藤原敦忠、逢ひ見ての~

逢ひ見ての 後の心に くらぶれば
昔はものを 思はざりけり

藤原敦忠
藤原敦忠(ふじわらのあつただ)
母親はあの超美男子、在原業平(ありわらのなりひら)の孫
敦忠もかなりのイケメン。
父親は藤原時平
菅原道真(すがわらのみちざね)を左遷した張本人
たたりを受けて若く死んでいる

私も若くして死ぬだろうと予言。
その通りになっている。
さらに、自分の妻が死後誰と結婚するかも予言していて
その通りになっている。
お互いに浮気公認で、色々知ってましたよ
って事なのかもね。

相当のプレイボーイなので
色んな女性と浮名を流しています。

忘らるる 身をば思はず 誓いてし
人の命の 惜しくもあるかな

忘れられる私のことはいいのです。
でも神様に愛を誓ったあなたにばちが当たって
命を落としてしまわないかと心配です。

今回のブログでは飛ばしましたけど
百人一首 第38首のこの右近の歌は
藤原敦忠へ向けた歌です。

藤原敦忠が菅原道真のたたりで
若死にするであろうとは、
衆知に知れ渡っていたんでしょうね。

鑑賞
西四条斎宮雅子内親王に宛てた歌です。

逢ひ や 見て は想いを遂げて夜を共にしたという意味です。
「拾遺抄」では、始めての夜の後に送る、後朝(きぬぎぬ)の歌として分類されているんですが、
「敦忠集」では、西四条斎宮雅子内親王とのことが世間に知られてしまい
逢いにくくなった、とされているので
そのあとの歌と考えた方が良さそう
斎宮って一定期間つとめあげる神職でかなりのものらしい
言わば身分が違う。
藤原敦忠は長男でもないし。

とはいえ、
奥さんもいるし、他にも付き合っている女性がいるんですけどね
まあ、その時代はそれ自体であまり非難はされなかったみたいですけど

背景は置いておいて、歌だけ見ると
いつの世の中も通じるところあるなあ

ある女性とお付き合いしたくて悩みに悩んで
告白して楽になろうと勇気を出して
幸いにもオーケーしてくれて、
お付き合いは始まったんだけど
悩みは消えるどころか
細かいことが気になって気になって
ああ、今の一言で嫌われたんじゃないかとか。

こんなことなら
告白しないで悩んでた頃の方がまだ楽だったよ

そういう心境ですよね
あったなあ
そういうとき
若いとき

知らん間に図太くなっちゃうけど。

高幡不動から多摩丘陵の尾根歩き

カミさんを会社に送っていって、さあ無罪放免
隙あらばお出掛け

この前買った電子書籍、
東京 自然を楽しむウォーキング に加え
駅からウォーキング 関東 も電子書籍で買っちゃいました。

いつものタブレットさえ持っていれば何とかなるってもんです。

行き先は電車の中で考えりゃいいや

いくつか候補はあって
昨日の晩見ていた国立のも良かったけどなあ

家を出て
ギョエッ
失敗したかも

いくらなんでも、左に行って清瀬駅に向かうか
目の前のバス停からバスに乗って花小金井駅や武蔵小金井駅に向かうか
それすら決めていない。
あっ、バス来た!
乗っちゃえ

