女帝、持統天皇こそが、天皇制を形作った

前回、百人一首で、持統天皇の話をしましたが
持統天皇の話はとても一回じゃ終わりません。

続きを書かさせていただきます。

おさらい
持統天皇は天智天皇の娘で、天智天皇の弟である天武天皇の奥さん。
叔父さんと結婚したということ

近親婚
何でそんなことが起きるかと言うと
持統天皇まで、どんどん天皇家は近親婚が進んでいきます。
異母兄弟であれば兄弟ですら結婚しちゃいます。
実際、天智天皇には10人も娘がいるんだけど、
全員近親に嫁がせます。
その一人が持統天皇だったということ

「持統天皇まで」と書いたのは
持統天皇が自分以降でやり方を変えるからです。
その辺はまた後で

ちなみに、歴史の本に書いてあるのは
天智天皇でも、天皇になるまでの事件なら、中大兄皇子(なかのおおえのおおじ)
というふうに、それまでの名前で呼びます。
天武天皇は、大海人皇子(おおあまのみこ)
持統天皇は鸕野讃良(うののさらら)
シャンプーみたいですね
ややこしいので、
私のコラムではいきなり全部、天皇の名前で呼ぶことにさせてください。

天智派と天武派
天智天皇と天武天皇は兄弟と言えど仲が悪い。
異父兄弟です。
実は、天武天皇の方がお兄さんじゃないかという説も紹介しましたが
今回は、弟ということで行きましょう。

壬申の乱(じんしんのらん)で、天武天皇が天智派の大友皇子を殺してしまう。

それ以降、長きに渡り天武派が支配、と通説ではなっている

私が面白いなと思っている、関裕二さんの説はちょっと過激。
ここを否定している。
以降、その説を中心に話していきたいと思います。

作られた歴史
天皇制は、天皇が日本を支配する理由付けを
我々は神だから
と主張する

そこで引用されるのが「古事記」と「日本書紀」に書かれている神話
その2つは天皇が編纂させたもの

ザクッと言ってしまえば作り話
自分達に都合の良いように作った。

その辺のことはどんな説でも一致しています。

じゃあ、それを踏まえて、この「古事記」と「日本書紀」という
重要な歴史資料をどう読み解いて行くのか

作り話とは言えど、全くの嘘では人々に受け入れられない。
各地で言い伝わっている話を繋ぎ合わせているに違いない
矛盾点が無い部分は肯定的に読んでも良いのだろう。

問題は、矛盾点の多い、怪しい箇所
一般的には読み飛ばす。
信頼性は低いので、無かったこととする。

関説ではむしろそこに注目する。
この、無理矢理感満載、のところは、意図を持って作り上げたに違いない。
実際には逆だったから、それをつくろったり、隠したりしたかったのではないか。

どうですか
この考え方が面白いなと思ったんです。

膨大な資料を基に、日々論争を繰り広げている専門家の人たち。
私はそうではないので個々の中身がどうなのかを論じるには到底及ばない

つまるところ、歴史に正解は有るのか無いのか。
であれば、私なんかは、その説を展開している人の考え方に注目したいと思っています。

裏読み
ある意味、性格悪いのかも知れませんが
そういう裏読みをするとすると
一番怪しいのが誰が作らせたかというところ。

関説では、わざわざ「古事記」と「日本書紀」に
天武天皇の指示により、と書いてあるところが怪しいと。

怪しさの根拠は時期的なこととか、色々ありますが
詳しくは「謎解き「日本書紀」」を読んで下さい。

結論的に言うと持統天皇が作ったのだと。

なんでそんな事するのか

持統天皇は天武派ではなかった
天智派。
旦那よりお父さんを選んだ。

一般的には持統天皇は天武天皇と仲が良かったとされている
天武天皇の遺志を受け継いで天武派の政治を完成させたと

そうでしょうか

天武天皇はかなり独裁的
いわゆる皇親政治というのを行った。
それまでの、右大臣左大臣に外の人を起用するという事を一切せず
全ての主要ポストを皇族だけで固めた。

天智天皇はというと、大化の改新をいっしょにやった
中臣鎌足(後の藤原鎌足)と一緒にやる政治

天武天皇は早い話が藤原氏が大嫌い
藤原鎌足の息子、藤原不比等(ふじわらのふひと)を冷遇した。

持統天皇は?
藤原不比等が大好き
恋仲だった可能性が強い。
藤原不比等を重用するのなんのって。
遺志を受け継いでいるようには到底思えない

近親婚のところで話した、持統天皇から始まった事とは藤原氏による政治
とてもとても長く続きます
それ以降、ずっと天皇の后は、近親婚をせず、藤原氏から迎い入れます

早い話が天智天皇の頃に戻しちゃった
これはまさしく天智派
静かなクーデター
みんなに気付かれないうちに。
そして、その根底に藤原不比等の存在

これは隠さねば
「古事記」と「日本書紀」にも書き入れます
天武天皇の遺志を受け継いで、と

じゃあ、仮に「古事記」と「日本書紀」が持統天皇によるものだったとして
一体何をしたくて、「古事記」と「日本書紀」を作ったか

長くなりました。
やっぱり全然終わりません。
失礼しました。
続きはまた、別にさせてください。

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