[徳川将軍の演出力] 将軍の御成の意味するところ

「徳川将軍の演出力」から

御成(おなり)
御成(おなり)とは、将軍が大名のところに出向いていくこと
大騒動になります

初代家康は、3回の御成
浅野幸長(よしなが)、池田輝政、結城秀康の3人
息子や親戚
豊臣方との間をどうしていくかという戦略的な行動

2代秀忠に移ります
まだ戦国時代を引きずっていますが
大なたをふるいつつ徳川の基盤を固めていきます。
大なたは改易(かいえき)。藩の取り潰しです。
あっちで改易、こっちで改易という報せを聞く度に恐怖に陥れられます。
ほとんどがいわゆる「いちゃもん」
関が原で西軍についた外様大名たちは気が気ではありません
もうひとつ改易で目立つのは、兄弟親戚の類い
これは、徳川の基盤というより、秀忠の基盤
ライバルとなりそうなのは、いちゃもんをつけて潰したい

謀反を起こす気なんてさらさらございませんと態度で示す必要がある
戦国時代なら、武士たるもの、いくさで功をあげることがアピールだったけど
「機嫌を取る」事しか思いつかない

何とか江戸に行ってお目通りさせてもらって、というお願いが殺到
それが参勤交代という制度になります。
幕府が大名に参勤交代させて金を使わせて、みたいなイジメの図式で説明されるけど、とんでもない
参勤交代は大名たちの死活問題の切なる願い

そこに、幕府が土地を貸してやって武家屋敷を作って良いよ。
一年交代で住んでも良いよと、とっても親切

江戸に来させてもらったら、今度は大名同士の競争が始まります。
御成の誘致合戦

どうか私どもの屋敷に来ていただけますよう
心を込めて精一杯のおもてなしをさせていただきます。

御成門という将軍のためだけの門を金ぴかに作ってアピール
御成門の建設ラッシュになります。

越前福井藩の御成門の模型

将軍秀忠としても、徳川の基盤を固めるため
御成で大名たちがひれ伏す様を世間に知らしめたい
特に、大規模外様を中心に御成していきます。

例えば、御成誘致に成功した加賀藩百万石で言えば
屋敷は今の東大の駒場の場所なんだけど
大々的に庭園を作り、その中の池が三四郎池

大行列の御成に、全員分の超豪華な食事
加賀藩本郷では何と7000人分用意した。

その時に使った食器は、一回使っただけで全て廃棄
使い回しにはしませんよというアピール
本郷で発掘調査をすると大量の食器が出るわ出るわ。

3代将軍家光の時代になると
基盤確立も進み、今日明日改易させられるんじゃないかという緊迫感も薄らいでいく
政治的な意味合いより、趣味的な意味合いの御成が増えていく
気の合う大名のところに足しげく通うようになる
神楽坂の酒井忠勝のところには100回以上通います。

5代綱吉も御成好き
明暦の大火の後だから、大名屋敷も金ぴかの御成門を作り直すほどの余裕がない
企画力で勝負

尾張藩
ライバルの紀州藩がなかなかの庭園を作った(今の赤坂御所の場所)ので負けてられない
戸山荘という今の新宿区の場所に広大な屋敷
その中に、箱根山を作っちゃった
今も東京23区内で一番高い山です。
そして、小田原宿とそっくりな宿場町まで作っちゃった
普段は建物があるだけだけど、御成の時は、のれんをかけ、色んなお店に早変わり

お団子いかがですかぁ

滝があるんだけど、板をはめてわざとちょろちょろしか水を流さない
近づいてきたタイミングで板を外してドバッ

はめおったな
ひっかかったわい
愉快愉快

日本人のおもてなしって良いですね
金がないならないで、わびさびとか、企画とかで何とかする

8代吉宗は、御成より、鷹狩りが大好き
郊外で鷹狩りして、帰りに寄るくらい

11代家斉も遊び好き
出掛けるのが好きなので、大々的に御成って言っちゃうと、相手の負担が大き過ぎる
御成と言わず、通り抜け
散財ばかりしたイメージだけど、それなりに配慮してるのね

[江戸の文化]シリーズはこちら(少し下げてね)

[徳川将軍の演出力] 将軍の御成の意味するところ」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 戸山荘の箱根山と、山吹伝説の続き | でーこんのあちこちコラム

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です