番町を巡る

9/22(火・祝)4連休4日目の事です。

皇居の西隣、番町に参りましょう。

番町
番町は、江戸時代、旗本が住んだ町です。

高野長英 大観堂學塾跡

高野長英はシーボルトの弟子
とても優秀だったので、シーボルトの鳴滝塾では、塾頭を務めています。

シーボルト事件のあと、江戸で、蘭学塾兼町医者を行っていたのがここです。

その後、幕府を批判したとして捕らえられ、脱獄しています。

平河天満宮

元々は、太田道灌の時、江戸城の中にあった神社
秀忠のときに、ここにお引っ越し

というくらいなので
菅原道真以外に、徳川家康まで祀ってあります。

すごいですね。この銅鳥居。
石の鳥居にぐるっと銅板が貼ってあります。

この穴、東京大空襲の時に開いた穴なんですって

天神様なので、牛がいるわけですが

ここはすごい。5匹もいます。

私が大好きな布袋さんもいましたよ

狛犬って本当は、一方が獅子で一方が犬っていうのが正式。
でもほとんどの場合、両方ほぼ同じ格好をしています。
ここは珍しく、明確に分かる
獅子(向かって右)

犬(向かって左)

山田浅右衛門屋敷跡
代々首斬り浅右衛門

江戸時代は5代将軍綱吉が、武士といえども人を斬ってはいけませんという
生類憐れみの令を出してから
誰も人を切っていません。
正確に言うと、斬っちゃった人は必ず自分も死刑。
切り捨て御免というのは、それより前の話だし
浅野内匠頭も、四十七士もだから切腹なんです。

そんな中で唯一人を斬って良いのが、首斬り浅右衛門
罪人の死刑執行人です。
代々、浅右衛門以外には、御様御用(おためしごよう)というこの役職にはつけません。

武士のアイデンティティは帯刀なので
長らく人を斬っていないこの刀は本当は斬れるんだろうか

とても気になるので、
浅右衛門に刀を預け、鑑定を依頼します。

スパッと行けましたよ。良い刀ですねえ

残念!首半分のところで止まっちゃいました、

そのうち、試し切りせずとも刀の良し悪しが分かるようになり
世の中で唯一の実績に基づく刀鑑定士として名をはせます。

この辺の筈なんだけどなあ
残念ながら案内板がない
GoogleMap にあげられた写真から特定
ここっ

スパッ

助惣
お好み焼きの源流、麩の焼きの助惣があったのがこの辺り

今夜はお好み焼きよ。ワーイワーイ
お子達も大喜び

さあ
番町巡りと行きましょう。

佐野善左衛門宅跡

これは思わぬ収穫。ここに、こんな場所があるとは思いませなんだ。
ウォーキングの醍醐味
佐野善左衛門政言は、江戸城中之間で、
老中田沼意次(おきつぐ)の子で若年寄の田沼意知(おきとも)に斬りつけた。
スパッ
田沼意知は傷がもとで死去
佐野政言も翌日切腹を命じられ、御家断絶

ところが、不思議なことに、庶民から佐野善左衛門が
世直し大明神と崇められるのです。
よっぽど田沼意知は嫌われてたのね

滝廉太郎住居跡
GoogleMap にさえ載っていません。超ラッキー


♪春~高~楼の 花~の宴~

滝ちゃんです。
うちのカミさんは学生の頃、みんなに滝ちゃんと呼ばれていました。

和学講談所跡
塙保己一(はなわ ほきいち)です。
ここで、本の百科事典を作りました。

印刷技術が発達していない江戸時代。
それまでは、時代と共に朽ちていく本を残そうとすると、人が書き写すしかありませんでした。
それを憂えた塙保己一は、昔の本など、できるだけ多くの本を集め
木版を作って、本を再生産できる仕組みを作った。
先程、本の百科事典と言ったのは、この意味です。
塙保己一がいなければ、消滅し、我々が目にすることができなかった本がいかに多くあるか。

以前、ここまでは来ました。ここから東を歩きましたので、
今日はここから西を歩くことにします。

神道無念流 練兵館跡
もう靖国神社は目と鼻の先です。
前回、靖国神社に来たときは、コロナの関係で、一部の門が閉まっており
靖国神社の敷地内にあるはずの、神道無念流 練兵館跡を確認出来なかったんです。

あれ?ひょっとして、門が開いてるんじゃない?
行けっ


おおっ。来れたよ
三大剣術道場のうちのひとつです。
そうか
木戸孝允だけかと思っていたら、高杉晋作や、品川弥二郎もいたのか。伊藤博文まで。
勉強になります。

この戸が閉まっていたのよね

二七山不動院
不動院というくらいですから、不動明王を祀ったお寺さん

ところが不思議なものがあるんです。

織部灯篭(あやべとうろう)
さらにこの上に灯篭の火の入る部分が乗っかっていたんだと思います。
こんな感じ

下の方の人の形に見えるのは何だと思います?

実はマリア様
織部灯篭はキリシタン灯篭とも言われ、真ん中がぽこっと膨らんでいるので、十字架のようにも見える。
隠れキリシタンの間で、作られた灯篭です。
「織部灯篭はキリシタン灯篭とも言われ」と言っている時点でもうバレちゃっている気がしますが。

東郷記念公園
東郷元帥が35歳から88歳で亡くなるまでここに住んでいました。

こういう〇〇記念公園、って
ご本人がおられたことが何回かあります。

あっ
いたーーっ


どうしたんですか
髪の毛、ボサボサです。

まだ続きますが、続きは明日ね

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

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