忠実に再現しているから。
とても分かりやすくなっている。

ウリの、どでかい火の見櫓の実寸大再現は迫力抜群だし
蔵も船宿も見事だった。

最近読んだ本で
深川の人、特に女性はプライドと競争心を持っていた、
というのが分かる気がする。

深川は、最初江戸に入っていなかった。
発展していくのは、綱吉の元禄期に永代橋がかかってから。
最初は隅田川を越えるだけで、川向こうの田舎もんとバカにされていた。

深川芸者とかも出来て、
武士や裕福な商人相手に娯楽地としても栄えていくわけだけど
深川芸者は共通して羽織を着ている。
芸は売っても体は売らないって証。

海に面していて、木場があるってことが大きい。
職人も多かった。
どこみてあるいてんでぇぃ、このすっとこどっこい
って感じ。
粋といなせの話は以前しましたが、
粋よりはいなせに近い。

江戸に大火事でもあれば、
木材は大儲けになる。
末端の庶民たちまで恩恵に被っていたかは分からないが
江戸の中でも一二を争うでっかい火の見櫓や
瓦を見たとき、地域全体としてはそこそこ裕福だったのかもと思った。

明歴の大火以降、何度も大火に見舞われて
どうせすぐ焼けちゃうからと
瓦は諦めて板ぶき屋根にしてたはずなので。

清澄庭園と松尾芭蕉ゆかりの地
そのあと、清澄庭園と松尾芭蕉ゆかりの地に行ったんですが
良かったなあ。

清澄庭園の石はものすごかった。
石好きにはたまらないでしょう。

鯉もでかかった。
今まで見た中で間違いなく一番大きい。

最初見たときマグロかと思った。
嘘です。

松尾芭蕉も良かったなあ。
川崎でのウォーキングイベントで
松尾芭蕉の句碑があって
投稿ポストがあったので
みんな一句入れようよ、と言ったんだけど
結局私しか入れなかった。

その反省を踏まえて
今度はイベントの時
もうちょっと面白いこと考えてますよ。
イベント終わったら報告しますね

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貨幣博物館に行ってきました

暑いですね。

ウォーキング同好会としては、この時期に
どういうウォーキングイベントを立てるかが悩みどころ。

うちの知恵袋、Sさんに、
午前中のみで終わらせられるコースを考えてみてくれないかな。
と、無理難題をお願いしました。

Sさん、さすがです。
天才っ。
神田から日本橋までのコース。
日曜日、Sさんと下見をしてまいりました。
地図
神田
私としては、神田はどうしても行きたかったところ。
神田明神って、江戸を色々見ていくとどうしても外せない。
えっ、うそ! まだ行ってなかったの?
って言われそうですね。

私としては、隣の湯島聖堂(昌平坂学問所)も大興奮でした。
これも、江戸の歴史では欠かせない。
林羅山に始まり、綱吉が公営化。
松平定信の寛政の改革で、朱子学に限定され
明治維新では、いったんそこに文部省が置かれたものの、結局は廃止。
話題に事欠きませんね。

やっぱり行ってみるものです。
あの黒は良いわ。
迫ってくるような、それでいてずっしりと沈んでいくような。
どっちやねん!

ここで、そうそうたるメンバーがお勉強したわけです。

貨幣博物館
何と言っても、ピカイチは貨幣博物館ですね。
冷房もきいてるし。

ここまで、見処満載とは思いませんでした。
これで無料とは。

古代に和同開珎とかの貨幣が有ったのは知っていました。
そのあとも、ちょこちょこ。
708年から、958年まで。

ところが材料の銅が不足し
新たな銭貨が作られなくなった。
その間、実に600年。
秀吉の時代まで、政府はお金を作っていない。

これには驚いた。
どないしてたん。

さすがにこりゃ不便。
ってことで、中国のお金を持ってきて使ったりもする。

銭貨の形
ビックリしたんだけど、和同開珎をはじめとし、銭貨の形は
江戸時代が終るまで、全部一緒でした。

真ん中に四角い穴の空いている丸い形。
今の5円玉や50円玉は真ん中の穴は丸いですよね。
クイズにしましょうか。
さあ、なぜ四角いんでしょう。
答えは最後にね。

江戸時代の貨幣
江戸時代は金、銀、銭と3つの貨幣が併用され、
かなり複雑。
田沼意次も大きく絡んでくる。
また、改鋳という問題があり、
じっくり説明する必要があるので、
今日はここは飛ばしますね。

