[天皇]30 敏達天皇。役者が揃ってまいりました。

敏達(びだつ)天皇
渟中倉太珠敷尊(ぬなくらのふとたましきのみこと)572~585年

蘇我稲目(そがのいなめ)が死に、息子の馬子(うまこ)が継ぐ予定ではあったが、まだ継いでいない時期
そのタイミングで欽明天皇が崩御します。

欽明天皇の息子たちの内、蘇我氏からはちょっと遠い、
宣化天皇の方の娘、石姫皇女を母に持つ敏達天皇が即位しました。

おそらく即位の礼をしたんですね

蘇我馬子としては
あら失敗、ちょっと遅かった。

しかも、敏達天皇
「仏法(ほとけのみのり)を信(う)けたまはずして、史文(しるしふみ)を愛(この)みたまふ」
要するに、仏教に全然興味がなく、中国の文学や史学に興味があった。

仏教をどう扱うかで、ライバル物部氏と争っている蘇我氏としては大ピンチ

それでも、馬子は大臣(おおおみ)に任ぜられほっと一息

敏達天皇の奥さんが亡くなったので、
よし、ここから巻き返しを図るぞ

魅力的な女性がいるんですけど
はい、この人

知ってますよ。妹でしょ。

馬子の妹と欽明天皇との間に産まれた、額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)
敏達天皇からすると、妹です。
妹を後妻にどうかって、今の感覚からするととても違和感ありますが
当時は異母兄弟なら結婚OK

馬子は、天皇の親戚になれます。
後の藤原氏の作戦と一緒ですね。

この額田部皇女、後の推古天皇です。
さあ、役者が揃ってまいりました。

仏教
推古天皇が奥さんになったところで
敏達天皇が仏教に興味を持ち出すって訳ではありません。

新羅(しらぎ)から仏像が贈られてきた。
さらに、百済(くだら)からも、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の仏像

ほら、弥勒菩薩よ。素敵ねえ。

そうかなあ。

あっそうそう、蘇我馬子が仏教好きだったよね
彼に預ければ、失礼無いよううまいことやってくれるだろう。

馬子は三人の尼に命じて、丁重に祀らせた
この三人が日本で初めてのお坊さん
日本初のお坊さんって、全員女性だったのね

ところが、その途端に、天然痘が蔓延。
物部守屋が
ほらみろ、言ったでしょ。

この前の欽明天皇の時にも全く同じことがありました。

重なる不運。
仏像や仏殿は焼き払われてしまいました。

仲良くすれば、強力な右腕左腕
助さん格さんなのに
どんどん仲が悪くなっていきます。

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です