古事記と日本書紀で盛り込みたかったことは?

すみません。
このテーマ長くなっております。

天武天皇ではなく、持統天皇が
「古事記」と「日本書紀」を編纂させたと仮定しましょう。
今回は、
「古事記」と「日本書紀」を使って持統天皇は何をしたかったのか

またまた、内容が過激になりますが
そんな考えもあり得るね、程度に
流していただければ幸いです。

やりあげたこと
末代に渡るまで、天皇制を制度として形あるものにしたかった。
それ自体はそれまでも何度かトライしているでしょう
持統天皇のプランというのは言い過ぎだとも思います。

文字自体がまだ明確に確立されていない時期ですから
最終的に持統天皇が明確な意思をもって完成させた、
という表現をした方が良いのでしょう

盛り込みたかったこと
【1.続いているということ】
神の子孫が支配するのですよ、にするためには
系譜を示す必要がある

これがとても怪しい。
ずっと天皇家が、親から子に切れ目なく伝わっているとはとても考えがたい
急に、あれ?ここは大阪だと思うんだけどみたいなのがあったりする。
実際には、色んなところで途切れているのではないか

だから、無理矢理にでも、こう続いていますのを文章にして
説明する必要があった

本当はその時々に色んな地域で支配者がいて
全てを天皇家が駆逐していった訳ではない
その時々のその支配者にまつわる逸話を全部いただいて繋げる。
たまたま、今残っている支配者たる天皇家が総取り

【2.日本古来であること】
天皇家は、最初から日本にいた
そうしないと、元々が外国ってことになる

これ自体がとても怪しい

シルクロードで世界的な民族の大移動が行われている時期
渡来の文化の方が明らかに優れている
日本は、文化だけを吸収し
支配は元々いた固有の人が行った。
そんなことあり得るだろうか

ここは、色々調べると色んな説がある
天皇家はユダヤ人だという説も

どんな説も、言い切れるほどの資料がない。
ただ、可能性としては支配者層は外から来た
という方が可能性としては、強い気がする

もし、その事を持統天皇、藤原不比等が知っていたとしたら
そこまでいかないにしても、怪しいと思っていたとしたら。

イザナキノミコト、イザナミノミトコが日本を作ったという話を作り
そこからずっと続いていますということを
どうしても文書として残しておく必要があったのではないか

【3.女性による支配】
自分は女性である
とかく男性にかたよりがちな政治の世界
女性の優秀性を説かねばならない

持統天皇はかなり強い女性である印象を持っています。
藤原不比等と二人三脚ではあったとしても、
決して言いなりだったわけではなく
強いリーダーリップを持っていた。

天武天皇の死後、自分の息子、草壁皇子に継がせるべく画策
ライバルを死に追い込む

であれば、すぐに草壁皇子を即位させればいいものを
草壁皇子は皇太子のままで4年も。
称制という仮の即位。
周囲の反対があったと言うんですが、長すぎませんか
自分がやりたかったんじゃないかと思う。
そうこうしているうちに、草壁皇子は結局天皇にならずじまいで、病死。
次は孫(文武天皇)に譲ろうとするんですが、孫は7歳と若いので、という理由で自分が天皇に。
その後、孫が15歳になったので、譲るんだけど、太上天皇として実質は実権を振るう。

というぐらいの人ですから
かなりの自己顕示欲
持統天皇というのは漢風諡号(しごう、おくりな)
和風諡号は
「高天原廣野姫天皇」(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)

まさしく、天照大神(あまてらすおおみかみ)

「古事記」と「日本書紀」では、
天と地に国が別れており
天のボスが天照大神
地のボスが大国主命(オオクニヌシノミコト)
途中から、地、も私によこせと使いを出して、
地も天照大神が実質納めることになる。
完璧なるボス。

その独裁者を女性として書き上げたということ。
日本書紀はイザナキ、イザナミで始まってはいますが
実質的に天照大神で始まり、と言えなくもない
天照大神で始まり持統天皇で終わっている。
終わりは天武天皇じゃないんです。
この事が何を意味するか

我こそは天照大神なり
天照大神の生まれ変わりであると。

じゃあ、古事記は?
天照大神で始まり推古天皇(最初の女帝)で終わっている。
女性こそが国を納めるべきなんですよ。

個人的な意見ですが
それ、正しいと思います。
我が家にも一人
天照大神がおりますが。

「古事記」と「日本書紀」以外に事績は律令制度の確立と藤原京の造営
飛鳥浄御原令を制定、その後、大宝律令、養老令と続いていく。
これは一人ではなく、天武天皇と一緒に行った。
大宝律令は文武天皇の時期なので、おそらく実質的には、持統天皇
その流れの養老令。皇族の範囲を定めた部分に、「女帝の子も亦同じ」の言葉が入っている
女帝は仕組みとして正しいものとして明確にされた
律令制度は中国からの輸入品だけど、中国はあくまでも男性しか認めない。
日本オリジナルなものとして追加した。

