大阪弁、その不可思議なるもの(イントネーション)

イントネーション
これも「大阪弁」の本に書いてあったこと。
大阪弁と標準語で、イントネーションが逆になる例
シチュエーションは馬を見つけてビックリしたという場面
関西では
「あっ、うまや」
うが高くて、まが低い
標準語では
「あっ、うまだ」
うが低くて、まが高い
同じ事が猿では
「あっ、さるや」
さが低くて、るが高い
「あっ、さるだ」
さが高くて、るが低い
馬と猿で逆転する。

読んで驚いた。
あり得ん!と叫んだ。
部屋の中で声を出して何度も驚いてみる。
ビックリした場面と書いてある。
「あっ、うまだ」
って何でそんなに落ち着いていられるのか。
場合によっては、逃げ帰らないといけないかも知れない。
うが低くて、まが高い?
そんな馬鹿な。
猿もそう。

翌日、みんなに試す。
本に書いてある通りだった。
愕然とした。
「頼むからもっと驚いてくれ」
といっても
「十分に驚いているけど」
うーむ。
だから巨人ファンはあんなに整然とした応援が出来るのか。

関東の人は驚いた時まで標準語。
まあ、当たり前なんだけど。
他にどう驚くの?
と言われりゃ、まあそうですね、なんだけど。
関東に出てきている関西人が使い分けているのは、「そんなのおたくの事情でしょう」って
頭では分かっているのですが。
心がついていきませんでした。

関西人、その不可思議なるもの(十数えるメロディ)

お風呂で数を数える
「大阪弁」では、一から十を数える話をした。
それで思い出したのだが、小さいころ、我が家では親と一緒にお風呂に入ると、
「肩までつかって、十まで数えてから上がりなさい」
「いーち、にーい、さーん、しーい、‥‥‥」
体を温めさせるための知恵なのだろう。
小学校中学年になったら30までになったような、うっすらとした記憶
これは、お風呂という密室での話。
他の家庭がどうなのか、調べることは不可能。
でも、東京では
「いち、に、さん、し、‥‥」
とそれぞれを伸ばさずに数えるのだと、聞いた気がする。
風呂の中で数を数えるという習慣は、我が家だけではなく、一般的なものなのか。
それにしても、それぞれを伸ばさないと、100は数えないとあったまらないと思うのだが。

メロディ
面白いのはここから。
我が家では、自然とメロディがついて歌になってしまう。
文章で表現できないし、音符も書けないのが残念なのだが、絶対にこのメロディという決まったものがある。
ごー、ろーく、のあたりが一番盛り上がって大声を張り上げる。
我が家は三兄弟だったのだが、全員同じメロディ。
親から教わったのかまでは覚えていない。
きわめて自然に、これ以外は無理だろうと思えるメロディ。

30までの場合は、じゅういち、じゅうにー、のあたりに最高潮の盛り上がりをみせる。
気合いを入れ直そうという、前向きな姿勢の現れ。

そうです。
これは、やらされている義務感ではなく、子供としても、とても楽しいイベント。
それが証拠に、たまたま一人で入ったときも風呂場で大声を張り上げる。

インターネットで調べました
今はいい時代ですね。
何でも分かってしまう。
何だか気になって調べたことがある。
インターネットでちょちょいのちょい。
やはり、関西地方に強くみられる傾向らしい。
どうもメロディに関しては、ちょっとずつ違うらしい。
youtubeで動画も見つけました。

でもこのメロディ我が家のとは違います。
我が家のは、ごー、ろーく、と、じゅういち、じゅうにで盛り上がるタイプです。
それにしてもなんでお風呂の中でしか行われない出来事が地域で広がっていくのか。

と、書きながら、ふと思い出した。
かくれんぼの時に、ひょっとしたら、このメロディで十数えたかもしれない。

関西人、その不可思議なるもの(大阪弁)

