[大奥]14 和宮。恋文を書いては破り。

大奥シリーズ、とうとうこの人。
スーパーアイドル、皇女和宮(かずのみや)でございます。
待ってましたっ

和宮(かずのみや)
14代将軍、家茂の正室です。

3代以降、全て将軍の正室は宮家(天皇家の親戚)
ないしは五摂家(藤原氏のうち、摂政関白になる事のできる、近衛、一条、二条、九条、鷹司)からのみ正室を迎えています。
子供のうちに死んじゃった7代家継は例外。
島津家からもらった、11代広大院茂姫と13代天璋院篤姫も最終的には近衛家に養子に入ってから輿入れ

初めて歴史が変わります。
和宮は天皇家そのもの

最初から、時間を追って参りましょう。

誕生
弘化3年(1846年)仁孝天皇の第八皇女として産まれます。

ところが、産まれるまでにお父さん、仁孝天皇は亡くなってしまいます。
その時点で、御所の奥の禁裏(きんり)はお兄さんの孝明天皇のものになります。
側室であった、お母さんの観行院は実家に帰り、橋本家で出産します。
従って、お父さんの顔は見たことがありません。

お父さんが亡くなっている上に、この1846年という年は特別な年
丙午(ひのえうま)なんです。

丙午産まれの女性は、相手の男性を不幸にする。

そんなん迷信や
えらいべっぴんさんの宮さんやないか
きっと幸せにならはる

とは言うものの、本人には
丙午のいわれをひた隠しにし
本人が知るのはずっとあと

二歳が過ぎても、つかまり立ちも出来なかった。
生まれつき片足が不自由。
やっと歩けるようになっても、片足は引きずった。

大丈夫や
高貴な生まれの宮さんなんやで
そないに歩かれへんでも
なぁんも不自由はあらへん

やはり不憫には思い、出来るだけ早めに縁談話
6歳の時、11歳歳上の有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)
何もかも承知です。

熾仁親王と同年代の男の子が橋本家にいたこともあって
橋本家に頻繁にやって来る。
和宮もいっぱい遊んでもらう。
親切なお兄ちゃん。

次第に、婚約と言うことの意味も分かってくる。
熾仁親王としても、年頃になって変化を遂げていく和宮を
恋愛の対象としてとらえるようになってくる。

歌の手紙が届くようになる。
もちろん恋の歌。

いやあ、どないしょう。

届いた途端に顔が真っ赤になる
どうやって返事を書いたら良いか
書いては破り書いては破り

そんなに大変なんやったら
もう送らんといてください、って言わはったら?

もうぉ
いけず

そして、いよいよ婚礼の時期が1年半後の具体的な日に決まる。

ああ、あのお方のお嫁さんになれるのね。

皇武合体
ペリー来航以来、世の中はしっちゃかめっちゃか

積極的な各藩は、どんどん発言するようになり
世の中の風潮は、幕府に厳しくなっていく。

てんでバラバラでは力にならないので
統一的なベクトルを持つようになってくる。
幕府より朝廷じゃないのか

江戸幕府が始まって、隅に追いやられ
見る影もなかった天皇という存在。
孝明天皇がもの言う天皇だったという事もあって、俄然注目を浴びる。

そうなると、幕府の中でも、朝廷と一緒になって難局に当たるべし
という皇武合体論
武士の世の中になってからの根幹部分に関わる歴史的大転換

そのために、次の天皇の正室を、天皇家そのものから迎えよう。

候補は3人。
一人は赤ん坊、一人はおばあちゃん、もう一人は1年半後に具体的な式の日取りまで決まっている婚約者がいる

和宮様でいかがでしょう。
幕府としても必死です。

お兄様、私は絶対嫌です。
そんなことになるくらいなら尼になります。
丙午だってことも言ってくださいね。

孝明天皇は断固拒否
もう一回言いますよ。和宮には婚約者がいるんです。

幕府は諦めません。
お許しをいただけるまで、ここを動きません。
ここがどこなのかは知りませんが。

孝明天皇は外国人が大嫌い。
世間では攘夷の嵐が吹き荒れている。
でも、幕府は及び腰。
外国に勝てるわけないのは十分分かっていますので。

よし、断る良い口実を思い付いたぞ
これを言ったら諦めるはず。

即刻攘夷を成し遂げること。
さすれば、許可しよう。

えっ、ありがとうございます。
即刻慎んで。

ちょっとちょっと
即刻攘夷だよ

はい

お兄様ぁ

渋々、和宮も了承。

熾仁親王は
婚約解消はいたしません。
婚礼の延期。
いつまでもお待ちしています。

和宮、吹っ切れてはいないから
無理難題の条件を和宮からも出して断ってもらおう作戦

大奥に行っても、京風を通すとか
御台所(みだいどころ)とは呼ばず和宮様と呼ぶようにとか
一ヶ月後ぐらいに京都に里帰りでお墓参りさせろとか

確かに大奥の評判はひどく落とすのですが
じゃあ、来なくて良いですとは言いたくても言えない。

反対派が襲撃するとの噂が出て、東海道は避け
中山道を大行列。

おトイレや、お風呂は
特別に部屋ごと作って、何十人もで担いで移動式

江戸到着
何度もごねつつ、江戸に到着。

家光の時の孝子のように、一生ブスッとして過ごすのだろうと思われました。

ところが、旦那様の家茂が信じられないような人だった。

この後は、シリーズの次回ね

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