この、女性というキーワード
色々調べて初めて分かったんだけど、古代はホントに女性天皇が多いのね
今度、女性天皇という切り口で広げていきたいと思います。

宅配寿司で最後の悪あがき

資金繰り
とても資金繰りには苦労しました。
資金繰りって頭では理解できても、実際に苦労してみないと分からないもんですね

アルバイトに払う給料日は25日
実は、給料全額はその日に揃っていない事がほとんど
どうするか

アルバイトのシフトはまちまち。
25日に取りに来てね、とは言っているけど
アルバイトとしても、まあ、25日以降で
最初に入った日で良いか、と遅れてくる人がいる
ありがたやありがたや

それぞれの給料袋に、コインだけ入れておく。

こんちはー、給料取りに来ました。
うん、先月もありがとね。ちょっと待ってね。

見えないようにささっとお札の方も入れて渡す。

ワチャー来ちゃったのかぁ
って、顔にはもちろん出さない。

日銭商売なので、その日の売り上げから、
翌日来るであろう人の給料が捻出される。

自分の分
自分の分の給料もどんどん遅れていく。
もちろん、カミさんにはいつになるのよとせっつかれる
ある月は3日、次の月は7日みたいにずれていく。
とうとう1ヵ月分まるまるずれちゃったという時に実家の親父さんに泣きついて
1ヶ月分の給料を借りる

やめるタイミング
やめるタイミングが難しい。
ネタとかの仕入れたものの支払いは当月末に締めて、翌月末払い
入金の方、即ち売上は毎日の現金

普通に考えるととても良いこと
ただ、とっくにずれた分の売上を使い果たしてしまっている場合は
大きな足かせになる

店を畳むと翌日から入金はなくなるのに
支払いは一ヶ月分残ってしまう
やめるにやめられない

結論的には計算に計算を重ね、売上が極端に増える正月
その反動で極端に売上が落ち込む1月後半
その1月後半に畳んだ

最後の悪あがき
隣の隣に宅配専門の店があった。
寿司ではなく、揚げ物とかの定食

買い取ってもらえないかとお願いに行った

OK

そちらのお店の色んな設備をこちらに持ってきた。
こちらの方が大きかったから。

両方の電話を置いて両方の注文を受ける

家賃もアルバイトも、
色んな資産が共通で使える

やってみて始めて分かった

定食は寿司ほど集中しない
集中する時間帯もダブらない

両方やるとメリットがある

うまく行くかに思えた

数ヵ月やった

何が原因だったのか

破談になった。

店長を任せて自分はアルバイト
いよいよ食えなくなった。
アルバイトで寡黙で真面目で毎日入れるA君

彼を店長にした。
自分は働きに出た。
平日に働ける仕事

土日は私が頑張る

それでどうなるわけではなかった
少しでも、
一日でも、
引き伸ばしたかった。

そこまで意味の有る毎日だった。
キツくて辛くて食えなくて
頭も下げて、嫌な思いもしたけど

少しでも、
一日でも、
引き伸ばしたかった。

大和言葉の辞書作ったよ

大和言葉みたいな丁寧な言葉
本を読んだときは、意識がぐーんと高まって
何とか使うぞ、と思う。

問題はそれが使えるシチュエーションになるまで
どう覚えておけるか

これが至難の業ですね

良いこと考えたよ

ユーザー辞書
私はいつもブログはタブレットで書いています。
会社帰りの電車の中でもちょっと進めておかないと間に合いません。

ところがうちのタブレットの辞書がへっぽこも良いところ

ええっ、こんなのも変換してくれないのね。
という事で、良く使う言葉は、ユーザー辞書に登録しておきました。
あと、よく使う言葉も入力が楽になるようにしています
「うき」と入れると「ウォーキング」と出るという具合です。

あっ、そうだ

この、ユーザー辞書に登録しておこう。

例えば
例えば、「すこし」と打つ
すると、「少し」という漢字とともに変換の候補に「いささか」と出る

あれっ?
あっそうそう、自分で辞書登録したんだっけ
この場面で、「少し」を「いささか」と言い換えても良いかもね

ってな、具合で使えるのではないか
思い出すための一助になるのではないか

考え方
考え方としては、あんまり難しい言葉は使いにくいので、
若干丁寧かなっていうのが良いのかなと思っています。

語彙を広げる事が目的なので、
あまり厳密に考えないで
意味がイコールでなくても入れちゃってます
たとえば、ありがとう、と入れると
恐れ入ります
痛み入ります
おかげさま
って出るんですが
ありがとうとおかげさまはイコールじゃない

