伊能忠敬の、隠居後の第二の人生は?

人生に悩んだら日本史に聞こう、シリーズの第二弾です。
伊能忠敬(いのうただたか)
日本人なら知らない人はいないでしょう。地図を作った人。

ウォーキング好きの私としては、ウォーキングの神様として崇めたてまつっています。

浮気疑惑
どうも怪しい。
毎日、夜になるとこっそりと家を抜け出していく。

妻、ノブは、思い悩んだ末、やっぱりつけて行きます。

忠敬は野原でゴロンと横たわる。

誰かを待っているのか

でも、待てど暮らせど誰も来ない。

意を決して
忠敬の前に出ていき

こんなところで何をなさっているんですか

・・・
星を見ているんです。

婿養子
忠敬は、17歳の時、伊能家に婿養子に入る
今の千葉県佐原市にある造り酒屋
ひたすらに仕事に精を出す。
傾きかけていた家業の拡大を成し遂げる。

江戸時代に日本全国を歩き回って地図を作った人。
さぞや、地図がもともと好きで
と思いきや
ひたすら仕事に取り組んでいた人。

変ですね。
思っていた事と違います。

とうとう50歳になっちゃいました。

あれあれ?

江戸時代でしょう
人生50年の時代。

よく私も頑張りました。
ってところですが
忠敬は違ってました。

長男に家督を譲り、晴れて自由の身
江戸に行くぞ。

星の勉強をしたい。

これもまた、予想と違いますね
地図じゃないんです。

星。

当時の天文学の第一人者、高橋至時(よしとき)に弟子入りします。
すごいですよね。
高橋至時は、31歳。
事業で成功した、50歳の立派な社長さんが
ふた回りも年下の若いもんに、
弟子入りして、師匠師匠と。

至時も、最初は隠居後の道楽なんだろうと思っていた。
ところが、来る日も来る日も猛勉強。
この人本気だ。

あまりの熱意に打たれ
師匠であるはずの至時も
弟子の忠敬を、推歩(=星の動きを測ること)先生と呼ぶようになります。

至時さんも偉いよね。
この師弟、良い関係だったんだろうな。

疑問
天文学を真剣に学んでいる忠敬
一つの疑問が頭にもたげます。
地球ってどれくらいの大きさなんだろう。

今ならネットで、「地球 大きさ」ってググればすぐ分かりますが
当時は、読んだ本に書いてなければ、分かるすべがない。

仕方ない。自分で調べるか。

ある方法を考え付きます。

北極星は真北で動かない。
二つの地点で見上げる角度を比較する。
その距離を測れば、地球は球体なので、外周が割り出せる。

二つの地点は遠ければ遠いほど誤差が少なくなる。
よし、江戸からはるか遠方の蝦夷(北海道)まで距離を測ってみよう。

ただ、当時、蝦夷に行くには、幕府の許可が必要。
どうやったら、幕府を説得出来るだろう。

距離を測る、即ち測量。
ということは地図を作るってこと

最低限の、蝦夷までの距離を測るためだけの測量でなく
詳細な地図を作るとなると
幕府も国防上欲しいはずだから、許可を出してくれるんではないか。

ようやく繋がりましたね。
始めから地図が作りたかった訳ではないんです。
あくまでも、天文学的興味。

分からないなら、自分で調べるか、というその発想。
行動力。そして行動力なんてなさらっとした言葉では表せないほどの大事業。
ど根性です。
見る人によっては、気違いかも知れません。

やるって言って、許可をもらったからには、やらないといけない。

もらえた金額は今のお金にして160万円分。
必要なお金ははるかに桁が違います。
結局は、事業で得たお金は全て地図作りに費やされます。

スタートしたのが55歳の時
人生50年の時代の55歳スタートなんです。

地図作り
いよいよ地図作りです。
長くなりましたので、前後に分けます。
後半は、続けて明日にしますね。

仏像の見分け方。薬師如来。

前回、阿弥陀如来の話をしました。

薬師如来
歴史的に言うと薬師如来は阿弥陀如来より前

もともと薬師如来は、何担当って訳ではなかったけど
阿弥陀如来が来世の極楽浄土っていう色彩を強くするので
薬師如来としては、来世の話をあまり言っていないので
現世でのご利益という役割担当のイメージが強くなる