バスの中で頑張って探して、
この、高幡不動から行く多摩丘陵の尾根歩き、ってやつにするかな
地図

高幡不動
高幡不動懐かしいなあ
中央大学OBの私としては
良く利用した最後の乗換駅
駅の中の立ち食いそばで食べたよもぎそば
美味しかったなあ

うわあっ
なんじゃこりゃ
立派になられて
再開発で、素晴らしい駅になっていました。

大学の時はせっかく近いのに
一度も高幡不動尊には来たことありませんでした。
若いときはなかなか神社仏閣に行きたいとはなりませんね

すごいお寺さんだったんですね
なんかすごい賑わいで
屋台とかもいっぱい出てたりするけど
何かあるんだろうか

本堂で、中からお経が聞こえ
横に行列している人がいる
一体何なんだろう
試しに並んでみるか

ヤバいかも
ひどく場違いな感じ

横の人に
すみません、通りすがりのものなんですけど
これ何なんですか
と聞く勇気が出なかった

左手を出してください。
はい

ちょっとざらっとした砂のようなものを
少しだけ手のひらにピッ

良く両手でこすり合わせてください

順番に不動明王像の前まで行って拝む
その後みんなお堂の中に座って行きます。

えっ座るの?
まあ、何とでもなれ

お経が終わり、お坊さんが挨拶
今、交通安全、家内安全、・・・
全てのお祈りを済ませました。
今年一年が皆様にとって素晴らしい一年でありますよう

後で分かったのは、あそこにいる皆さんは
三千円以上を払って、護摩木を買い
願い事をした人達。

まあ、いっか。
心深きお不動様
一人位紛れていても、何とかしてくれるでしょう。

広い境内には色んなものがありました。

にわか仏像ファンの私としては
大満足

おおっ、本当に釈迦如来の脇侍の普賢菩薩と文殊菩薩は、
白い象と青い獅子の上に乗っているじゃないか

そのあと、境内横から散策コースに
おそらく、時期には咲き誇るであろうアジサイ園
これが目的
ウォーキングイベントを組むとすると、その時期に合わせましょう
かなりの規模なので、期待できそうです。

散策コースを上がっていくと
すぐに結構の高さのある裏山の頂上まで。
お地蔵さんがいっぱいおられて、88人
全て拝むと88箇所巡りと同じになります

見張らし台からは見事な眺望
これはすごい!
富士山もバッチリ見えました。

ハイキングコース
そのあと、ハイキングコースが続いていきます
住宅地の中を歩くというのも、ちょこちょこ組み合わさりますが
8割方、雑木林内を歩くのが連続します。

一番長いのは、多摩動物公園の横
左手がフェンスでフェンス内は多摩動物公園
家族連れが楽しそうです。

動物が直接見えるほどのところまでは近づかないんですが
唯一、オランウータン舎がバッチリ見えます。

本には、運が良ければ、オランウータンのスカイウォークが見れるとあります
ロープがいっぱい張ってあって
ロープを伝って渡っていく。

うーん、残念。
オランウータンがいるのはバッチリ確認できたんですが
すぐに寝ちゃいました。

子供の声
おきろーっ

まあ、仕方ないですね
こっちは入場料払ってませんし。

学生
途中、ちょこっと道路に出たとき
学生さんが走っているのに出会いました。

胸にああ懐かしや赤いCのマーク
すぐ近くの中央大学生
陸上競技部だろうか

色々言われたろうなあ。今年の箱根駅伝
最大出場回数を誇る老舗中の老舗
とうとう、予選落ちで連続出場記録を途切れさせちゃった。

おじさんは、何があっても君たちの味方だぞ

七生公園、平山城址公園
七生公園、平山城址公園と森林公園スタイルの公園が続いていきます。


結構アップダウンありましたね
その分眺望も良い。

これでこそ、なんだけど
この前の六道山公園みたいに
「平地なのに山の醍醐味」ってイベントではうたえないな
前良く行っていた、東京近郊の低山よりは全然山じゃないし
登山靴もなくて大丈夫だけど

