へんちくりん、江戸の面白絵

へんちくりん江戸挿絵本、という本を読みました。

改めて、江戸大好き
茶の精神です。

茶化す、の茶ですね

これから紹介しようとしているのは、大きなくくりでいうとパロディですが
風刺のような、批判精神があるわけではありません。

その場でクスッと笑ってそれでしまい。
後に何にも残らない。

そんな言わば「つまらない」ことが大好きな江戸の人たち
大田南畝、山東京伝、酒井胞一といった超一流の芸術家たちが率先してやっている
葛飾北斎なんかも同一線上にある

ちょっと前に紹介した千住宿の酒合戦なんかは
このあたりの一流芸術家たちが審査員なんだけど
入口の看板には
下戸と悪酔いするひとに加え、理屈言う人お断り、と書いてある

所詮人生糞袋

神様と仏様
元々不真面目なものを茶化しても面白くないので、対象は真面目なものになります
神様や仏様は良いターゲット

七福神が、吉原へ行っている、このパターンは結構多いです。
大田南畝(おおたなんぼ)の作品です。
天明元(1781)年作と書いてありますが、これは嘘
天敵の超堅物松平定信に見つかるとえらいことになります。

寛政の改革で、出版規制が入る前の作品だということにしましょう。

七福神ファンの私としては、一番気になったのが寿老人
頭が大きいのは、福禄寿の筈
どうも、大田南畝はほかにも頭の長いのを寿老人と詠む狂歌がありますから、
書き損じじゃないようです。
阿倍仲麻呂の「三笠の山にいでし月かも」をもじって、
鹿を連れた寿老人図に添えた「三笠の山のやうなおつむり」

何故これがそんなに気になるかというと
椿山荘にある福禄寿と寿老人が逆だったのです。
福禄寿の説明看板に、頭が大きいと書いておきながらの逆


こうなると、福禄寿と寿老人を逆にすること自体に特別な意味があるとしか思えない
ああ、気になる。

同時期の、超人気作家、朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)の笑い話をひとつ
七福神のうちお腹の大きな大黒天と布袋和尚は、
みんなで連れだって歩くのにも遅くなります。
寿老人はつかわしめの鹿に乗るからいちばん速い。
弁才天は唯一の女ながら足早で、布袋に向かって「はやく歩みなせへ」と言います。
布袋答えて、「ほてえことをいふ人だ」
ふてえとほてえをかけただけですが
やり取りの様子が可愛いですね。


こちらの絵は、山東京伝の絵

千手観音が手を切り取ってレンタルするという、斬新な発想

黄表紙という絵の中に字が入る、一世を風媚するパターンの初期の作品
無造作に転がっている、切り取られた手
よほど儲かったと見えて、横に置いてある千両箱
面の皮屋千兵衛の笑顔が素敵です。

「絵本神名帳」(えほんじんめいちょう)という神様を色々紹介した本があります。
茂義堂(もぎどう)主人と名のる人物の序によれば、
昔、熟然房(つくねんぼう)というお坊さんが見せてくれた作品だと言っています。
もぎどう、はろくでなしの意味だし、
つくねんぼうは、ぼんやりたたずむ、の意味だから
これ自体冗談でしょう。

蝋燭のしん

芯(しん)と神(しん)をかけただけ
あまりのクオリティの低さに開いた口が塞がりません。

この神は夜な夜な現れて人を明るみに導くが、
「三十目、五十目、百目の位」があって(目は匁で重さの単位、蠟燭の寸法の違いをいう)、
「和光」つまり神仏の光明にもランクがある。
不信心だと芯を切るときに消え失せる、
と書いてあります

和蝋燭って、洋蝋燭と違い、芯を切りながら使うらしいです。

それにしても、この憂いに満ちた表情はいとおしくさえ感じます。

また、今度他のも紹介しますね。

索引はこちら
[江戸の文化]シリーズはこちら(少し下げてね)

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