[首相]19 斉藤実。軍主導の政権の始まり

5.15事件で政党の党首犬養毅が殺され
政党の時代が終焉を迎え
以降、軍主導の政権になっていく。

斉藤実(まこと)
岩手県出身 海軍 昭和7(1932)年~昭和9(1934)年

陸軍幼年学校を受験し、次点で不合格
仕方ないので、海軍兵学寮を受け合格
陸軍幼年学校はその後繰り上げ合格になるが
海軍の方を選ぶ

英語で才能を発揮し
アメリカに派遣されることになる

ニューヨークに行く列車が、事故で脱線してしまい
寝台車に閉じ込められてしまう。
何とか救出され、九死に一生を得る

在米中、次々と大物に出会える
大山巌
西郷従道
原敬
黒田清隆
山本権兵衛

特に山本権兵衛とは、コンビで仕事をしていくことになる
山本権兵衛が海軍大臣になると、斉藤は海軍次官

山本権兵衛が海軍大臣をやめるとき
後任に斉藤をと指名され
以降、5代の内閣で、8年3ヵ月の長きにわたり、海軍大臣をつとめる

山本権兵衛が首相だったときも、海軍大臣をつとめるが
大正3(1914)年シーメンス事件が起きると、首相と共に、責任をとって辞任

政界を引退するかな、と考えていたが
原敬首相から、朝鮮総督を依頼される

朝鮮では、それまでの、陸軍式の、武断政治にたいして
「徳」を持った文治政治を推し進める

一度帰国するも、2年後再度、朝鮮総督に任ぜられる。

5.15事件後
5.15事件で首相が殺されるという異常事態のなか
元老の、西園寺公望は次を誰にすべきか迷う。

理屈で言うと、同じく政友会から首相を出すべきだが
犯人の方がヒーロー扱いされるという、おかしな方向へ世論が向かってしまった。

軍の方から、後継首相を出さざるを得ないか
でも、それが避けられないなら
軍の中で、最も穏健な考え方の持ち主、斉藤実にしよう。

かくして、斉藤実首相が誕生する。

止められず
でも「穏健派」は、強く主張できない、という事も意味していた。

結局、戦争へという大きなうねりを止める事が出来なかった。

満州国承認問題では
犬養毅前首相は慎重論だったが
積極論に転じてしまう。

満州鉄道総裁の、内田康哉を外務大臣として起用

内田康哉外務大臣は、昭和7(1932)年9月15日
日満議定書を調印し、満州国を承認した。

国際連盟は、満州国承認に反対
いよいよ国際社会で孤立していく。

11月から行われた、国際連盟には全権大使として松岡洋右(ようすけ)を派遣
日本に厳しい内容の、対日勧告案を、42対1の賛成多数で可決されると退場
国際連盟から脱退してしまう。

辞任
斉藤首相を引きずり下ろしたい右翼たち
帝人事件という汚職事件を追求する
結局は、その汚職事件で内閣総辞職

ただ、結局事件に関与したとされる者は、裁判で全員無罪になっている
首相を引きずり下ろすために、
汚職事件がでっち上げられたのではないかという疑惑が消えていない。

そして、昭和11(1936)年、2月26日、雪の日がやってきます。

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)

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