武士、もうひとつの読み方は?

「大和言葉」で頭の体操からの第三弾です。

今回は穴空き以外も行ってましょう

第一問
戦国時代の言葉。
以下の漢字を読めますよね
はい、簡単

でも、普通の読み方と違うかも知れませんよ
気を付けてね

文字数もヒントであげておきますね

1.戦場 (4文字)
2.武士 (4文字)
3.兵  (4文字)
4.戦  (3文字)
5.旗色 (4文字)
6.殿  (4文字)
7.勲  (3文字)

第二問
かつてはそれなりの商家だったと思われる家を見つけました。

散歩の道すがら、すてきな○○○○を見つけたよ
○に入るのは、以下の3つのうちのどれ?
1.あずまや
2.しもたや
3.おおのや

第三問
亡くなる
相手には使いますが、身内には適当じゃないそうです。
「御尊父が亡くなられるのとほぼ同時に、私の叔父も○○○○」
さあ、どれ?
1.みまかり
2.みまきり
3.みまさり

第四問
無視することを「しかと」と言いますね
この言葉、実はある遊戯から発生した言葉です。
その遊戯とは何でしょう。

今回は
今回は、日常で使いたい大和言葉というより
言葉の面白さ、を感じられるものでしょうか

では、答えです

第一問
1.いくさば
2.もののふ
3.つわもの
4.いくさ
5.はたいろ
6.しんがり
7.いさお

1.昔ながらの合戦では、せんじょうより、いくさば
2.特に力強い武士は「もののふ」
3.夏草やつわものどもが夢の跡」は芭蕉の句
4.これは大丈夫ですね
5.戦いの形勢のこと
6.これ分かりました? 殿様は最後に控えているので「しんがり」とも読むそうですよ
7.戦場での功績のこと

第二問
昔の商家の事をしもたやと言うそうです
漢字で書けば「仕舞屋」
商売をやめてしまった家という意味ですね

第三問
1.みまかり
漢字で書くと身罷り
現世からあの世へ去るということ。
亡くなるとの区別をつけるため、豊かな日本語表現として有効です

第四問
花札

これ面白いですね
そもそも「しかと」って若者が使うイメージになっちゃってますね。
古くからある言葉だったとは

鹿がいるのは十月の札、紅葉の札ですね
その鹿はそっぽを向いているので
しかとう、と呼んだそうです。
警察用語としても定着。
なぜかさらに広まって
それも若者に受け入れられた

言葉の面白さが改めて分かった言葉です。

持統天皇、春過ぎて~

百人一首の第二首、第一首の天智天皇の娘、持統天皇です。

持統天皇は、恐らくですが、歴代天皇の中で、天皇として一番意味のあることをした人。
さあ、その辺の話をし出すと、百人一首に戻って来れなくなるので
先に百人一首に行っちゃいましょう。

第一首の天智天皇、秋の田の~は、実際には天智天皇の作ではないという話はしましたが
この第二首は、万葉集にも存在し、本人の歌だと思われます。

春過ぎて
春過ぎて 夏来にけらし 白妙(しろたえ)の
衣ほすてふ、天の香具山

春の季節が過ぎ去って、いよいよ夏の季節がやって来たのだなあ
純白の夏衣を干し広げているという天の香具山
まことに爽やかではないか。

この歌好きな人多いんじゃないですかね。
何ともきれいな歌。

夏来にけらし、の、けらしが良い。
過去推定って奴で、
来てしまった+のでしょうね。

白妙のは、枕詞
白いもの、この場合は衣にかかる
でも、この白妙のがあるがゆえに、
目の前にぶあっと情景が広がりますよね。

そして、天の香具山
この独特の響きが良いですね。

でも、正直言うと、洗濯物みて、夏だなあというのであれば
天の香具山はちょっと唐突感がありませんか。

持統天皇
というあたりから、少しずつ、持統天皇という人について入っていきます。

持統天皇は、天智天皇の娘
天智天皇の弟は、天武天皇
その天武天皇は持統天皇の夫
娘が弟のところに嫁いだ。


弟は兄が推していた後継天皇になるはずの兄の子を殺した。
壬申(じんしん)の乱。
ちゅうことは、自分の旦那は親の敵とも言える。
どろどろですね。
天智天皇と天武天皇は、額田王(ぬかたのおおきみ)を巡っての恋敵でもあります。
もう、訳わかりませんね。

さあ、何で天の香具山、というところに話を戻しましょう。

実は万葉集で、天の香具山を題材にした有名な歌があります。
天の香具山とは、畝傍山(うねびやま)、耳成山(みみなしやま)とともに
奈良県、大和三山と言われている山です。

この三山にひっかけて、妻を取り合う三角関係の歌
天の香具山とくれば、三角関係をイメージするのを見越しているとも読める
額田王の話と関係が無いとも言いがたい。

ただですねえ、
運命に翻弄された、か弱い女性?
そんなイメージが全然ないんですよねぇ

もちろん、この頃は色んな説が百花繚乱。
前回の天智天皇の話の時にいただいたコメントを見ただけでも
説が大きく幅広く分かれる。

どうせ正解は分からないんだからという事で、
私が、これ面白い、と考える
ちょっと過激な説を基にしつつ話していきます。

何をしたか
この頃の、大きな出来事が「古事記」と「日本書紀」の編纂。
天皇自らが主導権を持って天皇の系譜を、物語の形を借りつつまとめた。
神話ってやつです。

問題は「天皇自ら」ってどの天皇?ってことです。
えっ、天武天皇じゃないの?

