昨日、岡崎城まで話しましたね
岡崎なう。家康ーっ、築山殿ーっ
岡崎への理解が深まったところで、いよいよ今回の主目的、家康へゴー
三河武士のやかた家康館
家康の全てが分かる家康館
博物館は数々行きましたが
結論から言うと特A、二重丸を超えた花丸じゃないでしょうか
まあ、素材が家康ですから
どれだけ控え目に展示しても、ネタはいくらでもあります。
残念ながらこちらもほぼ写真NGなので
文字でお伝えしますね
付け焼き刃でも家康のこと勉強してから行って、つくづく良かった
予習なしで行ったら
あまりの充実ぶりに全く付いていけなくなったでしょう
まだ、覇王の家は下巻が2割程度しか読めていないので
小牧長久手の戦い辺りはついていけませんでした。
時間が遡りまして、岡崎城の時、音声ガイドがあることに気づきました。
だいたい、音声ガイドがあるときは借りる事にしています。
気づいたのが遅かったので
よし、次こそは。
家康館で
音声ガイドをお借りしたいんですが
たまに、音声ガイドは、
えっ、展示のところに書いてあることと一緒じゃん
そんなの自分で読むよ
って事があるんですが
この音声ガイドは程よく違うことも喋ってくれる
30箇所全部聞きました。
本での予習が
実際に、関連するものや写真の展示物で強くイメージできます。
これ、うちの近くに作ってくれないかなあ
定期券買って、毎月通いたいなあ。
やっぱりここに来る人は猛者揃いですね
子供に詳しく解説している人や
おじさん同士で、その時の心持ちを議論している人
ここで、なぜか引き返したっていうのがポイントだよね
いや、そこは計算だと思うよ。なぜかと言うとね
みんなとても楽しそう。
関が原の戦い
やはり圧巻は、関が原の戦い
関が原の戦いについては、
その背景から紐解いての「関が原の戦い」というムック本を以前読んだので
多少はついていけます。
ボタンを押して
さあ、始まるぞ
広大な場所に模型が配置されています。
こっちに石田三成
こっちに徳川家康
井伊が宇喜多秀家に発砲して始まり始まり
前に進むときは、くるっとひっくり返って、もう一個前でまたくるっ
結構見ている方も、白熱してきます。
小早川なぜ動かん!
ボーオオー
ワー
ドドンドドン
前へ前へ
もはやこれまでぇ
続けて2回見ちゃいました。
遺訓
じんと来たのが遺訓
音声ガイドでも、おそらく後年、水戸の遺訓を参考にして作られたものだと思われますが
と言いつつ、
書いてあることが、家康の生き方そのものなので胸を打ちます。
同じものが、岡崎城の前にも書かれていて
現代語訳がのっていました。
音声ガイドではもうちょっと、現代語に噛み砕いていましたので
思い出し思い出し、でーこん流にぐっと意訳してみます。
人の一生は、重い荷物を背負っていくようなものです。
急いではなりません。
不自由が当たり前だと思えば不足を感じることはありません。
望みが起きたときは、辛かった頃を思い出しましょう。
辛抱は無事の源です。
怒りは敵と思いましょう。
勝つことばかりを思いすぎてはなりません。
自分を責めて、人を責めないようにしましょう。
少し足りないくらいが、やり過ぎるよりうまくいきます。
岡崎公園
時間が多少前後するものもありますが
岡崎公園では色んな家康関連のものがありました。
二の丸能楽堂
おそらく、この辺りのどこかに住んでいたので、この近くで生まれたと思われます。
何だか声が聞こえるぞ
何かやっているんですか
武将のイベントになります。
有料なので、今、門を閉めさせていただいています。
おいくらなんですか
400円になります。
15分くらいなんですが
じゃあお願いします。
中は撮影は出来るんですか
ショーはご勘弁いただいているんですが
そのあとの演舞は大丈夫です。
えっと、すみません
やっぱりやめときます。
家康像
これこれ、こういうのがなきゃね
いかん、ちょうど逆光だ
真っ黒
5回撮り直して、これが一番ましでした。
竹千代と家康
可愛いっ。竹千代
竹千代は家康の幼名です
このすぐあとくらいに人質に出されちゃいます。
横には、大人になった家康
こちらは若き日の家康。
若いときは、家康は痩せてます。
家康館でたっぷり二時間近く見たあと、出てくると
ひょっとして、さっきの400円の人たち?
グレート家康公「葵」武将隊って言うそうです。
人気者で、地元のメディアに引っ張りだこ
若い女の子たちがパチパチ写真撮っていました。
400円得したかも。
東照公産湯の井戸
この井戸の水が、家康の産湯でした。
竹千代ーっ
東照公えな塚
家康のえな(胞衣)がここに埋まっています
胎盤のようなものでしょうか
考えてみれば、竹千代は、お父さんは気がおかしくなった家臣に殺されて、母親にもすぐに引き離され
ずっと親なし子だったんですものね。
竹千代頑張ったね。
思えば、江戸時代の260年って
遺訓を守った260年だった気がします。
「過ぎるな。ゆっくりだ」
西洋は過ぎていると感じて基本的にシャットアウトし
オランダとだけちびちび
大きく技術革新するものは、むしろ禁止されていきます。
大きな船はダメだし、馬車だってダメ
ちびちび行きましょう
びっくりするけど、あれだけ自慢だった水道すら
吉宗の時に半分廃止しちゃいます。
理由は色々言われていますけど
「良すぎるから」という気がします。
あんまり良すぎると江戸の人口が増えすぎる
それ以降、江戸の人口増加はピタッと止まりますから。
身の丈だけの仕事をして
それ以上の稼ぎが入りそうになると仕事をやめちゃって、残りの日は遊びに回す。
みんながそうしているから、不思議に思わない世の中
三河の派手嫌いが
ベースの考え方として
全国に広まった260年だった気がする。
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