明治維新で
明治維新の文明開花好きの私としては、
ツキジホテルと並んで、第一国立銀行のとてもかっこいい建物
以前、これを調べたときに、
国立銀行とはありますが、国立ではなく私立です。
と、書いていました。
とても不思議だなあと思っておりましたが、謎が解けました。

国立銀行とは「国法によって立てられた銀行」の意味。
紙幣を発行することが許された。
最初4つだけだったのが、153まで増える。
一番から順に番号がついている。
第一銀行と第三銀行は合併を繰り返し、今のみずほ銀行。
第五銀行はこれも合併を経て、今の三井住友銀行。

そのあと、日本銀行ができて、紙幣は日本銀行券のみとなる。

◆◆答え◆◆

一旦できたあと、四角い木に通し、100枚くらい繋げる
そして回りをやすりで削りながら、きれいな丸にする。
その時にぐるぐる回っちゃわないように、四角い穴にしています。

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生まれて初めて、般若心経を唱えました

昨日は、ウォーキング同好会のイベントに参加しました。
谷根千1111円使い切りイベントの本番と
寛永寺の特別参拝
地図
谷根千1111円使いきりイベント
なんとピタリ賞が2人も。
私は2円残しで3位でございました。

寛永寺の特別参拝
いやあ、本当に良かったです。
大きく3つ。
根本中堂
徳川慶喜公の謹慎部屋
徳川将軍の霊廟参拝

全て、住職さんが説明していただけました。

若い住職さんで、ユーモアも交え、とても分かりやすい説明でした。

いろんな事全部よかったんですが、今日は、お経についてお話しようと思います。

根本中堂
まず、寛永寺の説明の前に、阿弥陀如来様に、よろしくお願いいたします、の意味を含め、お経をあげてからになりますと。
これが、特別見学ではなく、特別参拝である意味です。

住職さんが、お経をあげるのを聞いているのかと思いきや
資料の中に般若心経が入っています。

ここからは、一緒に唱えてください。

お経を唱えるということですね。
生まれてこの方、55年になりますが、初体験です。

以前座禅はしたことがありますが、お経を唱えたことはない。
ふりがながふってあるので、そのまま一緒に読み上げれば良いのです。

子供のころを思い出しました。
母さんのお姉さん、すなわち、おばさんがご詠歌とか、お経とかを唱えていた。
仏教のありがたいものだということまでは知っていたが、
その間、じっと黙っていなければならない。
子供としては、結構苦痛だった。

このおばさんは、何が嬉しくてこんなことをするんだろう、
そう思った。
一体、意味は分かっているんだろうかとも。

あの時から50年近くたっている。
まさか、自分がお経を唱えるという経験をするとは思わなかった。
ありがたい。
こんな機会でもなければ、お経を唱えることはなかったろう。
一生のうちで、お経を唱えたことがない人間のままで死んでいったのだろう。

もちろん、全く意味は分かっていない。
でもそういう人でもただ唱えればいい
それだけの力がお経にはある。…はず。

始まった。
一気に子供のころにタイムスリップする。
本家に親戚が集まる。
おばさんのお経。
古くて急な階段。
お線香の匂い。
妙で独特なリズム。
柱に貼ってある紙にいとこたちの名前
正純5才 で 横線
ご先祖さんの、額に飾られた写真

あっ、ここ知ってる。
色即是空、空即是式

はんにゃーはーらーみーたー。
これ、おばさんだ。
天国で喜んでくれているだろう。

これらの並んでいる漢字。
おそらくとてもいい事が書かれているのだろう。

ただ今は、自分がお経を唱えたということが嬉しい。
なんなんだろうこれは、と思っていた子供のころ。
急に時代が今に繋がって、今自分はここにいる。
そして、お経を唱えている自分に、しっくり来ている。

年齢を重ねるということはこういうことなのか。
おそらく、おばさんは普通の事をしていたのかも知れない。

なんだか妙に嬉しい時間だった。

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