[神社]伊勢。式年遷宮でプレゼント

[神社]伊勢。ここが良いわ。
[神社]伊勢。斎宮の悲恋物語
の続きです。

式年遷宮
伊勢神宮と言えば、式年遷宮
20年に一度、全く建て替えちゃう

直近で言うと、平成25(2013)年

式年遷宮は伊勢神宮の専売特許のように思われていますが
出雲大社、上賀茂神社、住吉大社、香取神宮、鹿島神宮など
主だった神社では20年に一度、式年遷宮が行われてきた。

但し、場所まで移して全く建て替えると言うものではなく
屋根の修繕だったりと
マンションで言うならば、大規模修繕の意味合い。

なぜ伊勢神宮は?という疑問がわきます。

ひとつには老朽化
少なくとも茅葺き屋根は、20年に一度作り替える必要がある

式年遷宮の時に、解体まで立ち会った人は
躯体もボロボロだったと振り返っている

ただ、考え方としては逆な気がする
20年に一度全く作り替えるから、それ以上もたなくても良いやと言う建て方をしているんじゃないかと。

現に伊勢神宮以外のあらゆる神社は、もっともっと長く持っている

伊勢神宮たるもの、神社の代表であるため
最も神社としての基本的あり方を具現化したんじゃないか。

死と再生です。
太陽神としての天照大御神なので、日の出日の入りを繰り返す。
海外の宗教を見ても、キリストが復活したように
死んだあとに甦るというのは特別の意味を持っている。

秋に収穫して、春にまた芽ぶくという、稲作の繰り返し。
神社はもともと、稲の収穫を神に感謝することに始まる

春に山から、神様に降りてきてもらう儀式
稲作を見守ってもらい
収穫を感謝して、山に戻ってもらう儀式

儀式のためだけの施設として始まったから、常設ではなく
作っては壊す繰り返し。

その元あった形を象徴的に残したのではないかと。

式年遷宮の歴史
式年遷宮はいつから行われているのか

一般的には、天武天皇14年に式年遷宮が制度化され
持統天皇の4年に内宮が、同6年に外宮が遷宮と言われている

であれば、日本書紀に書かれていても良さそうなもんだが
一切その記述がない。

ずっとあとの伊勢神宮の記録、太神宮諸雑事記に初めてその記述が出てくる
結局、よく分からない

昔は火災も多かったと思うので、もっと早い時期に建て直さざるを得ず
きっちり時期通りがむつかしいこともあったろう

もし、天武天皇や持統天皇の時期から式年遷宮が行われたと仮定すると
唯一、持統天皇が伊勢神宮にお参りしたということと関係しているのではないか

壬申の乱です

壬申の乱に向かう前に伊勢神宮に参拝し、勝利を祈願
見事に勝利

古事記と日本書紀を編纂し、自分を天照大御神に見立てていた持統天皇
伊勢神宮には特別の思いもあります。

ありがとうございます。伊勢神宮
お礼に、ピカピカの真新しい建物を差し上げます。
今回だけではありません。
今後20年に一度ずつ、プレゼントしますからね

式年遷宮の理由は、案外そういうところにあるのかも知れません。

興味深いのは
ほぼ定期的になったあと、室町時代に入る14世紀半ばまで
20年に一度ではなく、19年に一度だった
内宮の遷宮のあと、2年後に外宮の遷宮が実施されている

応仁元(1467)年、応仁の乱が起きる

応仁の乱の5年前に第40回の内宮遷宮が行われたが
次の第41回はというと
123年後の、天正13(1585)年になってしまう。
外宮は、実に129年も間が空いた

元々20年前提で立てられていた訳だから、
相当に老朽化する

内宮第40回遷宮の30年後、伊勢神宮側から上申書が出されている

本格的な遷宮が無理なら、仮の遷宮でもやってもらえませんか。

でも、これも却下

とうとう、第41回の遷宮まで85年もの間
内宮は消失して、存在しなかった。

外宮の方が消失していたかの記録は残っていないのだけど
普通に考えると同じなんでしょうね

あの伊勢神宮が、世の中に存在していなかった時期があったとは
とても驚き

[神社]シリーズはこちら(少し下げてね)

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