新江戸百景巡り。柳森神社と麟祥院

新江戸百景巡り。道灌山や小野照崎神社や
の続きです。

道灌山や小野照崎神社に行ったあと
ようし、もう一丁

柳森神社
新江戸百景巡りの本を読むまで、全く知りませんでした。
秋葉原です。電気街とは逆側。

神田川沿いに柳原土手というのがあったようです。

柳がいっぱい植わっていたから柳原土手
でも、江戸時代8代将軍吉宗の時期には、柳は全て枯れてなくなっていた。

柳原土手というくらいだから、柳植えないとダメでしょう
との吉宗の一言で
柳原土手復活ーっ

時が変わって、11代将軍家斉の時
その前に浅間山が噴火して、天候不順になり天明の大飢饉
折角色々改革していた田沼意次は不運にも失脚
11代家斉になって、松平定信登場
ガチガチの堅物ですが、愛ある堅物
福祉の人なので、餓死者を出すまいぞ

この柳原土手に籾蔵(もみぐら)を建て、お救い米を提供。

嬉しいな
その事実は知っていたものの、実際に、
あっこの場所だったんだ、というのを
偶然看板で見つけると、気持ちが高揚しますね。

さあ柳原神社に向かいましょう

そうそう、ここは、モダン建築の岡昌(おかしょう)裏地ボタン店のあるとこだった。

間違えた。これじゃないけど、こちらもモダン

そう、これこれ

写真を撮っていると、中からおじさんが出てきた

いかん、怒られるのか

良いから写真どんどん撮ってよ

ああ良かった

ということで、みなさん
ボタンの事なら、岡昌裏地ボタン店
秋葉原、柳原神社の近くの岡昌裏地ボタン店をよろしく。

柳原稲荷神社

ここは、お稲荷さんなのに、狸で有名


こっちの狸さんなんて肥大化しちゃって大丈夫?歩ける?

なぜ狸かというと、三代将軍家光の側室で、後の五代将軍の生母でもあった桂昌院(お玉)が、
京都の八百屋の娘から大出世を遂げた、つまり「他(た)を抜いて」大栄進したため
玉の輿(たまのこし)です。

事にあやかろうと、大奥の御女中衆が「他抜き」のおたぬきさんを崇拝
玉の輿や立身出世を目指す庶民にも大人気になります。

近くに玄武館跡(千葉道場)があります。

千葉周作の娘、千葉さなと道場に修行にやって来た坂本龍馬との恋

行ってしまわれるのですね。

はい
私にはまだやるべきことがあるのです。

さな、一生、私は坂本龍馬の妻だと言い張り、一生独身で過ごします。

ですが、雨がポツポツしてきました。
玄武館跡省略
(行かんのかーい)

麟祥院(りんしょういん)
さあ、もう一丁
また電車に乗って、本郷三丁目

入口がどこか、うろうろしていると
おっとここは、東京大学ではありませんか

先日のブログ、無縁坂で私が創作したストーリー
無縁坂を上りきった先にある、少年のお父さんらしき人が入院しているのは
この東大の中の東大病院です。

ここまで来たら、守衛さんを横目で見ながらちょこっと入ってみましょう。
受験の日でない限り入るのは自由です。

いやあ、ようやく東大に入れたよ
という、定番ギャグを言うために。

おっと、これは
嬉しいじゃないですか
東大オリジナルのマンホールの蓋ですね
帝大下水と書いてあります。
どれだけ古いんでしょ

麟祥院

ここも、新江戸百景巡りを読むまで全く知りませんでした。
春日局(かすがのつぼね)の墓があるんです。
大奥シリーズをやっているのに知らないなんて、不届き千万ですね

この前の道、春日通りが春日局がいたからっていうのは知っていたんですけどね。

あれっ
哲学館跡とな

井上円了、東洋大学創始者の大哲学家
年末ギリギリにウォーキングに行って年末年始の休暇で入れなかった中野区の哲学堂公園は元々ここにあったと言うことでしょうか
思い出した。再挑戦しなきゃ。

春日局の墓
形は分かっていたんで一生懸命探しましたが随分苦労しました。
一番奥に有ったんですね。
普通は、長方形だったり宝塔というスタイルだったりしますが
無縫塔という卵型の墓石です。

お坊さんのお墓はこの形なんです。
お寺で自分のお寺の代々の住職さんは無縫塔に入りますので
気をつけて見ていると、各お寺に一つずつはあったりします。

面白いのは、無縫塔にさらに、東西南北に貫通した穴が空いていること。

江戸の町をずっと見守れるようにとの事らしいんですが
やっぱりすごいですね春日局
死んだあとまで、江戸の事が気になるんですね。

この前に立つと、とても厳かな気持ちになります。

今日一日で4つクリアしましたので
新江戸百景巡り、あと6つということになります。

♪あと6つ
(あ、ほれ)
あと6つ

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

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