関西人シリーズは、大変いっぱいコメントもいただき、人気のコラムになりました。
今日は大阪弁に焦点を当ててみました。

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東京に来ても
関西人は、東京に来て何十年経とうが、大阪弁が抜けない人がいっぱいいます。
もちろん、私もその一人。
大阪弁に誇りを持っているということ。
この後言いますが、感情を込めるのに便利だということ。
変えなくても、十分に通じること。
この3点が大きいと思います。

「なんでやねん」「そんなあほな」が抜けてしまうと、関西人としての誇りを失ってしまう気がします。
とは言え、東京に出てきて30年。
この10年位とても悲しい出来事があります。
「俺なんか標準語やから」
が、ギャグとして通じなくなりました。
きょとんとされます。
前は、「バリバリ関西弁出てますよ」と言って笑ってくれたんですが。
自分でも知らず知らずのうちに抜けてしまっているのだろうか。
そらおそろしくなります。

大阪弁の特色
もう、20年ほど前、「大阪弁」という本を読んでえらく笑えました。
そうやそうやと。
その中で読んだ話を、紹介します。

母音と子音
関西人は、母音が得意で、子音が苦手です。
江戸っ子は、逆に子音が得意で母音が苦手です。

買うの過去形は、標準語では「買った」
ローマ字で書くと、katta。子音が一つ増えます。
大阪弁では、買うた。
koota。母音が一つ増えるのです。
母音には感情が込めやすいという特徴があります。
関西人は、大したことなくてもやたらに感情をこめます。
どうしても母音が増えていくわけです。
そうですね、ではなく、そうやねんなあ。
母音で終わりたくなる。

面白いのが「ひ」と「し」
関西人は「し」が苦手。
し(shi)は、ひ(hi)に対して、一つ子音が多い。
関西人は、
いち、に、さん、し、ご、ろく、ひち、はち、きゅう、じゅう、です。
しち、とは言えない。
本で、こう書いてあってびっくりした。
みんな、言えないもんだと思っていた。

うっすらと記憶があるのだが、小学校の先生が黒板に「しち」と書いて
みなさん、ひちはひちとしか言えませんので、それでいいんですが、
本当は「しち」なんです。それだけは覚えておいてください。
おかしなこと言う人だなあと思った。

まさかっ。関西人以外は、「しち」って言っているってこと?
そんなあほな。いえる訳ないやん。

翌日、みんなに試してみた。
関西人以外は「しち」と言っている。
関西人は「ひち」と言っている。
ああオモロ。

本には、「七」は関西人はほぼ100%「ひち」。ただ、「質」は90%で10%の人は「しち」と言える。
これは教育の賜物。「質屋」に「しちや」と答えさせる国語の問題はあるが、「七」に「しち」と答えさせる馬鹿な問題はないと。
とすると、あの担任の先生はとても斬新な先生だったのか。

そういうと、大学で法学部だったのだが、抵当権のような権利で「質権」というのがあった。
関西から出てきている先輩が、法律用語辞典で「ひ」のところを一生懸命探していた。
私は得意満面「先輩、それは「し」のとこ、引かんと」

でも、今はワープロ変換の時代になって、だいぶ状況は変わっているでしょうね。
その話で言うと、Googleはとても素晴らしい。
「ひちめんどくさい」と検索すると
もしかして「しちめんどくさい」?って聞いてくれたりする。

竹村健一の英語は面白かったですね。語尾まできっちり発音してくれるからとても分かりやすかった。
関西人は「でぃす、いず、あ、ぺん」とちゃんと?発音する。

面白いのが江戸っ子。
全く、逆になる。
「ひ」が「し」になってしまう。
道を聞かれると「つーっといって、しだりにまがりな」
粋でんなぁ。

社会に出てすぐ、一個上のとても美人で可愛い先輩がいた。
その先輩は「左」と「飛行機」がどうしても言えなくて「しだり」と「しこーき」
先輩「飛行機ゆうてみて」
「しこーき」
かわいいっ
話が違うか。

