[天皇]64 円融天皇。一人息子に会わせてもらえない。

天皇シリーズ
平安時代で、一番きらびやかな時代に入って参ります。
ただ、天皇はかなり可哀想。

円融天皇
969~984年

冷泉天皇が2年だけで、そのあと即位したのが円融天皇
円融天皇には大嫌いな人がいます。
藤原兼家です。

円融天皇は自分の関白に、兼家を選ばず、そのお兄さん兼通を選びます。

兼通と兼家もびっくりするほど仲が悪い。

兼通は元々体が弱かったので、
5年後に亡くなってしまいます。

さあ、いよいよ兼家関白か?

そんな訳ないです。
兼通が自分の後継と指名したのは、弟の兼家ではなく、いとこの頼忠

円融天皇も一安心
ところが、この頼忠、兼家と仲良くしましょう路線を打ち出す。

しかたないなあ
兼家を右大臣へと出世させます。

さらに、兼家の娘、詮子(あきこ)を後宮に入れます。
婿と舅(しゅうと)の関係になったのです。

運良くというか、運悪くというか、詮子との間に、息子が誕生します。
後の一条天皇です。

兼家の事は嫌いでも、一人息子は可愛い。

詮子は里帰り分娩
ところが一向に、赤ん坊を連れて戻ってくる様子がない。
嫌がらせです。

五十日の儀(いかのぎ)というのがあります。
生後50日たった乳児の口に餅を含ませるという儀式

この時にようやく我が子とご対面
嬉しかったでしょう。

さあこれから、と思ったでしょうが
このあとも、息子に会えたのはこの日を含んで3回だけだったんです。

兼家側としても、円融天皇に強い不信感を持ちました。

普通、世継ぎを産んだ訳ですから、詮子を皇后にするはずです。
ところが、関白頼忠の娘、遵子(のぶこ)を後宮に入れるや、皇后と位置付けた。

もし、遵子との間に男子をなすことができたなら、その息子こそが次なる天皇との意思表示

結局は、子供はできず。
一人息子のまま

円融天皇はとても執拗な嫌がらせに耐えきれず
26歳の若さにして、譲位を決意することになります。

譲位後の歌
九重に あらで八重さく 山吹の いはぬ色をば 知る人もなし

(九重ではなくて、また宮中でもなくて、八重に咲いている山吹の、くちなし色を知っている人もない。)

九重とは宮中と音が似ているので、しばしば宮中に例えられます。
円融上皇は宮中に入ることすら許されなかった。
言わぬ色というのは、言わないということなので「口なし」クチナシの事です。
クチナシは花は白いですが、実から黄色いほぼ山吹に近い色の染料が採れます。

そもそもなぜクチナシと言うかというと実の形によります

こんなふうに口をきゅっと結んだ形だから口なし
中を開くとこうで

栗きんとんをより鮮やかに見せようとすると、このクチナシで染めて「不言色(いわぬいろ)」にします。

七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに なきぞ哀しき
という有名な山吹伝説の歌と考え方は同じ
一重の山吹は実をつけるけれども、八重山吹は実をつけないという事にかけた歌でしたね

八重のクチナシもやっぱり実をつけない

子を作れない悲しい花なんです。

自分の境遇の悲しさを花に例えた歌です。

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

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