慢性痛、治した方が良いのか

「その腰・肩・ひざの痛み治療はまちがっている」という本を読みました。

まいった。

どうしようか。

前に書いたことがあるように、私は人に備わった免疫という力をかなり強く信じています。

ところがです。

今回読んだ、この本では、大きく逆の部分が結構出てきたのです。

今までの免疫の考え方では
1.人の免疫力を信じる
2.薬や医者は現象をとらえ、それを治そうとするから、極力頼らない
3.病気はその奥に真の原因があるので、そちらを解決すべき
4.痛み、発熱、炎症などは、体が治すために必要だからやっているのであって
 現象として、それらを直接押さえてしまえば、せっかく免疫力が治そうとしているのを
 阻害してしまう
5.ただ、時と場合によっては、薬等に頼らざるを得ないことがある。
 それは、急性の時、慢性の症状に薬等は必要ない
という考え方です。

私にとっては、とても納得のいくものでした。

痛みを取るのが先
「その腰・・」では、痛みを直接取ることの方がむしろ重要としています。
原因であることの治療はむしろゆっくりやってよく、まずは「トリガーポイントブロック」という方法で痛み自身を取っちゃう。
そうすると、病気にとって一番よくない「ストレス」がかからない(痛くない)から
治りが早くなるし、そこから免疫力に頑張ってもらえれば良い

痛みは体が治すために必要だから起こしている。
その事は否定していません。
ただ、それは急性の場合であって、慢性痛というのは、急性の段階でちゃんと痛みを取ってしまわなかったがゆえの脳のシステムトラブルだというのです。

慢性痛は本当はそこまで必要ないのに過剰反応してしまっていると。
取りあえず、痛みを取ってしまえば、過剰なのであれば本来の程度におさまるのだと。

今まで信じていた免疫力だと、慢性の時に薬等に頼るのはもってのほかで、原因を取り除くことが重要。
今回の本では、慢性痛こそ、まずは「痛み」を取るべきなんだと。
真っ向から逆なんです。

ただ、細かいメカニズムの説明がことごとく説得力がある。
著者の長年の経験に基づいている。

どうしたものか

治らないんです
免疫の大きな考え方は間違っていない。
そう思う。
ただ、今気持ちが揺れ動いている一番の理由があるんです。

五十肩が治らないんです。
一回治りかけたのに残念ながらまた悪化していて、ちょっと前はだんだん痛みが広がっていって、手の甲まで痛くなってしまったんです。

今はその状態よりは良くなりましたが。
治ってはいかない。

そろそろ治したいです。
痛いと睡眠が深くならないので、全体として体調がいまいちになる。

違ったやり方も試すべき時期に来ている気がする

今日は全体的な紹介だけに留め、次回以降で、自分でも試しつつ
痛みのメカニズムから入って、トリガーポイントという考え方はどういったものか
紹介したいと思います。

ブータン人にだけ見えるもの

幸せの国、ブータンでは仏教をかなり強くみんなが信心しています。

そんなお国柄なので、「ブータンに魅せられて」の著者、今枝さんには見えないのに、ブータンの人たちにだけ見えるものがあるんですって
正確に言うと「見えないけど分かるもの」なんだけど