大願(誓い)としては12個
みんなの病苦や心の病を治し、寿命を延ばし、苦悩を取り除いて成仏させる。

人気
当初、病苦を治してくれる訳だから大人気。
古代は医学が発達していないから、病気にかかったら
治す方法は、拝む事しかなかった。

人気が衰えるってことはないんだけど

来世を強調する阿弥陀如来に人気面で抜かれた感が否めない。

とても不思議です。
来世より、現世の利益の方が良いと思うんですけどね。

大きな傾向として
来世へのみ期待するというのは
現世に対する夢も希望もないという時代の場合があるので
考えものかな、とも思います。

仲良しトリオ
薬師如来の助さん、角さんは?
右に月光菩薩(がっこうぼさつ)、左に日光菩薩になります。

阿弥陀如来の場合は、超人気の観音菩薩が左に控えているというのも
人気の秘密かも知れませんね
月光菩薩と日光菩薩はマイナー感が否めませんね

見分け方
かなり分かりやすい
ことが多い。

最初の頃の薬師如来は特に何も持っていなかったんですが
あるとき
左手に薬壺を持った仏像が作られた。

これは分かりやすい。
一目瞭然
ということで
それ以降の薬師如来像には、左手に薬壺が持たれています。

そんなにウケが良いならってことで
それ以前の薬師如来像も
わざわざ改修して、
薬壺をくっつけたものもある。

もちろん、全部が薬壺を持っている訳じゃないですけど。

その時は、月光菩薩と日光菩薩で見分けましょう。
釈迦如来や阿弥陀如来は、お付きのものが左右対称の格好をしていないことが多い。
左右対称ならおそらく月光菩薩と日光菩薩

持っているものに、うさぎと、三本足のカラスが書いてあれば
間違いありません。
三本足のカラスは、八咫烏(やたがらす)と言って、太陽に住んでいるカラス
すぐに焼き鳥になっちゃいそうですけど。
サッカー日本代表のシンボルマークですね。

印相
印相(手の形)の話も追加しておきましょう。
施無畏印(せむいいん)と与願印(よがんいん)が一般的です。

右手が施無畏印。肩の前辺りに手のひらを前にして出す。
皆さんおそれる事はありませんよ。励ますサイン。

左手の与願印はこれも手のひらを前に向けるんだけど、下に足らす感じ。
座っている場合は、膝の上に置く。
みんなの願いを聞きましょうというサイン。
奈良の大仏も、施無畏印と与願印です。

薬師如来の場合は、与願印の上に薬壺を持っているということになります。

索引はこちら
[仏像の見分け方]シリーズはこちら(少し下げてね)

日本人は、あいづちがないと落ち着かない

金田一先生の「美しい日本語」シリーズです。

あいづち
日本人と外国人
電話で話すとこんな感じ

日本人: もしもし
外国人: もしもし

日本人: ええ、こちら、あのう、山本ですが
外国人: ・・・

日本人: もしもし
外国人: はい

日本人: こちら山本ですが、ジョンソンさんは・・・
外国人: ・・・

日本人: もしもし

日本人は、絶えず相手に何か応答してもらいたい
あいづちを打ってくれないと不安になって
もしもし、に戻っちゃうのでいつまでたっても話が進展しない

分かるなあ
自分でもこうなると思います。

もしもーし

確かに外国人にしてみれば
答えて欲しいんなら質問してよ、ってことなんでしょうね

日本人としては、何と言ったら良いのか
そんなちゃんと質問形式の言葉で質問なんてしたら
おこがましいというか
偉そうに聞こえるというか

ねえ

ジョンソンさんは・・・
と言っているんだから
察してもらって
ハイハイ、お待ちくださいね
と、取り次いでよ

でも
日本人だからそう思う訳で

外国人だと
ジョンソンさんはいらっしゃいますでしょうか
と言えば良いだけでしょう
ややこしい民族だなあ
となるんでしょうね。

まあ、おっしゃるとおりです。

会話の目的
ひょっとしたら、会話の目的自体が違うのかも知れませんね

もともと、日本人の会話には
伝えたいものが明確にある方が少ないのかもしれない。

黙っていると、気まずいから、会話が始まるものの
とにかく、相手の顔色をずっと伺いながら会話が進み
相手の機嫌を損ねることなく、何事もなく会話が最後まで終われば
ああ良かった

そんな会話の方が多いんじゃないかって気もする。

娘が
娘が前、鋭いことを言ってました。

初対面の人に
どちらから来られました?
って絶対に聞くよね。
あれ、本当に聞きたいと思って聞いてんの?
正直、相手がどこに住んでるか、全く興味ないんですけど。

なるほど
確かにどうでもいい
でも、どうでもいいから聞きやすい訳ですよね

おそらく過去にその質問で問題が起きたことは0%ですね
日本人的にはベストな質問です。

いきなり初対面の人に
好きな女性のタイプは?
とか
集団的自衛権についてどう思われますか?

