[首相]18-2 5.15事件「話せば分かる」とは言っていない

[首相]18 犬養毅。憲政の神様
の続きです。
「池上彰に学ぶ日本の総理、犬養毅」に加え「昭和の怪物 7つの謎」も読みました。

5.15事件
具体的な日時までは分からないにしても、襲撃があるということは犬養毅にも分かっていたらしい。
昭和7(1932)年、5月15日は日曜日だった。

暴漢が乱入しました。閣下お逃げください

いや、わしは逃げない。そいつたちと会おう。

古賀清志海軍中尉を首謀者とする、海軍の青年将校と陸軍の士官候補生ら9人が乱入

護衛警官の一人、田中五郎巡査が
三上卓海軍中尉に腹を狙い撃ちされた

「昭和の怪物 7つの謎」の著者は犬養毅の孫娘にして評論家の犬養道子さんに色々聞いた。

その時、11歳の少女だった道子さんは、現場にいた。

土足で入ってきた三上が、犬養に向けて発射した銃は最初不発だった

まあせくな
撃つのはいつでも撃てる。あっちへ行って話を聞こう、ついてこい

おそらく、家族から離そうと思ったのだろう

このあとはお母さんの証言になるのだけど、別の部屋に行ったあと

まあ、靴でも脱げや。話を聞こう

そのあと、別の4人が現れて銃を乱射

女中テルの証言だと、そのあと流れる血の中で

今の若いもんを呼んでこい

「話せば分かる」とは言っていないのだ。

戦後「話せば分かる」はさかんに喧伝され、教科書にも乗った。
なぜ、言ってもいない言葉が言ったことになったのか

以降、道子さんの考えを中心に書いていきます。

事件後
道子さんは、お祖父さんをただ美化するのではなく、
犬養毅が何を誤ったのか、ちゃんと考えるべきだとする
「話せば分かる」という教育的に分かりやすい言葉に変えてしまうと
かえって本質を見失うと。

あの事件は本当にひどい事件でした。
テロに遭った私たちのほうが肩を窄めて歩く時代だったのですから。
何か基軸になるようなものが失われていたのですね

事件後、軍人達には法廷で十分に弁明の機会が与えられた。
自分たちは自分自身のことなどこれっぽっちも考えていない、
考えているのはこの国のことだけ、
陸海軍の指導者は、この国の改革(天皇親政)について考えてほしい、
自分たちは軍部政権をつくるための手駒でいい、などと何十回も陳述した

これに日本社会が反応した。
まるで彼らを英雄であるかのごとく扱った。
価値観が大きく変わり、戦争へと突き進んでいく。

お祖父さんを殺したのは、彼らだけど
もっと憎いのは、その後ろにいた人たちだと道子さんは考える。

陸軍大臣にその荒木中将を据え、
内閣書記官長に関東軍と通じ関東軍路線を推進する、森恪を置いた
逆の考え方を持った彼らを起用し
懐に置いてという考え方は甘かったのではないかと。

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

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