番町を巡って四谷へ

番町を巡る
の続きです。

番町は江戸時代は旗本の住む町で、明治になると貴族や高級官僚
皇居にすぐ近くの閑静な住宅街です。
車に詳しくない私でも、通る車が高級車ばっかりだって良く分かります

番町地域ってその中の町名がとても分かりやすいのね
順番に、一番町二番町三番町。おそらく六番町まで。

番町文人通り
特にすごいのが番町文人通り
滝廉太郎の住居跡は言いましたが
その角から始まって、著名な芸術家達がいるわいるわ
◆与謝野鉄幹・晶子旧居跡

千代田区って案内板がとてもお洒落なのよね
23区それぞれ特色があって、面白いです。

◆有島武郎、生馬、里見弴旧居跡

◆泉鏡花旧居跡・終焉の地

ちょっと、番町小学校を挟みまして

何のために、番町小学校を挟んだかと言いますと
小学校の初めて物語だから
明治になって最初にできた小学校が6つくらいあるんですが、そのうちの第二校です。

戻りまして文人通り
おっと、こんな風にまとめてくれていました。

すごいわあ

心法寺
最初は外堀内にもいっぱいお寺があったのですが、度重なる江戸の大火で
累焼防止のため、寺院はどんどん外側に移転させられて行きます。
唯一移転させられなかったのが、この心法寺なのです

何故なら、家康自らが金を出して作った寺だからです。
元々三河にあった寺を持ってきた。

そりゃ、移転なんてさせられません。

下野(しもつけ)皆川藩松平家代々の墓

塩地蔵

光る光るすべては光る

番町エリアから四谷エリアに移って参ります。

四谷見附跡


三十六見附のうちのひとつ
外堀に作られた門で、昔はここまで全部が江戸城
こんなふうになっていました

この写真の左の角が、この残っている石垣になります。
図式化すると、こういう枡型(ますがた)門

切り込み接ぎの良い石垣だなあ

たい焼きわかば
東京三大たい焼き。人形町の「柳屋」、麻布十番の「浪花家総本店」、四谷の「わかば」

ここがあるため、お昼は吉野家の牛丼を並にしておきました。

本来、あんこは苦手なんですが、三大たい焼きとなると食べない訳には行きますまい。
たい焼きひとつと、ラムネを下さい


ラムネはちゃんとガラスビンにビー玉でした。
尻尾まであんこパンパン
きっつぅ

西念寺

ここ、来たかったんですよね

服部半蔵の墓があります。

でも、それが来たかった理由ではない。

徳川家康の正妻は築山殿
人質時代の奥さん
ちょっと変な人
正直、家康も悪いんだけど、どんどん変な方向に行って
とうとう、長年の敵、武田家に近付き、家康に対して謀反を起こそうとする

でもそれが、こともあろうに、盟友関係にあった織田信長の耳に入る

織田信長から、徳川家康に命令が下る。

築山殿と息子の信康を殺せ

築山殿はまあ自分が仕掛けた事だから仕方ないとして
信康は完全にとばっちり

自分の子供を殺せる親がどこにいようか
でも、信長には逆らえなかった。

深く信頼する服部半蔵に命が下った。

私がですか

そんなことが出来よう筈がない
家康のつらい気持ちも良く分かる

刀を振り下ろせなかった。
初めて、家康の命に背いた。

生涯その事を思いながらの人生。

寺を建て、信康の供養塔を建てた

私にできることは、これぐらいだから

愛染院

とてもきれいなお寺

ここに、あの塙保己一(はなわほきいち)の墓があります。
ちょっと前の、和学講談所で、本の百科事典を作った話はしましたね
塙保己一のお陰で、昔の本を我々が読むことができる。

本にとてもお世話になったから、恩返し
分かります。
でも
本人は本が読めないんですよ
7歳の時から盲目ですから

お岩稲荷
東海道四谷怪談
ヒュードロドロ

鶴屋南北の歌舞伎、大ヒット作です。

実はその前から、お岩さんは、超人気もの
田宮家は、働き者のお岩さんのお陰で復興

お岩さんが深く信仰していた稲荷は、いつしかお岩稲荷と呼ばれるようになり
お参りに来る人が絶えなかった

鶴屋南北は、そんな人気者の名前だけをちょうだいし
全然関係無い怪談話として発表した。
大ヒットしたので、お岩さんと言えば幽霊のイメージですが
お岩稲荷はその前からの人気の神社



お参りのところに、
鰐口を静かに叩き、手はパンパン打たずに静かに手を合わせてください、とある
面白いこと書くなあ
すごくお洒落な寺務所

次に向かおうとして
えっ


また、お岩稲荷

どういうこと?
本家と元祖の争いだったりするのかなあ。

調べてみて分かりました。
元々のお岩稲荷は、両方を含むもっと広い敷地だった。

最初の方は、お寺だったのね。陽運寺
だから、鰐口でパンパンダメで、寺務所だったのね
豊川稲荷だってお寺なので、お稲荷さんが寺でも悪くはない。

あとの方は、田宮稲荷神社という、神社

元々神仏習合で一緒だったのに
明治の廃仏毀釈で分けさせられたのかも知れない

荒木公園

元々、広大な美濃国高須藩上屋敷です

幕末期に藩主、松平義建(よしたつ)の息子として生まれた4兄弟
色んなところに養子に行きます。

尾張徳川家14代当主慶勝(よしかつ)
一橋徳川家10代当主茂栄(もちはる)
会津松平家9代当主容保(かたもり)
桑名松平久松家4代当主定敬(さだあき)

おおおお
超有名人だらけ
この4人がここで、ボール遊びとかをしたんだろうなあ

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

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