[名僧] 空也。口から変なものが!

名僧シリーズ

空也(くうや)
903~972年

平安時代って、最澄と空海の印象があまりに強いので
鎌倉時代までは何かあったっけ的感覚があるけれど
どっこい、鎌倉仏教全盛期の種は、平安時代に始まっています。

空也
なんか聞いたことあるなあ、何宗だっけ、と思いますが
この人が宗派を開いてはいませんし
どこかの宗派に所属している訳でもない。

一応天台宗ということにはなりますが
超宗派という要素の方が強いでしょう。

念仏というものの印象を大きく変えた人なので
後の鎌倉仏教の浄土系宗派(浄土宗、浄土真宗、時宗等)のベースを作ったと言えるでしょう。

庶民にとって、それまでは、念仏(南無阿弥陀仏)って縁起が悪いというイメージがあり
嫌われていたんだけど
空也以降は、積極的に念仏が唱えられるようになります。

飛鳥時代から、平安時代、鎌倉時代という大きな流れの中で
大きなイメージでいうと、飛鳥時代は国家のための仏教
平安時代は貴族のための仏教
鎌倉時代で初めて、庶民のための仏教になったと言える

もちろん、最澄も空海もそれで良いと思っていたわけではないけれど
現実的には、そこまでしか広がらなかったという意味

やるからには出来るだけ広めたいのは人情でもあるので
色んな人が庶民にも広まるよう様々な工夫を重ねます。

空也は念仏に着目しました。
長いお経を唱えるより
「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」(阿弥陀仏を信じます、の意味)

たった6文字
お手軽です。

彫像
空也と言えば、この彫像ですね

子供の時、教科書で見てとても奇妙に感じた

口から何か出ているぞ
気持ち悪っ
げっぷかなあ
病気なのかなあ

なななんと、阿弥陀仏だったんですね
ちっちゃな阿弥陀仏が6つ
病気より怖い気もしますが
6つというのは、南・無・阿・弥・陀・仏
の6文字を表しています。

六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)にある「木造空也上人立像」
他にも荘厳寺、月輪寺、浄土寺にあって、全部、国の重要文化財

一様に首から鉦(かね)を下げ、
鉦を叩くための撞木(しゅもく)と鹿の角のついた杖をもち、
草鞋履きで歩く姿を表す。
6体の阿弥陀仏もね

阿弥陀聖(あみだひじり)と呼ばれたり
市聖(いちのひじり)と呼ばれたり

彫像を見る限り、貧乏な格好をしているので
金には目もくれず、庶民のためだけに一生を捧げたイメージですね

でも、別の側面も持っています。
仏教を広めるためには、お寺も必要だし、仏像もいっぱい作りたい。
貴族に働きかけて、お金をいっぱい出してもらっています。

天暦4(950)年には大般若経600巻の書写を発願。
応和3(963)年には金ぴかで水晶が合計1200個という超デラックスなお経も作り
600人の僧を呼んで盛大な法会を行っています。

これらのお経と十一面観音像を納めたのが
今の六波羅蜜寺です。

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ローズマリー

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