はい、ここが過激なって言っている理由なんですけどね。

天武天皇だという根拠は
「古事記」と「日本書紀」自体に天武天皇に指示されて作りましたと書いてあるから。
それ以外の資料からは分からない。

実際に出来たのは、天武天皇が死んでから、10数年経ってから。
持統天皇の時期になってからです。

言いたいこと分かってきましたでしょう。
「古事記」と「日本書紀」を作ったのは持統天皇じゃないかと。

あれれっ、そうだとすると何で手柄の筈の事を隠して
わざわざ旦那の手柄にするの?

長くなりますので、このあたりのいきさつと、理由を、次回回しにします
今日は百人一首に絡んでもうひとつだけ。

私が思うに、これどこにも書いてないんですが
天の香具山は、三角関係というよりは
「天」にこそ意味があったのではないかと思うんです。

天は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)の事です。
あの天の岩戸の。

持統天皇こそが天照大御神だから。

このあたりも含めて、次回ね。

おてんとさまは奇跡の大連チャン

前回、「お」の付く6つの言葉の話をしました。

おもてなし
おてんとさま
おかげさま
おめでとう
おつかれさま
おたがいさま

今日は、おてんとさま、についてお話しします

おてんとさま
外国暮らしが長い、れいこさんには、かなり強くあるらしい。

日本でのおてんとさんは当たり前の存在
当たり前でいて四季をもたらしてくれるありがたい存在

外国ではなかなかそうはならないらしい
そもそも、日照時間があまりない国や
逆に暑すぎて、煩わしいだけの存在だったり

ちょうどいい具合のお日様って
それだけでものすごく豊かな事だったんですね

考えてみれば
考えてみればとっても不思議
奇跡と言ってもいいんじゃないか
私は理系的なことは見事に一切分からないので
情緒的な言い方しかできないんだけど

まず、太陽なるものが存在して、何故か強烈に燃えている
これがまず奇跡
そこの回りを地球という星がなぜか回っている
それも遠からず近からずのちょうどいい距離
一年かけて回っているから暑くなったり寒くなったりで季節ができる
これもまた奇跡
それでまた、地球が自分自身も一日がかりで回っていて
だから昼と夜ができる
それに合わせて起きたり寝たりで、活動ができる
こりゃ奇跡でしょう。
ちょうどいい具合だから熱エネルギーをいただいて
生命が誕生し
とっても長い時間が流れて人間がいて
たまたまその時期に産まれた私は
数ある生命の中の最も発達した人間で
ちょうどいい傾き加減の位置にあった日本に住んでる

全ての奇跡は太陽のおかげ
おかげさまでおてんとさま。

でも実はもっと不思議なのは自分自身なんですけど。

手を合わせる
本にあったのが、
世界中、どこを探しても
おてんとさまに毎朝手を合わせる人種はいないと。

ギクッとした。
えっ。

そんなこと、したことない。
何となくイメージできる。
そういう事をしているひとは、いるだろう。

自分は全く意識した事がなかった。

アホ
何なんだろう私は。
ひょっとしてアホなんじゃないだろうか。

6つの言葉の中で一番違和感を感じた。
正直、その時点で話にならない。

むしろ不思議という感覚。
もう、55年のお付き合い。
晴れてる日は毎日お会いしている

なんでそのおてんとさまが
奇跡の源泉だと気づかなかったのか。

おてんとさまのおかげで夜が明けた。
よく感謝感謝というけれど
この奇跡の一日の始まりにこそ感謝すべきだった。

おてんとさまが見ている
本に一番出ていたのは
おてんとさまが見ている
という感覚

外国にはないものだという
誰が見ていなくてもちゃんとする
襟を正す

外国には神様って信仰があるので
神様が見ているってことになるんじゃないかとも思うが
違うらしい

私には信仰がないので、神様の方の世界が分からない
勝手に自分なりに解釈すると、
○○のために、というんじゃなく
もっと自発的なもの

ちゃんとしてないと気持ち悪い
そういうことを言い換えて
おてんとさまが見ている

藤山寛美と博多淡海と木村進

飲み会の時、全員が博多淡海(はかたたんかい)を知らなかった。
ショックだった。

ということをこの前のコラムで書きました。

福岡の伝説のヒーローであるはずの博多淡海

仙台で言うと仙台四郎の様に
福岡では、神様的に思われているのではないか
額に入って飾られているのではないか

勝手な思い込みをしていたのかも知れない。

ひょっとすると、博多淡海は関西人の方が馴染みが有るのだろうか

博多淡海と言えば、まずは藤山寛美から話す必要が有るでしょう

吉本新喜劇
関西人は吉本新喜劇を見て、育っている
良い悪い、好き嫌いのレベルを超えている。

日曜日はあれしか見る番組がない
ほんわかほんわ、ほんわかほんわか、ほんわかほんわかほん

あまりにもワンパターンで、どうにかしてよとは思うけど笑ってしまう。
我々の世代だと、岡八郎、花紀京、船場太郎(せん、ばたろう)

