[天皇]40-2 古事記と日本書紀は、なぜふたつなのか

天皇シリーズ、天武天皇の番外編です。

「記紀」はいかにして成立したか
という本を読みました。

古代の歴史を考えるにおいて欠かせない、古事記と日本書紀
このふたつは、天皇に言われて作成された公の歴史書
当然自分に都合の悪いことを書く訳ありませんので
かなり片寄っていることは否めません。

ところがほぼ独占状態でこのふたつに頼る以外に、古代を知る術がほぼ無い

歴史書って、勝ち側は負け側の持つ歴史書をことごとく焼いてしまうから
言い伝えの形でしか残す手段がない訳です。

そんな限定的資料の中で、真理を追い求めている古代の歴史学者は偉いなあといつも思います。

野次馬的な私が常々思っているのが

1.天皇がこのふたつを作らせた意図
2.なぜ「古事記」「日本書紀」のふたつなのか

です。
意図の方は、ひとつじゃないでしょうし
何度か触れていくとして
なぜふたつなのかは、考えれば考えるほど、おかしい
天武天皇が指示してから始まり、長い期間を経て、完成時期は8年のずれがあります。

「古事記」を作れ
「日本書紀」を作れ

はい?
畏れながら申し上げます
ひとつで良くないですか

ずっと持っていたこの疑問
今天皇シリーズやっていて、例えば衣通姫(そとおりひめ)
古事記ではこう、日本書紀ではこう
矛盾はするのですが云々かんぬん、というのを見る度に
どんどん疑問が膨らんでいきます。

ということで、この本を読みました
学術的なひどく難しい本だったので、四苦八苦なんですが
何とか私の理解した範囲というフィルターをかけつつ説明していきますね

結論
とはいえ、順序立てて説明していく自信がありません
理論的根拠を書き出すと膨大すぎるので、なぜそう結論づけたかは後回しにし
先にこの本が言っている結論を言っちゃいましょう

日本書紀と古事記は役割分担された二つの本で、引っくるめてひとつ
■日本書紀
 祭祀的なこと
 天と地で言うと「天」
 天孫降臨以来の、神の系譜を誰が引き継いでいったかを示すもの
 狭義の「天皇」を誰がいつからいつまで引き継いでいったか
 宗教的には神道

■古事記
 政治的なこと
 天と地で言うと「地」
 誰が実際の政治を行ったか
 「皇太子」を誰が行ったか
 宗教的には仏教

なかなか衝撃的な説でしょ

そもそも、まつりごと、は「祭り事」から発生しての「政」(まつりごと)なので
特に古代においては、祭り事のウェイトがとても大きい

ほとんどは、同じ「天皇」が担当するんだけど
時に、別々の人が担当することがある
その時は、政治だけを担当する人を「皇太子」と表現する

このあと「皇太子」は次期天皇という意味に変わっていくけど
少なくとも古事記日本書紀を編纂したころまでは
皇太子と言えば、両方の役割を兼ねない場合の政治の方を行う人

一番典型的なのは推古天皇と聖徳太子
推古天皇が日本書紀の天の方で、
聖徳太子は古事記の地の方

今まで、一般的には、聖徳太子は皇太子として次期天皇という位置付けのうちに政治を行っていて
次に天皇になるつもりだったけど、推古天皇より先に亡くなっちゃったから天皇になれず可哀想、と説明されてきた。

この本の説だとそうじゃない
役割分担して、政治の最高権力者の「皇太子」になったから可哀想でも何でもない。

全てがこの考え方で説明できるとは思わないが
こう考えるとなるほど説明がつくというのがいくつかある

中大兄皇子(天智天皇)は政敵をどんどん殺しちゃうけど
そんなにやりたがりなんだったら、何度も天皇になる機会を自ら回避しているのはおかしすぎる
殺人の実行犯になっちゃったから反対されたというのは分かるけど
お母さんの斉明天皇が亡くなった後にまで、天皇にならないというのは不思議すぎる。

中大兄皇子は政治のトップ、皇太子に魅力を感じ、ややこしそうな祭り事の方は何とか人に押し付けたかった。
ライバルを殺したのは皇太子のライバルであって、天皇のライバルではない。
お母さんの皇極天皇(斉明天皇)には、祭り事をやってもらえた
皇極天皇が譲位して両方の役割を中大兄皇子にやらせようとしたら

ムリムリ、絶対やめて

仕方ないので弟に譲位

ところが弟、孝徳天皇は、神道が嫌いで仏教が好きだった事もあり
勘違い(?)して政治をやろうとした。

こらこら、そっちは皇太子の私の役割
仲がどんどん悪くなっていった訳です。

最終的に押し付けられる人がいなくなり、それでも数年「祭り事」の方は放っておいたんだけど
受けざるを得なくなった。

持統天皇と草壁皇子も最初はこの関係
持統天皇のところでもう一回話しますね

各天皇の即位次期が古事記と日本書紀でずれがある場合も説明できるし
古代に女帝が多い理由も分かる

女性は卑弥呼の昔から、神様と気持ちが通じやすいですから。
そのあと、二つの役割が天皇に集約していっても
祭祀の専門家として斎宮(さいぐう)という神に仕える者として
天皇の娘が長く勤めることになります。

そもそも神様のトップはアマテラスオオミカミで女性です。
これは、持統天皇が自分を神様の生まれ変わりとイメージさせるよう、
女性として創作したんじゃないかと思っていますが。

古事記と日本書紀は、最初からそういう役割分担ではなかったようです。
元々は、帝紀(祭祀中心)と旧辞(政治中心)という二つの元ネタを見ながらお互いに進めていった。

古事記は最初は祭祀寄りの両方の役割を持ちつつ始まり
途中から、政治寄りに変わっていった

日本書紀は最初、政治寄りの日本紀という本だったが
途中から、祭祀寄りに変わっていき、日本書紀と名前を変えました。

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

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