話が長くなりました。
これ以外の大阪弁の特徴はまた今度。

索引はこちら
[関西]シリーズはこちら(少し下げてね)

関西人、その不可思議なるもの(値切る)

前回、関西人の「もったいない」の気質をお話ししました。
そこに、付随する話です。
ただ、正直言うと、「今はどうなんだろう」と思ってます。
私は、東京に出てきてから、30年以上。
その間に、対面販売自体が少なくなってきていますから。
古き良き風習に想いをはせて、みたいになっちゅうのかな。
くれぐれも「良き」風習だと私は思っているので、お間違えなきよう。

あと、「関西人」って一くくりにしないでって意見もあったのですが、見逃して欲しい。
関東に出てきている関西人は、関東に馴染みつつも忘れちゃならないふるさと。
どうしても対比で考えちゃうってことがあります。
また、私は、兵庫県の加古川なので、大阪人って言えない。
頼むから、一くくりにさせてよ、大坂さんって感じ。

値切らざるを得ない
どうも、全国の人は関西人が値切るのが好きだと思っているらしい。
また、ちょっとでも安く買おうと意地汚いと思っている人もいる。
まあ、間違いって訳じゃないんだけど、「値切るのが好き」というより、「値切らざるを得ない」の方が近い。
もし安く買えるんならそれに越したことはないんだけど、実は安く買えるとは、はなから思っていない。
ゆうてみるだけ。
なんでそんなことをするのか。

失礼
失礼だから。

ほぼ初対面の人とたまたま2人キリになってしまったとして、何もしゃべらんかったらきまづいでしょう?
その感覚にかなり近い。
関西の商売人は、相手が値切ってこなかったら、何か失礼なことをゆうてしまったんじゃないか、そそうがあったんと違うやろか、と気に病んでしまう。
「もうちょっと、まけてーな」
「お客さん、そらまたご勘弁。ギリギリでやらしてもろてます」
ここまでがワンセットのリズムです。
コミュニケーションっちゅうやつです。

この前も東京に戻ってくるとき、JRの窓口で新幹線代を値切りました。
売る方も、さすがにあんまり言われないらしく大喜び。
「お客さん。ここJRでっせ。大したもんでんな」
「ほんまか、知らなんだ」

困るのが関西以外の人。
値切ったら、そのまま真に受けていやーな顔をする。
まけられない理由を一生懸命考えようとする。
「いやいや、すぐに断ってもろていいんやけど」

まけることの意味
とはいえ、全国の人からすると何かよく分からん。なんでそんなことするの。
実は私自身、この本当の意味に1年ほど前にようやく気付きました。
遅っ。今頃かいな。

値切る。売る方からすると「まける」
「まけてーな」「ええいっ、おおまけにまけて」

いつも使っている言葉ながら、漢字を意識したことがなかった。
漢字で書くと「負ける」
この「負ける」なんですわ。

関西は、商売人の町。
相手=お客さんを勝たさんといけません。
「もう、勘弁しとおくんなはれや」
完敗ですと、あんたはんの勝ちですと、気持ちよくなってもらわんといかんのです。

おれがおれが
関西人はほとんどの人が「おれがおれが」の性格。
となったら、ジコチューなんかなと思われがちです。
でも、実は、わろうてもらうための「おれがおれが」
自虐ネタを使い、自分は「負ける」ことによって、気持ちよく「笑ってもらえる」かを常に考えている
自分でも無意識のうちに、出ると引くをバランスしているのかもしれません。

おれがおれがのくせして、いざ自分が中心になるとむず痒くなってくるから、あんまり政治の中心にはなれん。
むちゃくちゃちょっとの差で、大阪都にならんっちゅうのは、大阪人の判断としてはある意味大阪人らしいのかも知らん。
久々に政治がおもろかった。ええんちゃう?。
橋下ッさん、あんたのおかげや。賛成派も反対派もそう思ってるんちゃうやろか

関西人、その不可思議なるもの