[大奥]14 和宮2。こんなもの、こんなもの

[大奥]14 和宮。恋文を書いては破り。
の続きです。

愛する婚約者と無理矢理別れさせられ
京都の人からすると、ど田舎と思い込んでいる江戸なる場所に嫁に行く

惜しまじな 君と民のためならば 身は武蔵野の 露と消ゆとも

私は、犠牲になるんだ。
どう考えても、心を開くはずがありません。

そんなあり得ない奇跡を起こしたのが
家茂(いえもち)の優しさでした。

俺は男だ、の、将軍だ、のを一切出さず
天皇の妹を、天皇の妹として丁重に迎え、優しく見守り、暖かく包み、そして愛した。

ひょっとして、私の勝手なイメージが先行していただけなの?
戸惑い、どうして良いか分からなくなった
それから、その目の前の男性を心の底から愛するようになるのに、それほど時間を要しなかった。

いつも一緒
典型的なおしどり夫婦

今までも正室と中の良い将軍はいなかったわけではありません。
でも、側室を置かなかった将軍は、後にも先にも、家茂ひとりです。

天璋院や勝海舟も伴って、浜御殿に行ったとき
建物から出るときに、和宮が真っ先に裸足のままさっと下に降り
家茂の履き物を揃えたと言います。

あり得ないことです。
おそらく、和宮も生まれて初めてそのような行動を取ったんじゃないでしょうか。

何度か、家茂は京都、大阪に向かいます。
長州征伐のため、そして攘夷実行のため
戦地に向かう訳です。
江戸はそれまで200年以上も平和が続いている。
戦争があったって遥か昔すぎて、教科書で習うような歴史上の出来事。
イメージ出来なさすぎて、不安で不安で仕方ありません。

さみしゅうございます。
恐くて恐くて、どうすれば良いんでしょう。

すぐ帰ってくるさ
お土産は何が良いかな

西陣が良いかしら
でも、そんなことより、くれぐれもご無事で

お見送り後すぐに増上寺
無事の帰還を願って、お百度参り
これこそ生まれて初めてでしょう

今までなら、お付きのものに
お百度踏んで来なさい、と言えば済んでいたでしょう。

ふと頭をよぎるのが
自分が丙午生まれだと言うこと
丙午生まれの女性は、相手の男性をダメにするという迷信。

予感が当たってしまいました。
戦争でというわけじゃないのですが
大阪で準備中に、脚気(かっけ)であっけなく死んでしまいました。
昔は、脚気は死に至る恐ろしい病気だったんです。

和宮の元に、約束の西陣が届けられました。
子供の頃から親しんだとても懐かしいもの

でも、本当ならそれを持って微笑んでくれているはずの人がいない

空蝉の 唐織ごろも なにかせむ 綾も錦も 君ありてこそ

こんなもの
こんなもの

江戸
和宮は正直、天璋院篤姫が苦手
京風を通す事が条件で来て、家茂もそれを尊重してくれていた
天璋院は、嫁いだからには全て嫁ぎ先の流儀に合わせるのが嫁の勤めだと強く思っている。

合うわけがありません。

でも、自分が夫を亡くして初めて、天璋院の気持ちが分かった。

京都の言葉で「お弱さん」だった家定
夫婦の契りが一度もないままに、1年半で夫を亡くした。

そうなのか

家定が亡くなった時、再三薩摩に戻るように促されても
断固拒否した気持ちが分かる気がした。

宮さん、京都に帰らはったら?

いいえ
天璋院様と共に江戸にいて
一緒に徳川を守りたいと思います。

時代は急展開に急展開を重ねます。
徳川幕府は、新政府に

負けた

大軍団を形成して、京都から江戸にやって来る
江戸城を攻め落とすために

皮肉な事にその総指令官におしたてられたのが
和宮のかつての婚約者、有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)

