自由民権運動資料館に行ってきました。

夏期休暇で木曜日から4連休中
本来ならば、勢い込んでウォーキングに出掛けるところですが
何ということでしょう。
ずっと雨。それも結構の雨

そういう時ように屋内ものをとってあるのですが
残念ながら屋内施設は休館中が多い。

おとなしく、歴史検定の勉強をしておりましたが、もう限界
休みはお出掛けしないと頭がおかしくなるという体質になってしまっております。

今日こそは、一ヶ所でも良いからお出掛けしましょう。

時おりどしゃ降りになるなか、車で町田までお出掛け
「自由民権運動資料館」
町田市は自由民権運動が盛んだったようです。



ペリー来航に始まり、町田市を含む武相地域の人達がどう立ち上がっていったか

明治になって軽犯罪法にあたる違式詿違條例(いしきかいいじょうれい)というのが出されます。
それを絵にして分かりやすくした絵解き五十余箇条

つい先日書いた、婦人の散髪はダメってなっています。

文明開化往来というのが面白い
江戸時代の寺子屋の教科書で「往来もの」というのがあって
読み書きの中で、手紙で使われる単語とか、人名地名、商人は、商品の名前とか
その文明開化版ですね
すぐに新しいのを取り入れたんですね

学校というのができるらしいと聞いて
良いね良いね、わしらも作ろうと「小野郷学」という学校を先だって作った

明治が始まって10年が経過
税だの徴兵だのいっぱい義務は増えたけど
いつになったら我々が政治に参加する権利ができるんじゃい

政治への参画へと目覚めます。
特にこの地域、輸出商品ナンバーワンの絹、すなわち養蚕が盛んなので
郷農といわれる農家の大金持ちが地域のリーダーとして
自由民権運動もリードしていきます。

明治12年、国会に先だって神奈川県会発足
初代議長が石阪昌孝
以降、この人が中心になって話が展開していきます。
あれ?なんで神奈川県の話がここで
確かに町田市は神奈川県じゃないのと言われるけど。

結社もいっぱい

中心になったのは自由党

板垣退助若いっ

「自由」は大流行
「自由」と書いた衣装をつけた車人形

自由の杯

農民も憲法をこう作ったらと、草案作成
これがあきるの市の農民の倉庫で見つかった五日市憲法

見つかった土蔵

演説が大盛り上がり

女性だって演説

面白かったのが演説の仕方のハウツー本
身振り手振りはこうしましょう

明治22(1889)年、大日本帝国憲法発布
明治23(1890)年、いよいよ国会開始です。
第一回総選挙は石阪昌孝が見事当選

これが国会だ

最初は木造の仮庁舎
火事で全焼しちゃうんですけどね

石阪昌孝さんの書いた旗

三多摩移管
明治26(1893)年
三多摩地区が、神奈川県から東京都に移管
なるほど
だから、ずっと今まで神奈川県の話で進んでたのね

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

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