富士講。なぜ日の出を背にして拝むのか

東京をウォーキングしていると富士山に出会う

富士山を模して出来た、ミニチュア富士山
富士塚と言う

あっここにも

おそらく今まで出会った富士塚は10ではきかないと思う。

ブログでも書いてきました。
富士講でありがたや
[大暑] 7/23 富士山の山開き、嘉祥の儀

この前、素盞雄(すさのお)神社の時、ちょっと調べて、食行身禄(じきぎょうみろく)という人の事を知った

あれ
ちょっと今まで思っていたイメージとちょっと違うかも
気になって、
もうちょっと調べたいな、と思っていた。

そして、今回、駒込の富士神社をきっかけに、さらに調べてみると
これは、今まで思っていたのと結構違う部分があるなあ

ということで
ここでまとめて、富士行者、富士講、富士塚というものについて
研究成果の発表といたしましょう。

富士行者
順番的には、富士行者、富士講、富士塚という順番になります。
この事がそもそもイメージと違っていたんですけどね
その辺はまた後で。

富士信仰自体は、あれだけの特別な山ですから
元々自然自体を神と考える日本の宗教にあって
自然発生的に出てくるのはうなづけます。

一方で、修験道(しゅげんどう)というのがあります。
山にこもってとてもハードな修行をするというもので
神道とも仏教とも違う、純粋に日本独自の宗教。

一番イメージしやすいのは山伏(やまぶし)
白い服着てほら貝吹く人

富士信仰は、コアな部分は、修験道の行者と言われる人たちでずっと続いていく訳だけど
明確な形や教義的なものは存在しなかったから
それが宗教と言えるほどのものかはちょっと微妙。

それを、宗教に近づけた人が「角行」(かくぎょう)
富士山西麓の人穴にこもります。ここで四寸五分の角材の上に一千日間爪先立ちします。
ふくらはぎパンパン。

角材の上で爪先立ちしたから「角行」という名前をもらいます。

その後、宗教の布教活動的な事をし
祈祷をして病気を治したりする
そして、教えというか、教義を作る。
家業を大切にすべし。等々

これ以降、富士行者というものが明確に意識できるようになる
その後、その弟子たちが、代々繋がっていきます。

大きく広がりを見せたのが、6代目、食行身禄(じきぎょうみろく)の時
享保、即ち吉宗の時だから、既に江戸時代も半ばになっています。

吉宗。良いこといっぱいしたんだけど
運悪く冷夏やウンカの大発生で、全国的大飢饉
幕府への不満が爆発寸前。

そんな時、食行身禄が立ち上がる
私が救世主となろう。
56億7千万年後に救世主となってこの世に降り立つ筈の弥勒菩薩(みろくぼさつ)とは私の事だ!

大人気者になります。
新たな教義も追加。男女同格。
加持祈祷の廃止。親孝行とか、真面目に働きましょうとか
分かりやすいもの。

そして、富士山の七合五勺目にある鳥帽子岩で断食行をし、そのまま仏となります。
享保18年(1733年)
空海みたいです。

号外の瓦版も出たというから、かなりの関心事だったようです。

一気に人気が高まります。
その弟子たちが頑張って
富士講という互助会組織が作られていくことになります。

富士講
もう一度おさらいしますと
富士講とは、講の構成員達がお金を出し合う
50人くらいの一般的ケースであれば、代表者3~7が選ばれ
富士山に登る。

ここも、ちょっとイメージと違っていましたね
一人だと思っていた。
寂しいだろうに、と
3~7だったら寂しくないね

通算8回以上登ると、先逹になる
指導者的役割。
33回以上になると、大先逹

でも、神道や仏教のように
神職や僧のような専任職ではない

あくまでも、職業を持っている
消防団みたいな感じかな

行事は大きく二つ
夏に行う富士登山と、毎月の集会です。

富士登山
富士講による富士登山は、大きく3つの時期で異なります。
まずは、江戸後期

富士吉田市にある御師(おし)と言われる世話役のところに行って
よろしくお願いしまーす。

富士講は江戸及びその周辺で流行ったもの

半分は 江戸のものなり 富士の山
ってくらいですから、江戸の人達は富士山は自分達のシンボルだと思っています。

その地域から見ると、富士山は西にある
この、西と言うのは特別な意味があり
仏教で阿弥陀如来の極楽浄土のある場所なんです。

富士行者は神道でも仏教でもない独自の宗教だと言いつつも
その辺は仏教の力を借りたりします。

富士山に登ると、極楽浄土の特別な体験が出来ますよ
その特別な体験を8回も経験した先逹は、特別な力を持つのです。

おおっ、そんなすごいことが
それなら、私も富士講に入ろう

そんなすごいこと、とは何なのか

富士山の頂上で日の出を待ちます。
すると、西の方の朝もやの中に現れたのは
おおお、阿弥陀如来様ーっ

分かります?この正体
実は自分の影
西って言うのがポイントです
科学的には、ブロッケン現象と言うらしいです。

御来光じゃなく「御来迎(ごらいごう)」と言います。

私も見た
私も見た

何か言われた?

ちゃんと親孝行していると、極楽浄土に連れていってくれるって。

こういうことは、だいたい尾ひれが付いていきます。

高田富士
1779(安永8)年、身禄の弟子の高田藤四郎という人が
今の早稲田大学の構内に、高田富士という富士塚を作ります。
食行身禄の入定後、40年もあとの事なんですね

ようやく富士塚ですね
おっとこんなに紙面取っちゃった。
続きは明日

索引はこちら
[江戸の文化]シリーズはこちら(少し下げてね)


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