チュメー川の魚
今枝さんが顧問をつとめる国立図書館の館長、ロポンペマラさんとスンゲ村というところに行った
チュメー川にかかる吊り橋を渡る

ロポンペマラさんは、懐から小さな布袋を取り出して、呪文を唱えながら川に粉を散布
何をしているのか訪ねると、魚に餌をやっているのだという。

その時は、それほど気にも止めなかったが、何度か通る度に同じことをするという

気になって川を眺めても、魚がいる様子がない

ブータンの仏教では、殺生、特に魚を取ることを嫌う。
だから、魚にとってみれば天国みたいなもので、どこの川でもかなり多くの魚がいる。

チュメー川には不思議なくらい魚がいない

ロポンペマラさんに訪ねると、ある言い伝えを教えてくれたんだと

言い伝え
チュメー川のほとりにたいそう立派なお坊様がやって来た
ふとみると、みんなが魚釣りをしている。

殺生はいけないと説いたがやめようとしない。

何度言ってもその状況なので、そのお坊様は仏の力を借りて、
魚を見えないようにしたらしい

おかげで、魚にとっても、みんなにとっても良くなった。

地域の人たちは、チュメー川の魚が、「いるのに見えない」ということを、
たいそう誇りに思っているらしい

今枝さんからすると、川の水は澄んでいるのに、魚がいないちょっと面白い川に過ぎない。
ブータンの人たちからすると、とても有難い川

江戸城ってほとんど天守閣なかったんですね

今度、ウォーキング同好会で、江戸城(皇居)のイベントやるんですが
調べれば調べるほど、江戸城って面白いですね

ことの始め
ことの始めは写真集「写真で見る江戸東京」
明治4年に荒廃する江戸城の中を写真撮影したもの

そこから、疑問がどんどん広がり、色んな本を読み漁りました

まず、あれっと思った最初は、「天守閣がない」。

天守閣って
そんなことも知らなかったの?
って言われそうですね

色んな地方の城跡って天守閣があったりなかったり。
天守閣が、無いって言ってもそう珍しいことでもない

明治になったら城なんて必要ないですから、
誰かが壊したんでしょうぐらいに軽く考えていた。

不思議だったのは、この写真集の撮影された時期。
明治4年で、すでに「天守台跡」と表現されている。

こりゃ、相当急いで壊したんだな。

調べてみました

大元は
大元でいうと、その土地の「江戸氏」の領地
入り江の入り口(戸)だから「江戸」と名付けられた

その後、室町時代後期に、北条氏の家臣、太田道灌(おおたどうかん)が北条氏の城小田原城の支城として江戸城を建設

徳川家康が、豊臣秀吉の命令で北条氏を滅ぼして、自分のものにする
江戸の町の再開発に乗り出す

再開発中断
豊臣秀吉にあれやれこれやれ、言われて、再開発どころじゃなくなった。
江戸湊から運河(堀)を作って江戸城まで繋げようとしてたんだけど一旦中止

そのあと、皆さんご存じのあれやこれやがあって、1600年の関が原の戦いに勝利した徳川家康が天下取り

幕府を江戸に。

さあたいへん。
首都機能ってことになると話が変わってくる

もうちょっと土地が欲しい

何故かって

江戸城の横って、入り組んだ「日比谷湊」という遠浅の海。
ご存じでした?
日比谷とか丸の内って海だったんですね

どうしたかというと、神田山を切り崩して、日比谷湊を埋め立てる

ご存じでした?
神田って山だったんですね

そして、天守閣を大々的に作り替え
5層5階の46メートルもあるでっかいお城

その後、二代秀忠、三代家光の時代にやっと江戸のお城作り、町作りが一旦完成。

やったー

残念っ
ところが、その次の家継の時代にえらいことが起きる
1857年、明暦の大火
天守閣、本丸、二の丸、三の丸全部焼け落ちた。
江戸の町も8割り近く焼けてしまう。

さあ、ここからが大変。

どうしたか。
今からは平和の時代。
天守閣を作り直すのはやめよう。

これってすごくないですか。
この後、トータル260年も続く平和の世の中をこの時点で読みきって
城を不要だと判断。
無駄なハコモノに金を使うのはやめようと。
誰かさんに聞かしてやりたい。

本丸御殿とかは作り直したんですけど

町作りの方は大々的に災害に強い町作りに再開発
決定的な消防技術が無い時代の考え方は、どう消すかではなく、どう燃え広がらないか
道を広くするとか、広場を作るとか

その後も、3大火事と言って、度々大火事にみまわれます。

最初にお話した、写真の謎は解けました。
もともと、天守閣は無かった

260年の江戸の歴史の中で天守閣があったのは、最初の50年ちょっとだけ

本丸御殿は
写真集に天守閣が無いのは分かりました

ところがです。

本丸の写真には、もっと根本的に何もない。
原っぱなんです。

本丸を見に行ったとき、本丸御殿後、ここに大奥があって、みたいなのが書いてあったんですけど。

実は、本丸御殿も、もともと無かった。

1863年、本丸御殿は火事で焼け落ちてしまうんです。
1867年が大政奉還ですから、激動も激動
明日、我が身がどうなるかってとき。
今更、再建するかって悩んだでしょうね
さらにいうと、1855年の安政の大地震で金を使い果たしています。

西の丸だの二の丸だのに仮住まいしていたんでしょうね。

江戸城の無血開城って、本丸には何もない状態で明け渡したんですね

これ以外にも江戸城にまつわる話は面白い話は色々あるので、続きはまた。

寿司の会社おこし、自分で全部

楽しかったなあ
オープンするまで

誰だったかに言われた。
オープンするまでが一番楽しいよって。
その通りだった

全てが全て、自分一人で決め、自分一人で動かなきゃいけない
好きなように、好きな感じで何でもかんでも決められる

会社の名前は? 店の名前は?
私らしい良い名前をつけることが出来ました。

宅配専門の寿司屋だからメニューが命
メニューの構成、値段つけ、写真取りとかの業者選定
美味しそうな良いメニューになりましたよ

仕入れ先を見つけ、ネタを選別していく
シャリはロボットが握る。そのシャリロボの選定
それ以外にも、いろんな設備を購入していく

やっぱり一番大事なのは立地
全国に1000店舗作らないといけない
最初の店舗はモデル店にしないと。
本部も兼ねられるようにしたい
全国で一番人口が集中しているところはどこだろう。
調べると、練馬区の光が丘の大規模団地。
よし、ここにしよう。

次は物件探し
宅配専門なので、来客はない
人通りは多くなくても良いから、デリバリーが便利なところ

バイクはどうしよう、やっぱり屋根つきのキャノピー
(最終的には全部カブに変えましたけどね)

そしてスタッフ
社員は一人だけ雇って、後は全部アルバイト。
新聞の折り込み広告で集める

オープンの日取りは?
ゴールデンウィークをあけたあと。
最初は小さく始めないと、慣れていないからメイキングやデリバリーが追い付かなくてクレームになるから

ああ、楽しい。
むちゃくちゃ忙しいけど、ずっと興奮しっぱなし

コンピュータで注文を受けるシステムを業者に発注、打ち合わせ
電話を受け、打ち込んで、伝票が出る
昔はそんなシステムを作る方だったのに、今度は発注する側
得意分野です。
まさか発注する側になろうとは
(実は2年後くらいに、全部自分で組み直すんですけどね)

全てにおいて、自分が得たノウハウを盛り込んでいき、オリジナリティのとっても高い会社になりました

オープンへ向けて、みんなで練習。
メイキング、デリバリー、コンピュータの操作

夢のような日が過ぎた。

そして
いよいよ、オープンの日を迎えます。