でも、ありがとう
という感謝の気持ちを表現しているときの
表現のヒントとして「おかげさま」
が出ると
この辺の表現自体を変えて「おかげさま」を使う表現にしてしまえないか
と、文章を考え直すヒントとして使おうという発想です。

こんなの登録してあります
以下の単語を登録してあります。
もしよろしければ、皆さんもどうでしょう。

しごと 務め
がんばる 倦まず弛まず
おろそか ゆるがせ
おろそか 徒や疎か
いいかげん 徒や疎か
すこし いささか
いま 今しがた
だいたい おおむね
たまたま たまさかに
ぐうぜん たまさか
ひょっとすると たまさかに
ぜひ 折り入って
たすけ 力添え
ひま お手透き
てかげん お手柔らか
はんせい 省みる
かんどう 胸に迫る
よくない いかがなものでしょうか
できない 致しかねます
じょうだん お戯れ
ありがとう おかげさま
ありがとう 恐れ入ります
ありがとう 痛み入ります
もうしわけ 痛み入ります
とうぜん ごもっとも
いがい 思いの外
おちつく 気持ちが収まる
ゆうめい 名にし負う
つまり つまるところ
けっきょく つまるところ
すごく 頗る付きに
ぶじ つつがなく
もっとも むべなるかな
たしかに むべなるかな
だきょう 折り合う
あんい 易きにつく
そのうえ あまつさえ
ざんねん 惜しむらくは
うまくいかない うだつが上がらない
ひとごと 身につまされる
おすそわけ お福分け
あきれる 何をか言わんや
いっしょうけんめい 額に汗する
すこしも 片時も
もっと いやがうえに
ますます いえがうえに
よろこんで やぶさかでない
だらしない しどけない
おしゃれ おめかし
きれい 目もあや
くわし つまびらか
こまか つまびらか
とくい お手のもの
えんりょ 心置きなく
きがね 心置きなく
ほっと 胸を撫でおろす
あんしん 胸を撫でおろす
おもいやり にべもない
あいそ にべもない
そっけない にべもない
おもいきって 伸るか反るか
いちかばちか 伸るか反るか
じゃくてん からめ手から

使ってみて
半月くらい使ってみました
バンバン語彙が増えて、丁寧な言葉使いになるってとこまではいきませんでした
使えたのは、以下の4つかな

ありがとう 痛み入ります
かんどう 胸に迫る
あんしん 胸を撫でおろす
ぜひ 折り入って

いずれもミニメールのやり取りの中でです。

でも、実感として、かなり意味があると思いました。
あれっ、あれっというのが変換のたびに目に入る
う~ん、ここではちょっとふさわしくないなあと、
おおむねは(おっと、ここ使えました。だいたいは、と入れたんですけどね)
思うんですけど
頭に刷り込まれる感じがある

どんどん増やしていけばかなり使える気がする
たとえば
今、かなり、を2回使いましたけど
ここ、語彙のバリエーション薄いなあと、自分でも思う。
かなり、すごく、むっちゃ、むちゃくちゃ、本当に、ホントに
多用するんだけど、きれいな言葉が思い付かない
登録してあるので言うと
すごく、で、頗る付きに、なんだけどなかなか使える場面がなくて

まあ、一つの例ですけど。
もしよろしければ
こんなの使えるかもって、教えていただけると嬉しいです。

へっぽこフレーズ
で、終わろうと思ったんですが
急に思い付きました

へっぽこフレーズも入れちゃおっ

りょうかい アイアイサー
りょうかい がってん承知の助
えっ そんなバナナ
もちろん もちのろん
はい もちのろん
ばっちり バッチグー
なるほど こいつぁ一本取られたな
びっくり あけてびっくり玉手箱
だいじょうぶ 屁のカッパ
だいじょうぶ 余裕のよっちゃん
ごめん 許してちゃぶ台

変換間違わないようにしないとね
TPO間違うとえらいことになる

索引はこちら
[大和言葉]シリーズはこちら(少し下げてね)

女帝、持統天皇こそが、天皇制を形作った

前回、百人一首で、持統天皇の話をしましたが
持統天皇の話はとても一回じゃ終わりません。

続きを書かさせていただきます。

おさらい
持統天皇は天智天皇の娘で、天智天皇の弟である天武天皇の奥さん。
叔父さんと結婚したということ

近親婚
何でそんなことが起きるかと言うと
持統天皇まで、どんどん天皇家は近親婚が進んでいきます。
異母兄弟であれば兄弟ですら結婚しちゃいます。
実際、天智天皇には10人も娘がいるんだけど、
全員近親に嫁がせます。
その一人が持統天皇だったということ

