[てんてん] 昔、日本語に濁音はあったのか

[てんてん]日本の文字の始まり
の続きです

万葉仮名
日本には発音される言葉はあったが、書き表す文字はなかった
中国では漢字という文字があった

うらやましいわぁ

って事で、例えば「し」と発音するところには
「之」とか「思」を当てて書き表した。
「じ」だと「自」とか「士」

ここまで前回話しましたね
「し」と「じ」は最初違う形の文字だった
となると、仮名ができるとき47文字ではなく、濁音半濁音も含んだもっと多くの仮名になった筈

どこかで、しとじは、ほぼ一緒でちょっと違うだけと、誰かが気づいたことになります。

この謎を解き明かしていく訳ですが
まず大前提の話から行きましょう

さっき「じ」だと「自」とか「士」で表したと書きました。
当時日本語に「じ」即ち濁音があった前提で話しています。
そこから疑ってみましょう

昔、日本語に濁音はあったのか
前回「ん」シリーズをやったとき、昔の日本語には「ん」という発音自体なかったという話をしました
アマテラスオオミカミ オオクニヌシノミコト

ひょっとして、濁音もなかったんじゃないの?

結論
濁音を含む日本語はありました。

何だよ、ビックリさせてからに

でも、微妙な表現をしました
どういうことでしょう。

1.濁音で始まる言葉はなかった
2.二音目以降に濁音の入る言葉はあった

今いくらでもある、濁音で始まる言葉は中国から入ってきた言葉なんです。
ヒントが見えてきました。

もっと前は濁音を含む言葉自体が無かったんじゃないか疑惑です。

万葉仮名さえない時代にどういう言葉だったのかは
分かるすべは皆無なのですが
江戸時代の本居宣長(もとおりのりなが)大先生が推測しています。

連濁の存在です。
言葉が続くときは、二つ目の言葉が濁っちゃう事がある
月は望月になると「づ」になるし
川は谷川になると「が」になる
2音目以降が濁る言葉は、元々は二つの言葉がくっついて連濁になったから濁るんじゃないか
叔父、叔母は大父(おおちち)、大母(おおはは)が語源だし
窓は間戸(ま・と)、袖は衣手(そ・て)、筆は文手(ふみ・て)が語源

全てがこれで説明できる訳ではないが
大きなヒントにはなる

重要なのは望月を「もちつき」と読んでも間違いじゃないし
谷川を「たにかわ」と読んでも良い

連濁は、人により、地域により、時代により
付いたり付かなかったりということ
何だか読むとき自然に濁っちゃったなあ、という読むとき事情による

文字としてはもちつき、や、たにかわ、と書いておいて
好きなように読んでね、ということなら
文字は清音の方だけ作っておいても良いのかも知れない

必要性が低いということです

ただ、筆をみてすぐに文手と想像する人はまれで、語源がどうあれ「ふで」は誰が読んでも「ふで」
言葉を繋げた望月のような言葉でなければ説明はしづらい
言えるのは、つとづは似てるよな、とはなるわけです。

次にもっと積極的に濁りを嫌う場面があったんじゃないかと言うことです。

和歌が典型的な例です。

百人一首には今でも、濁点はひとつもついていません
たれをかも 知る人にせむ 高砂の

たれをかも と書いて、だれをかもと読んでね、というお約束
以下のように下の句の札には一切濁点が付いていません

なぜ和歌には濁点を付けちゃいけないのかというあたりから、次回お話ししましょう

[文字]シリーズはこちら(少し下げてね)

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