[首相]25 阿部信行。第二次世界大戦勃発。失策続きの4ヵ月

阿部信行
陸軍出身

1939年8月30日、阿部信行内閣発足。

阿部は陸軍ではあるものの、
戦地にはほとんど言ったことがない。

2.26事件のあとは、幹部は全て責任を取り引退すべしと主張し
自ら率先して退官。

平沼内閣総辞職後、色んな人の名は上がったが
政治的に無色だという理由で、昭和天皇の強い意思で突然大命が下る
天皇は以前、阿部から講義を受けたことがあって、頭の良さは分かっていた。

阿部? それ誰?という情況だった。

運悪く、発足の翌日、9月1日、ドイツがポーランドに侵攻し
第二次世界大戦が始まってしまう。

9月3日には、イギリス・フランスがドイツに宣戦布告

これについては、対応が早かった
翌9月4日
欧州の戦争には介入しない、と表明
一旦、国内の対立は多少収まる。

残念。良かったのはここまでの4日間。

ここからは失策続き
もう少し通常の状態ならば能力を発揮できたのではないかと悔やまれる

第一課題の日中戦争の終結は
近衛文麿内閣以来の汪兆銘工作を続けるも進展なし

対米関係では、日米通商航海条約の破棄を通告され、失効間近
暫定協約を結べない
これを結べないと、アメリカから、
「はい、この商品はおたくに輸出しません」と突然言われても文句が言えない。

対ソ関係では、ノモンハン地域国境確定委員会を設置したものの
日ソ不可侵条約の締結に至らず。

さらに、国内問題が追い撃ちをかけます。
貿易が各省庁でバラバラに関わっていたため、貿易省を設けようとした。
今までの各省庁が大反対。
特に外務省が強行策に出た。
110人ほどが辞表を提出し、お役所がストライキ
結局、貿易省は白紙撤回

さらに、インフレを押さえるため「価格等統制令」を発布したは良いが
1ヵ月もたたないうちに、米が出回らないとして、米の値段を引き上げた。

米は今後も値上がりするとふんだ業者たちが、売り控え
結局、もっと米が出回らなくなった
国民の不満が爆発し、たった4ヵ月半で総辞職に追い込まれた。

退陣後
退陣後、なぜか大活躍
汪兆銘との交渉は自分が引き継ぎ、日華基本条約を締結
翼賛政治会の総裁になったり、
朝鮮総督になったり

終戦を迎えて、東京裁判に呼ばれたものの罪には問われなかった
公職追放まで。
開戦直前の内閣で首相を勤めながら罪に問われないとは、
よほど意味のある行動をしてこなかったと思われた訳で
逆に悲しい気がする

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)

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