むちゃくちゃ面白いのだけど、
こんなのばかり見て自分の脳みそは大丈夫だろうかと
漠然とした不安がある。

母さんが
家に帰ったら、母さんが泣いている

どないしたん、何があったん

どないもこないも・・・

見ると、テレビで藤山寛美。

下品だらけの関西人に、
上品な高級品をもたらしてくれるのが、藤山寛美の松竹新喜劇。
関西人の脳みその救世主。

藤山寛美はアホのでっちどん
アホが故に純粋で
思ったことをストレートに言ってしまう。
人の嫌なところを何一つ持っていない。
寛美が鼻をほじくりながら話す話し方
これぞアホだと思わしめる細かい所作の完成度。
泣きと笑いが一緒にどっと押し寄せる
文字通り「泣き笑い」の真骨頂。

関西人にとって、なんでアホが誉め言葉かというと藤山寛美がいるから。
アホは生き方の最高傑作だと分かっているから。
押し付けがましいところ全くなく、人の道を教えてくれる。
そんな、お釈迦様のような存在がアホ。
藤山寛美のアホ。

ところが難がある。
素晴らしすぎるんです。
吉本のように肩の力を抜いて、見られない。

桂米朝が人間国宝なのは納得です。
100%異論はありません。
でも、であれば、藤山寛美が人間国宝でないのは、
片手落ちじゃ無いでしょうか

泣いて笑うぞと、気合いを入れる必要がある。
人間国宝級の芸を噛み締めねばなりません。

そして、藤山寛美がスーパースター過ぎた。
松竹新喜劇で藤山寛美以外の役者の名前をどうにも思い出せない。

博多淡海
おそらく、素晴らし過ぎるが故の2つの弱点に、
藤山寛美自身が、もがき苦しんでいたのかもしれない。

ある日、松竹新喜劇を見ていると、
初めて見る人が出ていた。

おばあちゃん役。

博多淡海だった。

ビックリした。
解決した、と思った。

初めて見るこの人は、
でっちどんのアホを
おばあちゃん役で完成させている。

吉本よりは松竹なのだけど
あまりにすごすぎる藤山寛美ほどは気合いを入れなくていい。
脳みそにはとても良い具合。

博多淡海、言葉も違う。
関西人じゃないんだな。

聞けば、福岡で既に人気のある役者を迎え入れたとのこと
日本は広い。

やるじゃないか、福岡。
面白ければ福岡も又よし。

ただ、長くは続かなかった。

木村進
木村進は吉本の芸人。
岡八郎や花紀京の黄金期の
次の世代のこれまた黄金期

何と言ってもスーパーヒーローは間寛平
ほんとにすごかった。
寛平ちゃんの全盛期。
関西以外の人は分からないでしょうね
寛平ちゃんも他の芸人がそうしたように
関東に進出して、面白さを抑えた。

おそらく、イメージとしては
時々、アヘアヘとか、かいーのとか言っているけど
特に面白い訳じゃない。
マラソンの人。

悔しいけど、面白さを全面に出すと逆に浮いちゃう
回りがお約束の応酬をやってくれないと、
うるさいだけの印象になって
すぐに関西に帰っていく。
仕方ないのであの寛平ちゃんでさえ、東京では面白さを抑えた。

でも、面白かったんですよ。
寛平ちゃん
腹抱えて笑いっぱなしだった。
ギャグの量がものすごかった。

その寛平ちゃんを横から支えたのが木村進。

木村進は博多淡海の息子さん。
親の七光りが嫌で、親の承諾を得ず
松竹のライバルであるはずの吉本入り。

完全に実力で
天才寛平ちゃんと渡り合えるくらいになる。
血筋もあるんだろうけど
努力もすごかったんだと思う。
最初は絶縁状態だったが

博多淡海が吉本の舞台上で
木村進をどうかよろしくお願いします。
と土下座して、和解したらしい。

私は大学から東京で、30年、関西の事情に疎くなっている。
博多淡海を調べると当然木村進も出てくる
知らない間に色んな事があったんだなあと驚いた。

木村進のその後
木村進は吉本の人気が下降線を辿っていったとき
吉本からの要請もあり、三代目博多淡海を襲名
その名前で巻き返しを図る

ところが、そんな矢先、脳内出血で倒れ車椅子生活に。
吉本も辞め、博多淡海の名前も返上したらしい。

ただ、寛平ちゃんの声かけもあり
端役ながらも今、車椅子で舞台に立っているらしい。

頑張れ

索引はこちら
[関西人]シリーズはこちら(少し下げてね)