[百人一首]96 花さそふ。出たっ、西園寺公経

花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
ふりゆくものは わが身なりけり

桜の花を誘って散らす、嵐が吹く庭に降り行くものは
雪ではなくて、老けていくわが身なのだったよ。

入道前太政大臣
百人一首シリーズも残りわずか
残りは超大物揃いです。

出ましたっ
藤原公経(ふじわらのきんつね)
きつねではなくきんつね
またの名を西園寺(さいおんじ)公経
西園寺家は公経から始まります。
ずっと時代があとになって、西園寺公望(きんもち)という総理大臣もいます。

西園寺というくらいだから、西園寺を北山に建て、自身その寝殿に住んだ
実に見事な寺だったらしい
いま京都の上京区高徳寺にある西園寺は、公経の建てたものではありません。
公経の立てた、西園寺は衣笠山のふもとにあった。
どこかというと、金閣寺の場所
その跡地を、足利義満が譲り受け、鹿苑寺を建てたので
金閣寺を見て、ああここで公経は寝泊まりしていたのかと想像するのも
全くの間違いではない。

藤原定家とはどういう関係かというと
パトロン
後鳥羽院の逆鱗に触れ、輝きを失っていた定家
承久の乱で後鳥羽院が流罪になって後
再び引き上げてくれたのが、公経
公経のお姉さんを嫁にもらって親戚にもなりました。

承久の乱で後鳥羽院がおかしな動きをしていることをいち早く察知し
幕府側に報告
公経自体は一旦捕まって、幽閉されちゃいますが
結局幕府側が勝ったので大手柄な訳です。

鎌倉幕府が源氏でずっと続くかと思いきや
第三代将軍、実朝が惨殺されて次の将軍は
武士ではなく、お公家さんから
藤原頼経、公経の孫です。

承久の乱ののちの京都政界は、公経によって再編成、統一されたというほど
栄華を極めるのです。

鑑賞
公経は歌人としても極めて評価が高い。
この歌は最晩年の作品

栄華を極めた藤原氏と言えば、道長が思い浮かびますね。
この世をばわが世とぞ思ふ 望月の かけたることもなしと思へば

この栄華は永遠に続くぞと

それに比べると、この歌はどうでしょう。

花が降りゆく、と、年老いるの古りゆく、をかけている。

古くから、花が散りゆく姿は、凋落を象徴する。

苦労して、ジェットコースターのような人生で
確かに今現在は栄華を極めているかも知れないけど

もう疲れたよ
良く頑張ったよ、俺

道長のような気分にはなれなかったんでしょう。

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ヨモギ

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