天璋院とともに徳川を守るんだと決意して
何ができたかというと何ができた訳でもない。

和宮として出来ることと言ったらひとつだけ
熾仁親王へ向けた、徳川慶喜(よしのぶ)の助命嘆願書

好きだった
恋文が届くたびにどぎまぎして
返信を、書いては破り、書いては破った

甦る
全く内容は違うんだけど。

追伸
好きでした
江戸へ発つ時は自分の運命を恨みもしました。
でも、今は後悔していません。
そう思える方と、巡り会えました。

書いて
やっぱり破った。

手紙が効を奏し、江戸城は無血開城
江戸は火の海にならず、100万人の命が救われた。
徳川慶喜は切腹を免れ、家達(いえさと)を当主として徳川家は存続。

明治になって、和宮は京都に帰った
でも5年後、東京に舞い戻っている
天璋院篤姫のところへ出向き、一緒に食事をし、観劇を楽しむ

1877年(明治10年)、家茂と同じ脚気で
わずか32歳で亡くなります

遺言により、墓は増上寺にある家茂の墓の隣につくられました。
ずっと後に、掘り出したのですが
和宮は家茂のガラス写真を抱いていました。

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[天皇]19 允恭天皇。衣通姫の愛

天皇シリーズ、19代の允恭(いんぎょう)天皇です。

允恭(いんぎょう)天皇
雄朝津間稚子宿尊(おさづまあづまつくねのみこと)412~453

允恭(いんぎょう)天皇は、履中天皇や、反正(はんぜい)天皇の弟。

反正天皇が亡くなり、次は、弟さんでしょうね
三種の神器が、允恭(いんぎょう)天皇の元へ。

ここで初めて、文献として、三種の神器が皇位継承の証として登場します。
それより前も行われていた筈ですが。

允恭(いんぎょう)天皇は、性格が控え目
私はそんな器ではない。と固辞

そんな事言われても、他に候補者がいない。
いつまでも天皇が空位のまま。

皇后は、忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)
見かねて、承けるよう促す。

その時、三種の神器を受け取るにおいて手を清める水を捧げ持っていた。
允恭天皇は押し黙ったままで時が流れる
12月、凍える寒さで、水が凍り、手にもかかった。
手も凍り付き、蒼白になった。

さすがにそれを見て
分かりました。

衣通姫(そとおりひめ)
衣通姫(そとおりひめ)伝説というのが、日本書紀と古事記、両方に書かれています。
ただ、不思議なことに内容が違う。

まずは、日本書紀に書かれている方の衣通姫から
古事記に書かれている衣通姫は、次の安康(あんこう)天皇の時にお話しすることにいたしましょう。

皇后には妹がいた。
衣通姫(そとおりひめ)と呼ばれていた。
絶世の美女で、肌の美しさが、衣を通して輝いて見えたから。

ピカピカー。
寝るときは、まぶしくてひと工夫いりますね。

噂を聞いた、允恭天皇は、宮中へ来るようにと使いを出す。
当時は一夫多妻制

お姉さんが皇后なのに・・

なりませぬ

允恭天皇は、ちょっとしつこい。
7回も使いを遣わす。

駄目なものはだめでございます。

でも諦めない天皇
姫を連れてくれば、褒美をたんと取らせる
中臣烏賊津(なかとみのいかつ)を向かわせた。

糒(ほしいい=乾かしたご飯の塊)を持って姫の元へ

今日こそは、来ていただきますぞ。
来ていただけるまでは、私はここを動きません。

と座り込む

いずれにしても、連れて帰らねば私は殺されます。
であれば、同じこと。
私はここで死にまする。

姫が用意した食事には一切手をつけない。

姫が離れると、隠し持っていた糒をパクリ

七日目
こんなところで死なれては、寝起きが悪うございます。

ようやく承諾
作戦勝ちですね。

でも、さすがに宮中へはちょっと、なので
近くの別の場所に住まわせる。

足繁く通う天皇。
誠実な人柄に、次第に心を開き、二人は愛し合うようになります。

一方で皇后も子(後の雄略天皇)を宿します。
いよいよ産まれるという日まで、衣通姫の元へ向かう夫
心底絶望し
産殿を焼いて、お腹の子供ともども死のうとします。

これには参った天皇
反省し、誠心誠意謝ります。

衣通姫はもう少し遠い所にお引っ越し。

可哀想なのが衣通姫
その時は、天皇を愛するようになってしまっていました。

そうそう来れなくなったのは分かります。
姉の気持ちだって分かります。
分かりはしますが、

やっぱり会いたい。

頭ではなく、心がそう言います。

ただ待つ日々

今日こそは
今日こそは来てくれるんじゃ無いかしら。

あっ
間違い無いわ
今日よ
だって

我がせこが 来べき宵なり 笹が根の蜘蛛のふるまい 兼てしるしも
「わがせこが くべきよいなり ささがねの くものふるまい かねてしるしも」

中国の故事で、笹の根元にクモが巣を張ったら、愛しい人が来てくれるって。
ほら

和歌三神
和歌三神というのがあります。
和歌の守り神。玉津島明神(たまつしまみょうじん)と住吉明神、柿本人麻呂の三柱の神
玉津島明神とは、和歌山県の和歌浦(わかのうら)にある神社

