[天皇]60 醍醐天皇。貴族にとって、たたりとは。

天皇シリーズ。
大事件が起きますよ
さらに次の天皇でも大事件が起きるんですけどね。

醍醐天皇
897~930年

宇多天皇は、菅原道真と藤原時平を競わせながらうまくバランスを取っていた。
そのまま続けていれば全く問題なかったのに、譲位しちゃった。

くれぐれも、菅原道真を重用するようにと申し送り
でも、醍醐天皇、13歳

教えの通り、摂政関白を置かずに、始めました
宇多上皇は、直接政治には関与できないけど、近しい人を通じて遠隔操作
宇多上皇のお母さん、即ち醍醐天皇のおばあちゃん、班子(はんし)女王も頑張った
時平の妹、穏子(おんし)を醍醐天皇の奥さんに迎えることを拒否
それさえ拒否すれば、時平は、醍醐天皇の身内にはならない。

でも、班子ばあちゃんが亡くなった

子供だけじゃ、無理でしょ。
大人相手に、バランスとるなんて難しいの

そんな時、菅原道真の娘が、醍醐天皇の弟、斉世(ときよ)親王のところに嫁に入った
ああ、いらんことしちゃった。

時平としては、菅原道真を追い落とすための絶好の材料が手に入った

醍醐天皇に耳打ち

菅原道真が斉世親王を立てて、醍醐天皇を追い落とそうとしていますよ

醍醐天皇としては
裏切られた!

太宰府に左遷

びっくりした宇多上皇は、撤回を求めるべく急いで駆け付けたが
門を開けてもらえず、門の前で一夜を過ごす。

醍醐天皇は、時平の妹、穏子を入内(じゅだい)即ち、奥さんとして迎えることになります。
時平いよいよ万全の体制。
穏子はすぐに、保明(やすあきら)親王を産み、2歳にしてすでに皇太子になります。

一方の菅原道真は、失意のままに、二年後に太宰府で亡くなります。
二人の戦いは、時平圧勝の結果。

菅原道真の逆襲
ところが、不思議です。
菅原道真は亡くなったあとに逆襲を始めます。

亡くなったあととは一体全体どういう事でしょう。
当然、菅原道真にそのような意思があろうはずがない

たたり
この摩訶不思議な価値観

菅原道真が亡くなって6年後
時平が、39歳の若さで原因不明の病死

20年後、皇太子だった保明親王が死去
その後、3歳で皇太子になった、慶頼王(時平の娘の子)もその2年後に死去

決定的になったのが
清涼殿落雷事件

それまで晴れていたのに
時平派の幹部たちが、清涼殿で会議を始めるや
急に黒い雲が立ち込める

ガラガラビッシャーン
清涼殿に雷が落ち、幹部達は真っ黒焦げになって即死

これをたたりと言わずして何と言おう

醍醐天皇としては、当然、直接左遷を言い渡した自分の番
病に苦しめられます。
おそらく今でいうノイローゼ

対策として、菅原道真を天神という神様として扱い
何とか許してもらおうという経緯はこちら
[神社] 菅原道真が天神様と言われる訳

菅原道真が亡くなって、27年後、とうとうその命が途切れます。
前日に、朱雀天皇に譲位してから。

貴族にとって、たたりとは
この清涼殿落雷事件は、貴族が崩壊し、武士の世に取って変わられる原因だとも言える

次の朱雀天皇の時から、例外なく藤原氏による摂政関白がおかれるようになり
貴族全盛の世が始まるように見えます。

でも、その一方で、貴族の崩壊が決定的になっていたのです。

大和政権が統一国家を気づいていったのは、色んな地域に自然発生的に現れた郷族達を
武力で征服していった歴史でした。

その中心に据えられたのが天皇家だった

その天皇家に穢れ(けがれ)という考え方が生まれる。
血や死は穢れであり
そこから、遠ざかる

ある意味、自己矛盾だった。
敵を殺しながら力を持っていったのだから。

天智天皇が、最高実力者でありながら
とても長い間、天皇になれなかったのは
蘇我入鹿を実行犯として自分で殺してしまったから。

その後、度々醜い政争が兄弟間で行われたりしますが
そこで、付け加わっていくのが「たたり」という概念

相手を自分の欲のために、追い落としておきながら
良心の呵責から
不吉な事が起きる度に、たたりなんじゃないかと。

天皇家や貴族たちにそういう出来事が起きる度
「たたり」を信じる度合いが強くなり
ついに、清涼殿落雷事件でたたりを100%信じるに至った。
貴族の間で穢れやたたりは最重要テーマとなった

穢れやたたりを信じる人たちを貴族と言い換えても良いかも知れない

するとどうなるかというと、
自分の欲のために、政敵を追い落とす事を画策するくせに
自分では「手を下さない」事でたたりや穢れから逃れようとする

分かりやすく言うと、殺し屋を雇う
私は知りません、と自分の気持ちの中での整理を付けようとする

それを引き受けてくれる人を武士として囲っていき
味方になってくれる武士をどれだけ抱えられるかが力になっていく。

そして、朝廷が武力を放棄するのがこの頃です。
地方を組織づくり、税金を取り立てる仕組みを作るのに
払わない人から強制的に取り立てるための武力を放棄してしまう。
そこを、言わばアウトサイダーな武士たちにやらせる

制度としての朝廷の崩壊です。

武士たちがあることに気づいたら終わりです。

あれ?
我々、貴族のためにやって来たけど
自分達のためにやってもいいんじゃないの?

そして、新しい時代の始まりを象徴する大事件が
次の朱雀天皇の時に起きるのです。

平将門と藤原純友です。
続きは、次の朱雀天皇の時

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

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