大嘗宮に行ってきました。の続き

大嘗宮に行ってきました
の続きです。

天守台

ああ、嬉しい
前回来たときは、大嘗宮建設中の影響で、ここまで入れませんでしたからね

この天守台は、2代秀忠の元和天守と、3代家光の寛永天守の土台です。
天守に関しては、こちらを見てね

この石垣は、究極の完成形だと言えます。
なぜかと言うと、江戸城内で一番最後に作られた石垣だからです。

明暦3(1657)年、江戸中を焼き尽くす明暦の大火
火薬を貯蔵していた江戸城の天守が吹っ飛びます。

土台の石垣も作り直しが必要でした。

命じられたのが100万石の加賀藩
以前、大阪城の普請でミスをし、おこられた
100万石としてのプライドがズタズタなので
石垣に関するスペシャリストを全国からヘッドハンティング
石垣に関しては断トツの技術で追随するものなし

よっしゃ、やったぁ
名誉挽回のまたとないチャンス
この日をどれだけ待ち望んでいたろう。

採算度外視で全勢力を注ぎ込む
素材からして違う。
素材へのこだわり、ってやつですね

白いでしょ

他の場所の石垣は黒い伊豆の石
ここの石は、小豆島の花崗岩
今まで角の算木積みにしか使ってこなかった高級品を遠路はるばる運んで来た

積み方も切込接ぎの布積みできっちりぴったり

角の算木積みも完璧です。

どうだっ。あとの天守は頼んだぞ

ところが、保科正之が平和な時代に天守なんて無用の長物
そんな金があったら、大火の復興の町作りに回すべし。

とっても正しいご意見、その通り
なんだけど、せっかく全勢力をつぎ込んだ天守台はこのままなの?

大丈夫。令和になってもその勇姿
みんなが行列作って見に来てますよ

北桔橋門(きたはねばしもん)

横から見るとこんな感じ

有事の際には勝鬨橋(かちどきばし)みたいな感じで、上にはね上がっちゃって通れなくなります。
この滑車でカラカラカラ

ここの見所は石垣の高さ

江戸城は崖の途中に建っていて、西側の天守や本丸があるところは崖の上
大手門とか坂下門は崖の下
高い側のお堀と石垣はこんなすごいことになっちゃうんですね
ああ、弓勾配が美しい

ここも、刻印石の宝庫
写真じゃ分かりにくいけど

平川門
崖を下る急坂、梅林坂を下ると、平川門

ここは見所満載です。

普通の銃眼はこんな感じ

ばればれです。
ところがここの銃眼は石をくり貫いている

どうにも分かりません

この門、御三家や大奥の女中達が出入り
かの春日局が門限に遅れたとき
いくら春日局様とて、入れるわけには行きません。
それが私の仕事でございます。
と門番
結局朝まで入れなかった。

さぞやおとがめと思いきや
その心意気天晴れと、たんとご褒美をいただけた。

不浄門とも言われていて、
死者や罪人はここから出る

有名な人で言うと、浅野内匠頭と江島生島事件の江島

実は、この大きな門の横に小さな門があります。
罪人は大きな門から出ることすら許されず、こちらの門から

この小さな門を出ると、帯曲輪(おびくるわ)と呼ばれているお堀とお堀の間の細長い道に出ます。

一人でとぼとぼと向こうの端まで歩いていく必要があります。

向こうの端には、下に降りる階段があり、下に船が待っています。
その船でずっと向こうまで送られます。
何だか可哀想

ここには、各門にあった擬宝珠(ぎぼし)が集められています

慶長19年製と寛永元年製があります

二の丸庭園

池の中の鯉をおばさまたちが覗き込んでいます。
ねえねえ、この鯉、尾っぽが長くて綺麗わよ

これは黙っちゃおれません。横から口出し。

これはですね
今の上皇様が開発されたんです。
動物学者でもありますからね
インドネシアのヒレの長い魚と掛け合わせた、ヒレナガニシキゴイです。

ええええっ
上皇様がぁ?

どんどん人が集まってきて、パチパチ写真撮影
ほらほら、これなんか綺麗に撮れたでしょ
カレンダーに出来るわね

真ん中にある大けやき
そのまわりにベンチ
この辺で、お弁当って感じかな

大手門
江戸城の正門になります。
入ってきて正面にある大きな石が鏡石
ピカーっと光って、敵を追い返します。

おでかけマップ

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