祀られている神様が、衣通姫です。

実は、衣通姫が残したとされる和歌はもうひとつだけ

とこしへに 君も偶(あ)へやも 漁(いさな)取り 海の浜藻の 寄る時々は

(いつも、しょっちゅうあなたに逢いたいけれど、そんなことができるでしょうか。海の浜辺に藻が寄せるように、時々しかあなたは寄ってくれないのに)

この2首だけで堂々の和歌三神です。

衣通姫に魅せられた人は、第58代光孝(こうこう)天皇
夢枕に衣通姫が立って、和歌を詠んだと言います。

立ちかえり またもこの世に 跡垂れむ その名うれしき 和歌の浦波

ということで、和歌の浦の玉津島明神に神様として、衣通姫を合祀しちゃいました。

そしてもうひとり、徳川5代将軍綱吉の側用人、事実上の大老、柳沢吉保です。
柳沢吉保は、拝領した駒込の広大な土地に庭園を作ります。
六義園(りくぎえん)です。
その池に水を引くため、玉川上水から延々と用水を引いたのが千川上水です。

和歌が大好き、和歌山大好き、衣通姫大好きな柳沢吉保は
和歌山の名勝を再現し、それぞれの地で詠われた和歌の景色を再現します。
何と言っても「和歌」山というくらいですから、和歌の国です。

当然、中には和歌の浦と玉津島明神を作り
衣通姫を祀ります。
衣通姫の「我がせこが」の歌も再現します。
ここがささがにの道
(古今和歌集では笹が根は「ささがに」と変わっています。細いとか小さいとかいう意味で、蜘蛛にかかる枕詞)

シリーズの次回は、安康天皇にからめて、古事記に書かれた方の衣通姫を紹介します。
随分違いますよ。

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独裁者のいぬ間に

大事件です。
カミさんがいません。

研修
会社で茨城県に泊まり込みで研修です。

食事は各自外食してきてね

前日言われたのを、家に着いた瞬間に思い出しました。

あっそうそう、そんなこと言っていたなあ

すごく遅くなるから、という日は結構あって
そういうときはコープさんの、セットもの料理を作ったり
週末の作り置きを若干アレンジしたり

セットもの料理というのはとっても便利で
材料がほぼカットされてまとめられ
入っている紙の通りに作るとすぐに出来、しかも美味しい。
だいたいレシピをネットで検索したりして、調理時間10分ってあっても
なかなかそうはならないけど
コープさんの簡単調理は、見事にその時間で出来上がる。

冷蔵庫を見ると、週末に作り置きしたポトフとエビサラダが若干

ご飯はあるので、その残り物となめたけだけで済ませた。

何にもしなくていいなんて、こりゃ天国か。

長女から電話。

今日、お母さんいないんだよね
ご飯はあるの?

いや
お父さんは、残り物で食べちゃったから
残り物もないよ

やったぁ

不思議でしょ。

長女は、食に頓着がないので
お腹が満たされればそれでOK
好き嫌いで言うと、クリーミーな洋食が好き

2年ほど一人暮らししていた時は、毎日コンビニ弁当のドリアとかだったけど
飽きるってことがない。
カップラーメン、カップ焼きそばの類いも大好き。

カミさんは、それじゃ健康に悪いからと
手料理を作って置いておくんだけど
本音で言うと、そういうちゃんとした料理は苦手。

気づかなかった振りして、手料理の横でカップラーメン食べてたりする。

本人もそれには罪の意識があるようなんだけど
今日は、大っぴらに、ちゃんとしていない料理が食べられる訳です。

案の定、コンビニでドリアを買ってきました。

次女はというと、はなから夜中まで帰ってくるつもりはありません。

平和
ご存知かも知れませんが
うちは、カミさんが独裁政権をしいています。

次から次へと指示命令が飛びます。

燃えるゴミを集めろだ、洗濯物をたためだ、洗い桶の食器をふきんでふいて片付けろだ

さあ、座ってブログ書こう、と思うと、はい次

さらに、お風呂に入る前の汚い足で布団を踏むな、だの
ソファは畳んだ洗濯物を置く場所だから人間は座るな、だの
カミさんが勝手に決めた、訳の分からないルールが山ほどあって
ずっと怒りまくっている。

