[寺社建築]木造建築なので

建築における、西洋と東洋の根本的な違いは石か木か

特に日本は木材が多くとれたので、建物は木造のみ
木の特徴を考えた上での建築となります。

木造を石や鉄筋コンクリートと比べた特徴をざっと考えると以下の感じでしょうか
ゆがむ
腐る
燃える
それらを総合して耐久性が石に比べると劣る
加工が楽
湿気を一定に保つ
夏は涼しく冬暖かい
総じて安い
他にもありますが、これらを踏まえて、どう建築するか

基本的に、ずっとは持たない前提で考えます。
ゆがむ前提
外して一部を入れ替えられる

ウォーキングをしていると
よく、この家はどこそこから移築して、というのに出会うんですが
どうにもイメージが沸かなかったんです
スポッと抜けるんやろか
抜き取った家はどれだけ大きなトラックに乗せるんやろ
そんなでかいトラック、交差点曲がれるんやろか

合点がいきました。
解体して運ぶってことね
古民家とか、寺社建築は、釘とかをほとんど使わず
継手(仕口とも言う)とかで組み合わせていく

もう一回同じように組み立てれば、はい完成
空間移動の術

何百年前のお寺とかあると
全部が全部当時の木材ではないらしい

そもそも宮大工は、継手の遊びが無くなった状態を想定して組んでいく
随分前にたてられた建物を見てきての技なのでしょう
100年に一度は外側との歪みを解消するため
軸部まで解体する

1400年経った法隆寺は7割が当時の木材で3割が入れ換えた木材
7割が当時のものというのが逆にすごいなと思いますが。

先年の重要文化財妙心寺、庫裏(くり)(京都市右京区)における修復の際
興味のある話があった
元々、杮葺き(こけらぶき)の屋根だったんだけど
江戸時代の、文化5(1808)年に瓦葺きに変わっている
その後、瓦葺きの屋根が現代まで続いた

瓦の屋根において、18cmも沈み
建物全体が南西に傾いた。

屋根全体で240坪もあり、瓦の重さは100トンにもなる
さらに棟の上に大きな煙出しを設置したことから、
屋根全体の重量は柿葺のときとくらべて、約120トンも増加した。

もともと柿葺用として建設された軸組や小屋組に、無茶な荷重をかけたのだから、
当然おこるべくしておこった結果

面白いのが、文化5(1808)年に瓦葺きに変えたときの前の古文書が残っている
安永9(1790)年の寺の記録には、
「瓦葺にすれば狂いが出るので請け合えない」として大工が拒否している
しかし大工の言葉は無視され約20年後、請けてくれる別の人に頼んだのでしょう
瓦葺が強行された

おそらくもう自分は死んでいなくなっているほどあとの事について
責任を終えないから受けられませんとは、なんという心意気
黙ってやればお金もらえるのにね
日頃の仕事で、身に詰まされることがいっぱいあります。

今回の修復では、杮葺きに戻しました

屋根のカーブ
お寺の屋根は反りがあります。
この前、東京理科大の科学博物館で、理科大の学生さんにサイクロイド曲線といって
最も早く雨が落ちる曲線だと教えて貰いました。
計算じゃなく、経験で理解していたのには驚きです。

垂木(たるき)と言って外から見える分は最後のところだけ
中で屋根の荷重を支えて、でこの原理で軒先を持ち上げる桔木(はねぎ)は
野物材といって、綺麗にかんながけされた化粧材ではない
太鼓落としと言って、荒木や樹皮を剥いだだけの丸太を使うことも多い

屋根のカーブに合わせるとき、細かく段々に継いでいったりすると意味がないので
一本どーんと支える桔木は、容赦なく締め上げられ、曲げられる
そうすると、元に戻ろうとする力が出てくるので
上からの荷重とバランスさせるという考慮になる

それぞれの木材が、自身の重量や引き合い押さえ合いの
総合芸術が木造建築
石や鉄筋コンクリートで
ほれ強いだろう、いつまででも持つぜ
ってのと、根本的に考え方が違う

[寺社]シリーズはこちら(少し下げてね)

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