「持統天皇まで」と書いたのは
持統天皇が自分以降でやり方を変えるからです。
その辺はまた後で

ちなみに、歴史の本に書いてあるのは
天智天皇でも、天皇になるまでの事件なら、中大兄皇子(なかのおおえのおおじ)
というふうに、それまでの名前で呼びます。
天武天皇は、大海人皇子(おおあまのみこ)
持統天皇は鸕野讃良(うののさらら)
シャンプーみたいですね
ややこしいので、
私のコラムではいきなり全部、天皇の名前で呼ぶことにさせてください。

天智派と天武派
天智天皇と天武天皇は兄弟と言えど仲が悪い。
異父兄弟です。
実は、天武天皇の方がお兄さんじゃないかという説も紹介しましたが
今回は、弟ということで行きましょう。

壬申の乱(じんしんのらん)で、天武天皇が天智派の大友皇子を殺してしまう。

それ以降、長きに渡り天武派が支配、と通説ではなっている

私が面白いなと思っている、関裕二さんの説はちょっと過激。
ここを否定している。
以降、その説を中心に話していきたいと思います。

作られた歴史
天皇制は、天皇が日本を支配する理由付けを
我々は神だから
と主張する

そこで引用されるのが「古事記」と「日本書紀」に書かれている神話
その2つは天皇が編纂させたもの

ザクッと言ってしまえば作り話
自分達に都合の良いように作った。

その辺のことはどんな説でも一致しています。

じゃあ、それを踏まえて、この「古事記」と「日本書紀」という
重要な歴史資料をどう読み解いて行くのか

作り話とは言えど、全くの嘘では人々に受け入れられない。
各地で言い伝わっている話を繋ぎ合わせているに違いない
矛盾点が無い部分は肯定的に読んでも良いのだろう。

問題は、矛盾点の多い、怪しい箇所
一般的には読み飛ばす。
信頼性は低いので、無かったこととする。

関説ではむしろそこに注目する。
この、無理矢理感満載、のところは、意図を持って作り上げたに違いない。
実際には逆だったから、それをつくろったり、隠したりしたかったのではないか。

どうですか
この考え方が面白いなと思ったんです。

膨大な資料を基に、日々論争を繰り広げている専門家の人たち。
私はそうではないので個々の中身がどうなのかを論じるには到底及ばない

つまるところ、歴史に正解は有るのか無いのか。
であれば、私なんかは、その説を展開している人の考え方に注目したいと思っています。

裏読み
ある意味、性格悪いのかも知れませんが
そういう裏読みをするとすると
一番怪しいのが誰が作らせたかというところ。

関説では、わざわざ「古事記」と「日本書紀」に
天武天皇の指示により、と書いてあるところが怪しいと。

怪しさの根拠は時期的なこととか、色々ありますが
詳しくは「謎解き「日本書紀」」を読んで下さい。

結論的に言うと持統天皇が作ったのだと。

なんでそんな事するのか

持統天皇は天武派ではなかった
天智派。
旦那よりお父さんを選んだ。

一般的には持統天皇は天武天皇と仲が良かったとされている
天武天皇の遺志を受け継いで天武派の政治を完成させたと

そうでしょうか

天武天皇はかなり独裁的
いわゆる皇親政治というのを行った。
それまでの、右大臣左大臣に外の人を起用するという事を一切せず
全ての主要ポストを皇族だけで固めた。

天智天皇はというと、大化の改新をいっしょにやった
中臣鎌足(後の藤原鎌足)と一緒にやる政治

天武天皇は早い話が藤原氏が大嫌い
藤原鎌足の息子、藤原不比等(ふじわらのふひと)を冷遇した。

持統天皇は?
藤原不比等が大好き
恋仲だった可能性が強い。
藤原不比等を重用するのなんのって。
遺志を受け継いでいるようには到底思えない

近親婚のところで話した、持統天皇から始まった事とは藤原氏による政治
とてもとても長く続きます
それ以降、ずっと天皇の后は、近親婚をせず、藤原氏から迎い入れます

早い話が天智天皇の頃に戻しちゃった
これはまさしく天智派
静かなクーデター
みんなに気付かれないうちに。
そして、その根底に藤原不比等の存在

これは隠さねば
「古事記」と「日本書紀」にも書き入れます
天武天皇の遺志を受け継いで、と

じゃあ、仮に「古事記」と「日本書紀」が持統天皇によるものだったとして
一体何をしたくて、「古事記」と「日本書紀」を作ったか

長くなりました。
やっぱり全然終わりません。
失礼しました。
続きはまた、別にさせてください。