[明治] 総理大臣は元老が選んでいた。

明治シリーズ兼歴代首相シリーズは、第三代山県有朋まで話しました。

この辺で、今の我々からするととても理解に苦しむ、元老(げんろう)という制度についてお話ししましょう。

明治維新になって最初は、岩倉具視や大久保利通等の、戊辰戦争で功績のあったものたちによる政治。
太政官政治時代です。

大久保利通、岩倉具視が死んだ事で、時代はその次の時代へ。
伊藤博文が内閣制度を作り、
太政官というシステムから、内閣というシステムに転換

内閣のトップとして内閣総理大臣というものができます。

初代に選ばれたのが伊藤博文

国会も出来たので、
我々の感覚からすると、
内閣総理大臣は国会で投票し、首班指名を受けてなるもんだと思いますよね。

違うんです。

国会で多数派を占めたかとはまた別に
元老と言われている人たちが決める

次の総理大臣誰が良いかねえ

うーん、〇〇さんでどう?

いやあ、良いじゃない
そろそろ感あるよねえ

まじっすか。そうしますか。

って感じで決めていく。

元老
元老のメンバーは、のべ8人
伊藤博文(長州出身)
山県有朋(長州出身)
黒田清隆(薩摩出身)
井上馨(長州出身)
松方正義(薩摩出身)
西郷従道(薩摩出身、西郷隆盛の弟)
大山巌(薩摩出身)
西園寺公望(公家出身)

自ら、総理大臣経験したものも5人
8人全て揃った事はなく
伊藤・山県・黒田・井上・松方らに、
元老集団を強化するため、あるいは元老が死去した場合に、
西郷・大山・西園寺が補充されていった

形式的に正しく言うと
元老が決めた訳ではなく
元老が推薦する人を決め
明治天皇に上奏。明治天皇が決定
ただ、推薦をたがえた事はない

明治14年の政変
数年歴史を戻しましょう。

明治14(1881)年
もっと急進的な、現在と同等な
議会で多数を占める政党の党首が天皇から組閣を命じられることを考え
天皇に秘密で上奏しようとした人物がいた。

大隈重信

当時のトップ、伊藤博文に対するクーデター計画と言っても良い

それが、事前に伊藤博文の耳に入り
伊藤博文は周到に根回し。

大隈重信を追放した。
明治14年の政変である

元老は、この直後の、明治14年の参議のメンバーとなっている
薩摩長州の藩閥色がより強くなっていく。

その後、今と同様な各省の代表としての大臣による内閣が
明治18(1885)年発足
その初代総理大臣が伊藤博文ということです。
この時の内閣の各大臣もかなり元老とダブっています。

初期の元老制度はこういう風に始まるのですが
その後どうなっていくかは、明治シリーズの次回

[明治]シリーズはこちら(少し下げてね)

[植物]トマトのストレス

植物のかしこい生き方、第二章「あらがわない」から

求めても求めても満たし尽くされる事はありません。
求めることからストレスは生まれます。

トマト
この本にトマトの潜在能力の話がありました。

懐かしいなあ

トマトの水気耕栽培
ハイポニカと呼んでいました。

ひとつの株から巨木になり、17000個もの実をつける
普通より甘くて美味しいトマト

トマトが特別なトマトなんじゃなく
育て方が違うだけ

土は使わない。水栽培
温度を年中常に一定にし
水には一定の養分を入れ、ゆっくり回してやる
基本はそれだけ。

懐かしいなあ、と言ったのがどういう事かというと
昔、この話を何度もしたから。

経営コンサルタントをしていたことがあります。
研修会を何度もしました。

人間にはハイポニカトマト同様に無限の力がある
なのに、それを発揮できないとすれば
何かの枠をはめているから。
そんなものはとっぱらえ
ひょっとして、その枠の最大のものは自分で作っているかも知れない
自分の力を信じよう、認めよう
枠さえ作らなきゃもっともっと発揮できるはず

こんな感じで話していた。

ハイポニカの開発者は、これを栽培方法だととらえていない。
哲学だと考えている。
この哲学を広めるんだと頑張っておられた。

今回「植物のかしこい生き方」でこのトマトの話があったので
ハイハイ、よく知ってますよ。
限界を自分で作るなと、そういう事ですよね
と、思いながら読んでいった。

違っていた。
むしろ逆、と言って良いかも知れない。

ハイポニカ以外のトマトは、土に植えられている
温度も一定ではないし、一定の養分の水が回ってきてくれる事もない
全てがトマトにとってストレスと言えるかも知れない
でも、そのストレスを感じつつも「元気に」実をつける

その地を動くこともないし
ストレスの解消を求めることもない

もし、普通のトマトがハイポニカトマトの話を聞くと、こういうかも知れない

あらそう。ご苦労様
頑張ってるのね
私は良いわ。

本当は備わっている無限の力が発揮できないからといって、それがなんなの
と、そういう視点
求めると得られるかも知れないけど
そんなことしなくても、幸せならばそれで良いじゃない、って

