[三十六歌仙]9 紀友則。おおらか好きなら、はい友則

王者紀貫之のいとこです。

紀友則

夕されば 蛍よりけに もゆれども ひかり見ねばや 人のつれなき
(夕方になると、自分の思いは蛍より燃えているのに、光が見えないのか、あの人は素っ気ない)

友則は貫之らとともに『古今和歌集』の撰者を命じられ、
早世した(35歳くらいか?)わりには64首が勅撰集に入集するなど、
当時は実力を認められた歌人でした。

撰者としては完遂できずに亡くなってしまう形になったのですが

『古今和歌集』の歌風は古今調といって理知的、平明で優雅なもの。
技巧に走らずおおらか
その代表が友則と言えるでしょう

それが『千載和歌集』や『新古今和歌集』の時代になると
技巧的で華麗な和歌が主流となります

そうなると、紀友則は、はやりじゃない歌になるので
人気が落ちていき
そう言えばそんな人いたなあ、という感じに。
どうしても、紀貫之がダントツすぎるので、影がうすくなるというのもあります

そんな紀友則の人気が復活するのが、やはり百人一首

久方の 光のどけき 春の日に しづこころなく 花の散るらむ

(日の光がのどかにさしている春の日に、桜の花は、どうして落ち着いた心もなく急いで散っているのだろうか。)
桜の花ってパッと咲いてパッと散るイメージ
こんなにうららかな春の日なんですよ、桜さんもゆっくりしましょうよ、って歌
さすがに紀友則。おおらかぁ

昔は花と言えば梅。桜を歌ったのは珍しいんだけど敢えて採用
なぜかというと、紀貫之が梅の歌だから
人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける

実は、似た感じの紀貫之の歌が同じ古今和歌集にある

ことならば 咲かずやはあらぬ 桜花 見る我さへに しづ心なし

(同じことなら咲かずにいないか桜の花よ 見ているわたしまでがそわそわしてしまうから)

うん。同じ桜でしづごころ、では紀友則に軍配ではないでしょうか

梅の方でも見てみましょう。
古今和歌集で紀友則の梅の歌
君ならでたれにか見せん梅の花 色をも香をもしる人ぞしる

(あなた以外のだれに見せたらよいのでしょう この梅の花を
色や香りの素晴らしさはわかる人にしかわかりませんから)

どうでしょうか

やっぱり、さすがは藤原定家。色々考えてるなあ。

さあ、冒頭の歌に参りましょう

夕されば 蛍よりけに もゆれども ひかり見ねばや 人のつれなき
(夕方になると、自分の思いは蛍より燃えているのに、光が見えないのか、あの人は素っ気ない)

蛍を見てイメージをふくらませ、女性の気持ちになって歌った歌です。

平安時代の結婚の形態は通い婚
結婚しても同居はしない場合が多い

って事は、旦那様が複数の奥さんを持っていたとしても、奥さんには分からない。
3日に一回通ってくるようなら、3人奥さんがいるんじゃないの?
と、そんな感じ

だから、女性の立場で書かれた恋の歌って、こんなに待っているのに来ていただけないのね
って歌が圧倒的に多い。

蛍の火と自分の情愛を重ね合わせるのは面白い発想ですね
蛍は動けますから、相手のところに行って、ピカッと光って早う来いよ、って

この通い婚というシステム、女性に圧倒的に不利で、
男尊女卑のさいたるものと思っていたんだけど
最近、必ずしもそうでは無いかなと思い出した。

子供が生まれると、かなり状況が変わる。

現代の、片親の家庭で母親が女手ひとつで苦労して子供を育て、
というのとイメージが結構違う

母親の一族だったり、場合によっては地域だったりで、集団で子供を育てる
そんなところに旦那様は通っていくわけで
肩身の狭いのなんのって

天皇シリーズとかやっていると、
院政が始まるより前の時代は、
前の天皇、すなわちお父さんの影響力ってかなり低い。

その時代は通い婚だったというのが大きい。
子供に対して、圧倒的にお母さんが影響力を持っている
さらに言うとその一族。

藤原氏が、天皇に外戚関係を持って、権力を欲しいままにしたというのは
この通い婚システムが関係している。
要するに、外戚関係を持った藤原氏は娘と同居したまま
ということは、天皇(ないしは皇太子)とも同居しているわけで
たまにしかやってこないお父さんである前の天皇の言うことなんて聞かなくても
おじいちゃんの言うことを聞かないと、生きていけない。

お母さんやおじいちゃんが気に入らない奴がいたら
あいつをクビにしな。しなきゃ今晩夕飯抜きだよ
って言えば
はい、仰せの通りに致します。

お腹空きますからね。

[短歌]シリーズはこちら(少し下げてね)

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