[明治維新] 神社が宗教でなかったのはなぜか

明治維新シリーズ

本当は、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)を先にやらないと
いまいち言っている事が分かりづらいかと思いますが
廃仏毀釈というテーマは今日の中でもちょこっと触れつつ、いつかちゃんとやりますね

神社は宗教じゃない
明治維新から戦前まで
神社は宗教ではありませんでした。

そんなバカな

ゆっくり説明しますね

宗教
「明治維新から戦前まで」と言いました
じゃあ、江戸時代以前は?

そもそも「宗教」が無かった。
そういう言葉が無かった。
religion に対する訳語として明治に登場したんです。

言葉はそうかもしれないけど、概念としては、あったでしょうに。

訳語を作り出した人も、同様に考えて、一生懸命考えた
でも、どうにも良く分からない

結局は、明確に宗教であるものをスタートとして考えを始める。

キリスト教です。

日本に来た、宣教師達はキリスト教のみが宗教だと言い張った。

割って入ったのが、島地黙雷(しまじもくらい)を先頭とする浄土真宗の僧たち
我々も宗教です。

主張の根拠はキリスト教に似ているから

その主張は哀しいですね

そこで頑張ったのが、井上円了
東洋大学の創始者です
緻密な宗教分類法をくみ上げた

これによって、仏教は胸を張って、宗教となりました。

儒教は?

これは、江戸時代からもそうでしたが
宗教的要素より、学問的要素の方が大きくなっていました。
いち早く降りました。
我々は、宗教ではありません。学問です。

さあ、神道です。
対応が分かれました。
宗教としての対応を求めるグループ
黒住教とかで、教派神道と呼ばれるようになりました。

圧倒的多数のその他大勢は、何と我々は宗教ではないと言い出したのです。
頂点の伊勢神宮を初めとし、町中のちいさな稲荷の祠に至るまで

折角の機会なのに、良いの?ほんとに良いの?

まあ、本人達が言うわけですから

今からすると違和感ありますが
当時の人たちにしてみると、教義も経典も、組織もないんだから当たり前でしょ
キリスト教なんぞと一緒にしないでよ、くらいの勢い

国教
憲法を作るに当たって、西洋の憲法をいっぱい調べた
ほとんど、国教に関する記述がある

よし、日本も何か書こう

でも、神社は宗教じゃないと言い張っているし
仏教と言うんじゃ、廃仏毀釈は何だったの?ってなるし
思いきって、キリスト教?いくら何でも

結局見送られた。

さらに、明治32年、山県有朋内閣が、宗教法案を帝国議会に提出する。
キリスト教、仏教、教派神道
ところがこの法案も、貴族院で否決されてしまう。

神道への肩入れ
でも、変だと思うでしょう

明治維新になって、祭政一致が掲げられ
神仏分離令で廃仏毀釈がまきおこる
神祇官(じんぎかん)が作られ、神道国教化政策がとられたって
教科書には書いてあった。

結局、廃仏毀釈がそれほど長くは続かなかった答えがここにあるんだと思う。

世論は、宗教という概念そのものを嫌ったのかも知れない。
廃仏毀釈は、「失敗」政策と位置付けられた。

外圧としても本当はキリスト教を国教にさせたい訳だから
とりあえずは曖昧にさせておく方が得策

憲法議論に当たって、伊藤博文が議会で行った演説がある

神道は、宗教として人心を帰向せしむるの力に乏し
我が国に在りて機軸とすべきは独り皇室あるのみ

なるほど感がありますね

ただ、この感覚のまま行くわけでもないんです。
このあと、戦争もありますから

この時の世論を変えていく大きな力が、そのあとかかってくる事になります

[明治維新]シリーズはこちら(少し下げてね)

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