一応、山のつもりで来てくださいってうたわなきゃな
参加者いないだろうな
3人でも集まったらゴーしよう。

あっ、えらいこと忘れてた。
お昼用意していない。
お腹すいたーっ

イベント実現できればこの辺で弁当広げようってのは
確認しつつ、がまんがまん。

13:30には平山城址公園駅につきました
駅前、駅中含めて一切店が無い
乗換の分倍河原でパン、府中本町で立ち食いそば
ああ、美味しかった。

このコース良いわ
山頂だけ眺望がいい、普通の低山ハイクと比べ
かなり何度も眺望が良いところに出くわす。

心臓バクバクまでいかないしね。

ああ、気持ち良かった。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

索引はこちら

副菜おかずで、献立レッスン

電子書籍で本買っちゃった

そんな話をこの前しましたね

その時に買っちゃった
ササッと作れておいしい!副菜の300選

いいわ、この本
普通のレシピ本に書いてないことも書いてある。

カミさんとの違い
何か違うなあ

カミさんと私

不細工とますまずの男前という話ではなく
料理を作ることでの話

土日の料理担当を始めて、そこそこ経つ
レシピを見ながらならまあ何とか
昔に比べると手際も良くなってきた気がする

でも経験の長さなのか
何かが違う。

何が違うんやろ

この本で答が分かった

献立やったんか
あいつ、秘密にしとったな

献立
もちろん知っている言葉だけど
ちゃんとした意味を持ってたのね

主食と主菜、副菜、汁などが揃った食事のこと
1汁3菜と言ったりしますね
主食はお米のご飯かパンか麺
主菜はメインのおかずです。
汁は基本的に副菜として考えて良い

今日のご飯何?
うん。カレーライス

ってときは
今日の献立は?
と言われたら
おっと、そう来ましたか
カレーライスだけではダメってことなのね。

まあ、メインがあれば良いんじゃないの?
って考え方が違っていたということです。

副菜
まあ、メインは気合いを入れて作るわけで
何かが違うってのは
副菜なんですね

仕事から帰るのが遅くなるので
どうしても、メインすら厳しい。
そんな中で副菜を作れるかどうか

冷蔵庫を見て
ああ、これとこれが余っているので
じゃあ、ハイ

ってのが出来るかどうかが
勝負の別れ道

結果的には
昨日の残り物とか
買ってきた出来合いのものとかで、
2品目は何とかするわけだけど

それだと
昨日の主菜の残り物だったりするわけで
主菜と主菜じゃ献立にならないってことなんでしょう。

組み合わせを考えて、
この主菜に対するこの副菜として考えてあるかが
ちゃんとした、献立になっているかどうかの別れ道

そんな面倒臭いこと言われても・・
なわけだけど
面倒臭い、と思うハードルをどこまで下げられるか
結局、ここに掛かっている気がする

カミさんなんかは私の料理を見て
ええ? これだけ?
とか言うんだけど

これでも大変だったんだからね
と言い訳言っている私の横で
ササッと副菜を作っちゃうのは
さすがはベテラン主婦
やりまんなあ

それでは、本に書かれている、献立レッスンに参りましょう。

献立レッスン
栄養バランスで選ぶ
主菜に対して副菜でバランスをとる

主菜と副菜で、炭水化物炭水化物とか
タンパク質タンパク質はダメよてこと

なんか
肉、肉になっちゃうのよね
メインで余ったものを副菜でも使っちゃう
ここが別れ道ですね

早い話が
メインが肉なら
副菜での野菜は欠かせませんよ、と

はい、反省

味付けで選ぶ
これ、良いこと言うなあ、と思いました。

醤油味ばかりが並ぶとか
濃い味ばかりが並ぶとか

分かるわあ
有りがち有りがち

醤油味
塩味
クリーム系
酸味
スパイス系
その他

のグループに分けて
重ならないようにする

なるほどっ

結局のところ
主婦と我々男性は
家族に対する愛情のレベルが違う気がする
お腹痛めてないもんなあ。

何作るかってとき
私はレシピ本パラパラめくって
今日の気分で、「自分が」食べたいものを上から順に
選んでいく

そうすると
食材も味付けも似てくるんだよね
主菜と副菜というより
似た感じの主菜が二つ。

子供が好きなもの
って発想しないしなあ

色で選ぶ
ここに至っては、全く発想したことがございませんでした。

色ねえ
そこまでいくと
