[大奥]12 家慶。姉小路は超切れ者。

大奥シリーズも大詰めに近づいて参りました。

12代将軍、家慶です。

お父さん家斉が15代将軍の中でダントツの長期政権
待たされて待たされて。

家斉が64歳の時、ようやく将軍の座を譲ってくれた。
でも、自由にはさせてくれません。
それから4年間大御所政治で、そのまま全て家斉が実権を握り
結局、家慶が実質将軍となりえたのは、家斉が死んだとき
家慶すでに49歳
男性の平均寿命が45歳の時です。

そんなこんなで、お父さんの事が大嫌い。

まず、家慶が手掛けたのが、大嫌いなお父さん色の払拭
家斉の側近達を全て罷免します

水野忠邦に全てを任せて、天保(てんぽう)の改革を推し進める。

正室
正室は従来の慣習に戻って、宮家から、楽宮喬子(らくのみやたかこ)
二度流産した後、翌十年に第一子竹千代を出産した。
しかし不幸にも翌年に亡くなる。
翌々年とその次の年、立てつづけに姫君を出産するが、いずれも生後まもなく死亡。

姉小路(あねがこうじ)
楽宮喬子にお付きで京都からやって来た、姉小路
とっても切れ者で、大奥全てを取り仕切る、お局様となる。
器量も良かったようで、家斉は放っておきませんでした。
子供までは出来ませんでしたけどね。

水野忠邦が進めた天保の改革はケチケチ路線
贅沢好きの家斉のもと、ゆるゆるになっちゃった大奥にメスを入れなきゃ

まことに仰せの通りでございます。
さっそく奥向でも無用な費はいたさぬよう申しつけましょう

一番の強敵だと思っていた姉小路があっさりと承諾してくれた。

水野忠邦ほっと胸をなで下ろす。

ところで、水野様は、妾(めかけ)はお持ちでらっしゃるのかしら

まあ、人並みには。

人の自然な欲望でございますわね。
女性もまた男性を欲しまする。
ところが、この大奥にいる女中たちは叶わず、一生御奉公でございます。
なにかうまいものを食べるとか、美しいものを着るとか、
ほかのことでまぎらわす必要があるとお思いになりませんか

はい、おしまい。

一枚も二枚も役者が違います。

水野忠邦、大体において考えが浅く、
天保の改革は中途半端なまま、短期間で失脚してしまいます。

阿部正弘
後を引き継いだ阿部正弘は、難局をよく切り盛りしていきます。
そして、一番の課題だったお美代事件の後始末。
日啓とかを逮捕し、獄中死。
お美代自体は、最後まで粘ります。
家慶を早々に引退させて、加賀百万石の前田家から養子をもらおうと画策します。
逆にその事で、動かぬ証拠を阿部正弘に掴まれ、万事休す

完全に大奥は、姉小路の独壇場となります
姉小路は、さらに、阿部正弘とガッチリタッグを組んで
政治にも口出しするようになっていきます。

側室
家慶は、好色だけはお父さんの家斉の血を継いでいます。
将軍史上二番目の子沢山
7人側室がいて、実に、24人。

ところが、
そのうち、たった3人しか育っていない。

家定(十三代将軍)、慶昌(一橋家に養子)、暉姫(田安家と縁組)

さらに、30歳を越えたのが家定一人で
その家定ですら、よくドラマで出てくるように障がいを抱えている。

もっというと
側室自体、次から次へと死んでいく。

何かがおかしいんだろうか。

一説によると、当時の大奥で一般的だった化粧が毒性が強いとか
お歯黒にも毒性があったとか

世間では、「死にたけりゃ将軍様に嫁ぎぁよい」という歌まで歌われる。

家慶自体も気にするんだけど、好色をやめる訳じゃない。
側室と正式に決めちゃうと死んじゃうので
側室じゃない人に手を出すという、頑張り屋さん

誰でしょうって、なんと、姉小路その人
もうその時は、結構お歳を召していたはずなのですが
熟女もオーケーなんですね
流石です

姉小路は人間的にも、魅力的だったんでしょうね。

お美代とかとは違い、ただ、おねだりばかりではなく
ちゃんとどうあるべしを考えられる人だったようです。

さあ、とうとうあの日がやって来ます。

ペリー来航

えらいこっちゃ
家慶、これからが腕の見せ処。

でも、そもそもが高齢
それから一月もしないうちに死んじゃいました。

何せ、次の将軍は、家定。
となると、ここは姉小路に頑張っていただいて。

誰しもがそう思ったのですが
いともあっさり、引退して出家しちゃいました。

阿部正弘が孤軍奮闘ということになります。

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