なんて聞けるわけない。

〇〇から参りました。
そうなんですか、私はずっと以前になりますが、その近くを通り掛かった事があります。
へえ、それはそれは。

おそらく外国人なら
それはそれはって何なのよ。
それが何だと言う訳?

日本人なら
良かった良かった
会話が盛り上がったね。

話の口火を切るために必要だというレベルではなく
最後まで、そんな分かったような分からないような会話でも
日本人なら全然大丈夫ですよね

結局
結局は、色んな考え方、感じ方があるよ、ということ

重要なのは、その事をちゃんと踏まえておくべきってこと
自分の価値観で、あいつはおかしいだろう、と言っちゃいけないよ、と
そういうことですね。

富士講でありがたや

伊勢講の話はしましたね
一生に一度は、お伊勢さんに行ってみたい

そのためにみんなでお金を出しあって

それが、おかげ参りとかにも繋がっていった

もうひとつ、忘れちゃならない講
富士講があります。

富士講
庶民の富士信仰は尋常じゃなかった。

これはもう当たり前ですね
理屈じゃない

私も富士山をみるたびに
桜もそうですけど
日本人に産まれて良かったぁ
と、つくづく思いますから

富士山が嫌いな人なんて絶対にいませんね

そもそも、不二
ふたつとない、で富士ですもんね
不死にも繋がる。

お伊勢さん同様
江戸時代の人は、一生に一度は富士山に行ってみたいと考えた。
お金を出しあって富士講です

富士講の開祖といわれるのは長谷川角行というひと
九州長崎の人で、富士の人穴で千日間立ち行の末に悟りを開いたといわれています。
富士山登山百数十回、断食300日などの苦行を成し遂げ、106歳のとき人穴で入寂した

伊勢講の場合は出来るだけ全員にということがあったので
順番に当たったようですが
富士講の場合は
当時、女人禁制だったので、男性しか無理だし
ある程度体力の有るものでないといけない
最初から全員は無理なのでくじ引きの事が多かったようです。

選ばれた者は、代表者なので
もう責任重大で、準備も大変だったようです。

日頃やましい事をしているものは、山酔いをすると
考えられていたようです。
高山病ですね。

御師
伊勢にもいた御師
伊勢のときは、おんしと読んでいましたが、伊勢でない場合はおしと読みます。
旅行代理店みたいな存在でした。

富士の場合にもいて
特に富士登山の4つのルートのうち、吉田口ルートの吉田に多く集中していました。
彼らは、富士山に仕える神主でもあります。

伊勢の御師がお札を配ったように
富士の御師は富士山牛玉(ごおう)と呼ばれるお守りを渡します。

御師の家は宿舎でもありますが
そこで振る舞われる料理にはルールがあります。
肉はだめ
山開きの時には、必ずひじき
魚は鯉が多かったようです。

登山
登山の前には、北口本宮富士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんし)

石灯龍の参道には樹齢300年以上の杉やひのき
高さ18メートルもある大鳥居。
木造の鳥居としては国内最大級です。
世界文化遺産はこの神社も含めての富士山です

しばし進むと大塚丘(おつかやま)という場所があります。
ヤマトタケルノミコトが立ち寄り
「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」と言葉を残したとされています。

残された者
無事行って帰ってきて
ああ、代表で行ってくれてありがとう

基本はそうなんですが
女性や体の弱いものはどうやっても行けないわけですから
ちょっと悔しい

そこで考えました。
よし、私たちでも登れる富士山を作っちゃおう。

富士塚と言われる富士山のミニチュア版です。

ウォーキング同好会でのイベントで最初に富士塚に出会ったのが
千駄ヶ谷の鳩の森神社
ただ土を盛っただけでなく、
富士山の名所のミニチュアがことごとく再現されています。

それ以降、何度もウォーキングイベントをやっていますが
あちこちで、富士塚があるわあるわ
最初、あそこにもあった、ここにもあったって数えていましたが
途中から訳分からなくなりました。
品川神社の富士塚なんかは感動でしたね。

ウォーキング同好会を始めなければ絶対分からなかったことです

江戸庶民の富士山に対する熱い思い。
東京には富士山はいっぱいあります!

謙遜
ところで富士山と言えば
日本人の謙遜ということで面白い話があります。

江戸の人が、駿河の人に
駿河名物を誉める

竹細工は他の国のものは比べ物になりません。
いえいえ、お江戸の亀井町の方がはるかにじょうずにござります。
なすびは素晴らしいですね
いえいえ、本所の砂村にはかないませぬ。
といった具合

もう、真打ちを出すしかないと
何と申しましても、駿河の富士は日本一の名山でござりましょう。

いえ、あれも半分は雪でござります。