レベルアップするだろうなあ

全体として美味しそうに見せる

無茶苦茶高度

今後、少しは心がけるようにいたします。

調理法で選ぶ
これも分かるわあ

炒めもの2品とか
揚げ物ばっかりとか

なるほどと思ったのは
具だくさんの煮物と、汁物の組み合わせ
調理時間がかかるわりには
見た目も同じ感じになるのでお勧めしませんと。
そうなんだ。

ここで、素晴らしいと思ったのは
調理法を大きく二つに分けていたこと

簡単グループ
【生】刺身、サラダなど
【あえる】ごまあえ、酢の物など
【漬ける】浅漬け、ピクルスなど
【ゆでる・蒸す】おひたし、蒸し野菜など

ちょい手間グループ
【焼く】
【炒める】
【煮る】
【揚げる】

簡単グループとちょい手間グループで組み合わせる

複数おかず作らねば
となったとき
私は、ちょい手間グループで二つ組み合わせていました。

簡単グループのバリエーション
もっとさっと思い付くものを増やしていければ
楽に献立を作ることができたんですね

目から鱗がポロリ。

ということで
今度、もうちょっと話を進めていきますね

伊能忠敬の、隠居後の第二の人生は?(続き)

地図作り
いよいよ地図作りです。
伊能忠敬55歳でのスタート。

忠敬の一歩は69cm
訓練して、そうした。
体調が良いときも悪いときも69cmってかなりすごいです。

3年で、東日本を踏覇

作成した地図を元に、距離を計算。

師匠の高橋至時も、並行して、文献を探し回る
至時が見つけた、オランダの本。
忠敬が弾き出した地球の外周
ピッタリ一致の約4万km

二人は歓喜に包まれ、抱き合ったと言います。

現在分かっている正確な外周と誤差が0.1%以下。
驚異です。

この喜びの中、至時は結核にかかり
40歳でこの世を去ってしまった。
以後、忠敬は毎朝欠かさずに至時の墓の方向を向いて合掌した。

それから7か月後、完成した地図を幕府に献上
11代将軍家斉(いえなり)は
あまりの出来映えに大喜び。
苦労が報われた瞬間でしょうね。


家斉は何と言ったか

西日本もお願い。

西日本
西日本に出発したのは、もう60歳を超えていた。

一回やって慣れているし
また、3年くらいだろうか

いえ、ぐんとペースが落ちてしまいました。
体力の限界。

3年が過ぎた段階で、九州が全くの手付かず。
娘さんへ宛てた手紙には

歯はほとんど抜け落ち一本になってしまった。
もう、奈良漬けも食べられない。

一番頼りにしていた副隊長の急死とかもあり
壮絶なる測量。

ようやく、江戸の八丁堀で最後の測量完了。

その時、71歳。
55歳から、足かけ17年。
歩いた距離は4万km

そうです。
地球の外周と一緒です。

そして、その費用はほぼ自分で賄っている。

地図に
測量結果を元に、地図にしていく。
これがまた、かなりの作業。

地球は球体なので、地図の平面にするときに
計算し直さないといけない。
日本でもそうなんですね。
逆に言うと、そこまで完璧にやった地図。

最後の最後
その作業の最後の最後に忠敬は肺の病で帰らぬ人になります。

私は、弟子たちのやったことに感激しちゃいました。

忠敬の死を隠したのです。

江戸城大広間に、幕府の重鎮が見守る中
繋ぎ合わされた地図が広げられます。

この大偉業
あくまでも、伊能忠敬がやり遂げたことでございます。

死が公表されたのは、その3か月後


人生に悩んだら「日本史に聞こう」の本は、夢について書いています。

夢って何なんだろう。

夜な夜な出掛けて静かに星を見上げていた。
でも、夢は横に置いておいて、ひたすら仕事に精を出す。
人生50年時代の50歳になってもやっぱりやりたい。
猛烈に勉強して、
地球の外周を知りたくなって。
地図作りって幕府に許可を得るための、言わば口実。
少なくとも外周が分かったあとは、付け足しみたいなもん。

でも、もちろんいやいやじゃなかったでしょうね。
いやいややったような仕事の完成度じゃない。

夢って何なんでしょう。
人生って何なんでしょう。

やりたいことだけをやることが夢なんだろうか。

胸に突き刺さる。

これから始まるであろう、私の第二の人生。
どう組み立てていこうか。
ちゃんと考えないと
伊能忠敬に対して失礼に当たる。

でも、
もしこれだって形じゃなくっても
目の前の事を精一杯にやる美学

伊能忠敬の生き方なんだなあ