日本書紀を見てきました。

3連休初日
でも、残念ながら台風

おとなしくしておくか
と思ったんだけど、
外を見ると、ちょっと止んでたりする。

お天気の神様が、行っても良いですよ、と言っているような

よし、取ってある屋内ものに行くか

急いで出掛けて、駅で検索
絵画館っと

絵画館は、明治神宮の明治天皇の一生を絵で表したもの
すなわち、明治の歴史

げげっ、休業かぁ
今、屋内ものはことごとくやっていない。

困ったときの郷土博物館
23区の郷土博物館はかなり行っちゃっているんだけど
そうそう、渋谷区がまだだった。
渋谷区って、新宿区の隣なのに、新宿区に比べて、行ける場所がかなり少ない。

なんとか郷土博物館で渋谷区の文化財、みたいな本を購入してガンガン回るぞ

渋谷駅を降りて、歩いて20分
常盤の松の向かいなのね

へえ、國學院大學って渋谷にキャンパスあるのね
えっ、國學院大學博物館っていうのがあるぞ
雨の日にもってこいじゃない。

しかも、企画展が「日本書紀」
あらま、そんなこと言われたら、入らないといけないです。

日本書紀

日本書紀って何を書こうか(720)日本書紀、ってぐらいで
今から1300年も前の事
ひらがなもない時代だから
全て感じで書かれている

それは知ってはいても、実際に見ると
これはすごいもんだなと、感じる

当然印刷技術もないから
原本をひたすらに書き写すしか広める方法はない。

神社って御神体が本殿に祀ってある訳だけど
それ以外にも、神のよってたつところとしての、
日本書紀を祀っているところもあるらしい

熱田神宮の日本書紀

中世になると、
日本書紀の先生は、卜部(うらべ)家が独占するようになる
卜部家は後に吉田家と名乗るので
卜部兼倶(うらべかねとも)が作った神道は吉田神道と言う
徒然草を書いた人は、我々の世代は吉田兼好と習ったと思うんだけど
吉田兼好が生きた時代は卜部家はまだ吉田を名乗っていないので
今の教科書では、卜部兼好なんですって。

そんな卜部家なので、日本書紀を写した人は卜部家の人がとても多い

江戸時代になると、漢字かな混じり文での日本書紀も出てきます。

常設展
常設展は3つのコーナーに分かれています。
神道を説明したもの
考古学を説明したもの
國學院大學を説明したもの

神道のコーナーでは、神道の成り立ちや、神社の建物、色んな儀式が解説されています。
これは、大神(おおみや)神社の石

おそらくこれが神様なんだろう

考古学のコーナーでは、ものすごい量の、土器の類い

この写真はほんの一部です。

ここまで数多くの土器が置いてあるのは初めて見ました。

その前で教授風の人と学生数人が苦労話で盛り上がっていました。

國學院大學のコーナーでは、國學院大學の歴史を紹介
國學院大學って皇典講究所だったのか

飯田橋に皇典講究所跡の碑があるんですが
ウォーキングで見てきましたよ。

ようやく分かってきたんですが
國學院大學の「國學」って、古い時代の文化を研究するあの国学だったんですね

荷田春満(かだのあずままろ)、賀茂真淵(かものまぶち)、本居宣長(もとおりのりなが)、平田篤胤(ひらたあつたね)は、歴史の教科書にも出てくる国学の四大人(したいじん)
ええっ。なんで塙保己一(はなわほきいち)が入っていないの?
塙保己一も入れて五大人にしましょうよ

有栖川宮幟仁親王(ありすがわのみやたかひとしんのう)が最初に皇典講究所を作ったので
有栖川宮幟仁親王ゆかりの品々があった

ちなみに和宮の婚約者で、新政府軍の初代総裁の
有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)は幟仁親王の息子です。

ウォーキングはまだ続きます。
そもそも、渋谷区の郷土博物館はまだ行けていませんものね
続きは明日ね

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

日本書紀を見てきました。」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 渋谷区の郷土博物館に行ってきました。 | でーこんのあちこちコラム

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