面白いなあ
ひとつの現象を見て、捉え方が、こんなにも180度変わるものなのか

若いときは、自分の中に眠る無限の可能性の具現を求めていた。
他人にもそうすべきだと言ってきた。

でもこの年になって、普通のトマトの生き方が良く分かる。
普通のトマトで幸せに生きたい

この本を読んで
昔の自分の「考え方」を、懐かしいなあ、と思った。

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[天皇]53 淳和天皇。ジグザグ作戦、それならエエよ。

天皇シリーズ
嵯峨天皇の次です。

嵯峨天皇はその前のお兄さん、平城天皇の息子を次期天皇=皇太子としていた。
ところが、薬子の変で母子共々失脚

あら困った。
その時、自分には子供がいなかった。

じゃあ、弟に譲るとするか
弟を皇太弟にします。

淳和(じゅんな)天皇
823~833年

ただ、皇太弟に指名したあと、嵯峨天皇に子供が出来た。
やっぱり取消し、ってなるとまたゴタゴタになるだろう。

そのままにしておこう
でも、弟と掛け合って、ある約束を取り付けた。

早めに譲位するから、あなたのあと、うちの息子に譲位してもらえない?
その代わり、そのあとは、あなたの息子に譲るから。
題してジグザグ作戦。
どう?

まあ、そういう事なら良いよ

ということで、即位したのが、淳和天皇です。
皇太子は、嵯峨天皇の息子、後の仁明天皇です。

太政天皇
淳和天皇は、10年天皇として職務をとった後、
まだ30代と若いのに、約束通り譲位します。
太政天皇となります。

これによって、仁明天皇に対し、嵯峨太政天皇と淳和太政天皇という
一天皇二太政天皇制
ただ、後に訪れる院制時代のように、政治に口出すわけではありません。
平城太政天皇の時の反省に基づき、全く政治にはタッチしない。

皇后も政治にタッチしなくなっているので
政治は天皇に集中することになります。
女性が政治にタッチしなくなることで
祭事と政治の役割分担がなされる訳でもありません。

当然、天皇の負担は大きなものに。
ああ、大変、勘弁してぇ

これが、このあとの、藤原氏の摂関政治に繋がっていく事にもなります。

それでは太政天皇は政治にタッチせず何をしていたか
文化と経済です。
憧れの、悠々自適の隠居生活。

淳和太政天皇は嵯峨太政天皇と同い年ということもあって仲が良い
嵯峨太政天皇が漢詩に長けていたのと同様
淳和太政天皇も漢詩等の唐風文化が大好き
教養抜群です。
こんなに楽しいのに、面倒な政治なんてやってられませんっ

この悠々自適をやっていけたのは
もうひとつの「経済」面が充実していたからです。

律令時代の最初に天智天皇が決めた、日本の土地は全て国のものという決め事が崩れ
墾田永年私財法で私有地が認められます。
自分で土地を開墾したら私有地としてもらって良いですよ。

この「自分で」というところがミソなんですが
手足を動かした自分、である必要はありません。
「お金を出して人を雇い、開墾させた」も自分です。
さらに言うと、人に私有地をプレゼントさせれば、それも私有地です。

私有地になると、そこから上がった収穫で、国に税金を納めるという義務がなくなります。
全部自分のもの
この法逃れ的にも見える私有地を、この次期一番多く保有したのが、太政天皇なのです。

今で言うと、総理大臣を経験すれば、隠居後税金を免除されますよ、って感じ。

そりゃあ、早く譲位して太政天皇になりたがるはずです。
お公家さんたちも、政治より文化経済に魅力を感じる人たちは
天皇に取り入るより、太政天皇に取り入ろうとします。
積極的に自分の私有地をプレゼント。
おそらく、それでもそのあとの見返りの方が大きいんでしょう。
この傾向がどんどん加速していきます。

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長女の嫁入りが秒読み

長女の結婚式が、4月から10月に延期

とはいえ、結婚自体は延期する必要はない。
籍は入れました。
もう、名字は佐々木ではありません。

問題は新居
そもそも、物件探しが全く出来ずにいた。

緊急事態宣言解除で探し始め
決定した。

我々夫婦が結婚して新生活を始めた場所、千川に近い
ホントにたまたまなんですが、面白いです。

入籍したから新婚さんな筈なのに
週末にしか会えていない。
それも可哀想ね

今週末にお引っ越し

まずいっ
今週末は、ずっと前からウォーキングイベントに決まっています。

こっちが先に決まってたんだからね

まあ、そうなんでしょうけど
娘の嫁入りの日にいない訳ね。
へぇぇ、そうなんだ

いや、その、なんだ
ごめんね

私がいれば荷物も車で運べた訳ですが
引越屋さんに頼むか、と考えたものの
良く良く考えるとほとんど荷物らしいものがない
段ボールで数個。
そもそも持っていく家具がない
ってことで、旦那様が会社からバンを借り、
こちらまで車を回してくれることになった。

ごめんなさい

とうとう、あと数日ということになりました。

リモートワークになってから、体がなまってしまうので
毎朝、雨でなければ近所を歩いています。

あるとき、長女が
「一緒に歩こうか」

どういった風の吹き回し
でも、あと少ししか時間がない事を分かっての提案でしょう

歩き始めてから1ヶ月以上です。
歩きながら、色んな話をしました。
たわいもない話ばっかりですけど。

現実には、朝起こそうとすると
「無理無理。今日は眠い。」
とすっぽかされる事もしばしば

基本、親孝行な提案ですから、仕方ないですね
ありがたいことです。
めげずに毎朝トライしています。

10月の結婚式の日は
久しぶりぃ、ってことになるのでしょう。

土曜日、イベントから帰ってくると
もういないんですね。

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