体に悪いと思うけどね。

平和だねえ
とっても静か

長女は、スマホをさわり、私は、タブレット。

なんかしなよ
せっかく平和なんだからさ

そうだよね
そうは思うんだけどね

日頃から何だかんだ言われながらも、ブログ書いたり、本を読んだりはしている
いつも通り

結局いつもと一緒だね
思いつかないよ

もったいないよ
ウォーキングとか行ってくれば?

ええっ、真っ暗だしなあ。

いざとなると、何にも思い付きません。

生チョコレート
ROYCE’の生チョコレート
ずっと前から冷蔵庫の奥に入りっぱなしになっているのを知っている
ちょこちょこチェックし(チョコだけにね)
賞味期限が切れた段階で、ちびちび食べていっている。
賞味期限が切れたものって全部私の担当になるので
ばれたところで実は問題ないんですがね

最後の一筋を平らげ
証拠隠滅のために、空箱は、バラバラにしてゴミ箱の奥底に。

お風呂と就寝
お風呂に入ったあと
布団を敷いて寝る準備

横のカミさんの布団がないだけで、いつもの場所に布団を敷いた。

長女がやって来た。

布団を斜めに敷くとかさあ
どーんと大胆な行動に出なよ

そりゃ大胆だね
傍若無人、豪放磊落だとも言える
聞いて聞いて
さっきお風呂に入って、ビール飲んじゃったよ

すごいっ
もう一回入り直して
もう一回ビール飲みなよ

ああ、哀しきかな、小市民

カミさん、どうしてっかなあ

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[昭和歌謡]86 木綿のハンカチーフ

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです。

木綿のハンカチーフ
太田裕美
作詞 松本隆 作曲 筒美京平
1975年

♪恋人よ 僕は旅立つ
東へと 向う列車で
はなやいだ街で 君への贈りもの
探す 探すつもりだ

いいえ あなた私は
欲しいものはないのよ
ただ都会の絵の具に
染まらないで帰って
染まらないで帰って

歌詞
心打つ歌詞、では、1位2位を争うんじゃないでしょうか。

大人になって読み返して
違った意味でグサッと来ます。

遠距離恋愛
彼氏は東京へ
都会の良いものを伝え、送ろうとするけど
彼女は、昔のままの素朴な彼氏であることを願う。

遠距離恋愛って経験がない
東京に出てきてから、ずっと田舎の一人の女性を想い続けたというのも
完全に一方的片想い。

ただ、もう少し広く考えると
私は未だに関西に帰ってはいない。

♪僕は 僕は 帰れない

これはまともには歌えません。

私の場合は、帰るのを待っていた人がいるとすると家族だけ

母さんの涙を一回だけ見た
私が東京に行くときの、最後の駅のホーム。

結局、帰らないままで、母さんは亡くなった。

カミさんの涙もびっくりした。

カミさんの実家は、山の中なので
なまじっか地方都市の私なんかとは、田舎への思い入れが全く違う。

結婚してずいぶん経ってから。
まとまって長めに東栄町(カミさんの実家)に行くことがあって
最後に東京に戻ろうと言うとき

結婚したての頃だったら分かるけど
ずいぶん経っていたので
えっ、何が起こったんだろう、って
何をすればいいのかが分からなかった。

木綿のハンカチーフの歌詞だけを見ると
こんなに彼氏の事が好きで、
ずっと彼氏を気遣っているのが分からんか
このスカタン

な訳だけど

彼氏だって
一度は憧れの東京に行ってみて
すぐ帰って来ようなどという
物見遊山で上京したわけではなかろう。

ああ残念
もう少しやり方があったろうに。

どこに生活の拠点を置き
どんな人生、どんな家庭を形作っていくのか
そんな根幹の問題。
聞く人によって100人が100通りの思いで聞くから
胸を打つ歌になるのだろう。

それにしても、太田裕美は声が可愛かったですね。

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